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立野の三原順メモノート第8集(2021〜)


立野の三原順メモノート(61) (2021.9.30)

「三原順の世界展」無事終了

三原順の世界展

三原順さんの没後25年に合わせて、昨年2020年に企画していた「三原順の世界展」札幌開催。新型コロナウィルスの影響を受け延期となりましたが、今年2021年の夏に、なんとか予定していた延期後の日程どおりに開催することが出来ました。三原順さんの故郷である札幌での開催は、私たちにとっても特別な意味があり、悲願でありました。会場で書いていただいたアンケートの集計も終わっておらず、まだゆっくり感慨にふける余裕もないのですが、少しずつ振り返っています。

全体的な流れについては、昨年企画した時点と変わりはありません。それでも1年間、考え直す時間ができたことは、結果的にとても良かったです。一番大きかったのは、展示の最後の方、「許し」のシーンです。当初、許す言葉のあるシーンを集めていたのですが、自分自身でも何か違うような気がしていて。延期された期間の中で考え直して、間接的にでも「許し」への思いがあるシーンにすべて差し替えました。このことで、より深いイメージを示すことが出来たのではないかと思います。1年の延期で、自分としてはこれが一番良かったと思えることでした。

三原順の世界展 三原順の世界展

どうやって展示する?を考えながら展示物を決めるために、新聞紙で80x80cmの展示台のサイズの土台を作り。そこに、原画整理の情報から先行して得られた、三原順さんの遺品の手帳やノートのサイズに仮の物を作成して置いて展示台の案を作った5月上旬。展示については素人の私が、悩んで考えたやり方でしたが、設営当日には案外ばっちり1章の展示台を一つこのまま作れました。こんな風に、一つ一つのコーナーに苦心があります。

巡回は現在は白紙状態ですが、コロナ禍が落ち着くまでは私たちも積極的には進めません。世界展は規模がそれなりに大きいので、大阪「三原順の四季」展の巡回という手もあるのですが、私はアホなのか、次は違う趣向の展示を作りたいと思ってしまうのですが、わかりません。そして、「三原順の世界展」の開催にあたって、おそらく、多くの皆様が思っているより多くの労苦が私たちにのしかかっています。気づかってくださる方々には感謝です。すべてを語ったら、ドン引きされてしまうと思うのですが(苦笑)、まずは東京近辺で「三原順の世界展」報告会的なファンミーティングができたら楽しいかもですね。

PS.サイトの移行に伴う細かい作業は、徐々に可能と思いますが、ご不便おかけしておりましたらすみません。



(2021年9月 立野昧)

立野の三原順メモノート(62) (2022.8.5)

アンジーの父親は誰なのか

2021年夏の札幌「三原順の世界展」では、会場奥に大き目の平らな展示台を3台設置し、資料的なものもいくつか展示していました。

三原順の世界展、会場奥の風景

その中に、B5ルーズリーフ2ページのプロットのコピーを入れていました。

『はみだしっ子』没プロット
「『はみだしっ子』没プロット。おそらく「つれて行って」最終盤のグレアムとシドニーの会話。」 (写真はB5ルーズリーフ2ページのうち、冒頭の一部のみ抜粋)

この没プロットは、大変興味深いものです。

冒頭でシドニーが話している、アルフィーと組合長の乗った車が事故で二人とも亡くなった話は、「つれて行って」終盤、発表されている作品にも描かれています。

白泉社文庫『はみだしっ子6巻』p258より
(三原順『はみだしっ子6巻』白泉社文庫 p258より)

気になるのは、その後のグレアムとシドニーの会話です。

☆アルフィー死亡
状況
  L工業の労使交渉の難局(L工業 シドニーの一族の会社)
  K氏へのシドニー・アルフィーの脅迫 味方につけようと
  But アルフィーの車炎上
   アルフィーがいつも気にしていた→遺言だと思え
     雪山でのことは忘れろ  奴は今 沖200海里の底

G どうしてアルフィーは? どうしてそんな…
S お前に組合組織のことやら銀行の投資や株の事やら 今ここで1から講義しろというのか? オレは真っ平だぜ。
  ――のっとろうとした…
  例のストをあおっていた組合長は…
  あいつもアルフィーもろとも車の…
G ボク達に…何かできる事は?
  アンジーが言ってた。シドニーがいつや呼びに来るかも知れないって
  ボク達に手伝わせたい事があると…
S アンジーがイブホーンの息子ってのは本当か?
G どうして? どうしてそれを?
S そうか……それが本当なら 手伝ってもらう訳にはいかない
G …………
S アンジーは知っているのか? 自分の父親は誰なのか?

注)G=グレアム、S=シドニー

この後も会話は続き、シドニーはアンジーの父親が誰かを知っていて、 けれど、「アンジーにとって父親の事を知るのは幸せではないはずだ」 「アンジーが詮索していないなら関心をもたせる事はない」と、明言を避けています。

三原順さんがどうしてこのプロットを削ったのかはわかりません。 ここを掘り出すと話が終わらなくなるとか、色々考えられますが、それはよいとして。

この削られたプロットが、後の『Sons』の中で使われ、生きた気がします。 自分の父親が誰だかわからない状態で育った少年DDの設定や、 ウィリアムの会社乗っ取りエピソードなどに、この削ったプロットは、 姿を変えて結実したのではないでしょうか。

面白いのは、この時期のグレアムにしては、会話をちゃんとしているところです。 雪山の秘密を共有した大人であるシドニーとは、話がしやすかったのでしょうか。

このプロットの最後の方で、シドニーは別れ際、やや唐突に、サーニンにあの馬を走らせろって言っとけ!…と言います。 そして、グレアムは思います。

  エルが走ったら? そしたら…
  そうしたらシドニーは?…

『はみだしっ子』最終回に向けたイメージのようにも感じました。

この没プロットは、「三原順の世界展」で、後世のために記録しておきたかった資料の一つでした。 展示をしたので、誰かが話題にしてくれるかと思っていたのですが、 割と静かなまま1年経ったので、自分で記しておきました(苦笑)。

補)ここで引用しなかった部分を含めた没プロットの全体は、図録 p120で読むことができます。
「三原順の世界展~生涯と復活の軌跡~」図録
三原順の世界展~生涯と復活の軌跡~」図録

お持ちの方は、よろしければ開いてみてください。お持ちでない方は、通販で購入可能です(2022.8.5現在)。
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(2022年8月 立野昧)

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(C) Mai Tateno 立野 昧