幼い頃、よく両親が喧嘩していました。 理由は色々あったのだと思いますが、 自分(子ども)のことが原因になっていたことも多かったと思います。 母は子どもを味方にするのが得意でした。
「お父さん、ひどいよね」
そう言って、いつも子どもを味方につけようとしました。 幼かった自分は、そう言われると、ただ「うん、うん」 と応えるしかありませんでした。 本当に納得していたかはよく憶えていません。たぶん、 ただ恐くて、とにかく「うん」と言うしかなかったのかも知れません。 母は口が速くてまくしたてるのがうまく、 もともと口数の少ない父はいつも不利でした。
私が父の気持ちをある程度でも想像できるようになったのは かなり成長してからでした。たぶん、高校を卒業してからだと思います。
三原順さんの『Sons』で好きなシーンの一つに、廃屋でウイリアムが DDのお父ちゃん(ピーター)と話をするシーンがあります。 ウイリアムは言います。
「でも最近は…何故父がボクを嫌っていたのか… 何となく解ってきたような気がしているんです。 父はよく…大恐慌さえなければ自分は町の大きな店で腕のいい職人として 成功できていたんだと怒鳴っていましたよ。 でも自分は懸命に努力して…こんな田舎にだけれども、 ちっぽけだけれど、自分の店をもったんだ…とも。 そして咎める様な目でボクを見る…。 父にとってボクは、昔々、父が夢に見た未来の… 叶えられずに失敗した姿を目撃している者でもあったし、 長年の苦労の末のささやかな成功を…辛うじて築きあげてきた未来をさえ、 賞賛もせず、感謝もせず、当然のこととして貪り食ってる奴…でもあった」
(三原順『Sons』単行本第三巻二六頁、文庫第二巻八八頁)
廃屋はウイリアムが子どもの頃に住んでいた家なのですね。 生まれ故郷の工場を捨てようとしているウイリアムは、 ただぼんやり、そこで物思いにふけっていました。
私が育ったのは横浜の港の近くでした。高度成長時代に多く作られた、 鉄筋コンクリート造の五階建ての公営住宅の一階です。 ゴミゴミしたところでしたが、自分にとっては楽園でした。 十四歳までそこで暮らし、その後横浜の丘の上に移り、 十七歳からはずっと東京に住んでいます。成長した今でも、 横浜のあの家が、夢の中に自分の家として出てきます。
横浜博覧会の後、みなとみらい地区の再開発が進むにつれ、 私が住んでいた公営住宅も取り壊されました。 数年前、取り壊されるという噂を聞き、取り壊される前に 廃墟となったその住宅を見に行ったことがあります。 かつて自分が住んだところはボロボロで小さくて、 けれど色々な思いが残っていました。
ウイリアムはピーターに話します。
「子供達を見ている時もね。『ボクがあの年齢の頃は』なんて…つい 昔の自分を現在に置いて考えてしまう。父もたぶんそうだったんでしょうね。 父にすればボクは父の希望に満ちていた時の事も知らなければ 叩きのめされていた時の事も知らない…」
「ボクは父の同胞ではなかった」
十八の夏、父の単身赴任先に私が泊まりに行っていた時に、 夜中に父と二人で酒を飲みながら話をすることがありました。
父が文学に憧れる青年だったこと、 戦時中に毒ガス工場に動員されていたこと、 自転車で橋を渡っている時に飛行機から銃撃されて命からがら逃げたこと、 昭和二一年の春に敗戦の影響で大学入試が無かったこと、 次の年に大学に合格したものの米一俵の入学金が払えず大学へ行けなかったこと、 そのために父の人生がどのように変わったかということ。 そういったことをその時に初めて知りました。
もちろん知ったと言っても、実感として心で知る理解ではありません。 今ならもう少し実感が想像できるようになってはいるのですが、 結局はやはり、私も父の同胞ではなかったということでしょう。 私が母と一緒に父を責めていたとき、 私は父の希望に満ちていた時の事も知らなければ、 叩きのめされていた時の事も知りませんでした。
三原順メモリアルホームページにアニメ・ブックスの『チリンの鈴』の 紹介を書いたとき、ウイリアムの「同胞」という言葉を使わせて頂きました。
「ウイリアムの言葉を借りれば、狼のウォーと羊のチリンは 『同胞』であったのでしょうね。 それは、アルジャーノンとチャーリーが同胞であったのと同じ意味で。」
(立野の三原順メモノート(29)「チリンの鈴」、一九九九年四月)
仔羊のチリンは牧場でお母さんやたくさんの羊たちと平和に暮らしていました。 首についた鈴がチリン、チリン、と鳴るのでチリンという名がついていたのです。 お母さんはチリンに教えます。
「この柵の外には決して出てはいけませんよ。 あの岩山には、ウォーという狼がいて、柔らかい羊の肉をたべたいと、 ねらっているんですからね」
ある晩、寝静まった羊小屋を狼のウォーが襲います。 チリンは無事でしたが、逃げ遅れたチリンをかばったチリンの お母さんは殺されてしまいました。 チリンは岩山に行きウォーに挑みます。しかし相手になりません。 翌日チリンはウォーに「あなたのように強くなりたい」と 弟子入りを申し入れます。
「羊のくせにへんな奴だ。俺が狼の生き方を教えてやる」
こうして、チリンはウォーの弟子になりました。
ウォーはチリンをしごきます。勝つためには手段を選ばず。 狼が生きるということは、 相手をたおすということ以外にはありませんでした。 そして3年後、チリンは鋭い角を武器にし、闘うことしか知らない すさまじい獣に変身していました。
「見てくれ、ウォー、 ボクはもう弱い羊じゃない。 牙の変わりにとぎすまされた角がある。 ひづめは岩よりもかたくなった。 そして何よりも 死を恐れずに闘う野生を身につけた」
「これもみんなあなたのおかげだ。 ボクの目標は、ウォー、あなたを倒すことだけだった。 死んだかあさんの仇を討つことだけを願って、ボクは生きてきたのだ。 今まで何度スキをみては、あなたを殺そうと思ったことだろう。 でもボクにはできない。 この山で生まれ変わったのだ。 あなたと一緒に、地獄に行こうと決めたのだ。 見ろウォー、この森も山もすべてボクたちのものだ」
こうして、チリンとウォーはこのあたりでは誰しらぬ者もない 狂暴な殺し屋になったのです。 目は火のように燃え、身体はやせこけて、 まるで悪魔のようにすさまじくみえました。 チリンの首には、昔のように鈴がついていましたが、 その鈴の音をきいただけで、どんな動物もふるえ、 おそれおののきました。
ある嵐の晩、チリンとウォーはチリンの育った羊小屋を襲います。 番犬を次々と蹴散らして、チリンは羊小屋に侵入します。 逃げ遅れた仔羊をかばって、お母さん羊が仔羊におおいかぶさります。 突然、チリンは思い出します。
「あの仔羊が昔のボクだ。 あれがボクをかばって死んだお母さんだ」
ボクには出来ない…。フラフラと立ち去ろうとするチリンの前に、 「俺が本当の羊の殺し方を見せてやる」と、ウォーが立ちふさがります。 ウォーとチリンの闘いは、チリンの角がウォーを突き刺して終わりました。
「俺はいつかこんな風にして
どこかで野たれ死にすると思っていた…
俺をやったのがおまえでよかった
俺は喜んでいる」
その言葉を最後にして、 孤独な狼は息が絶えました。
ウォーを倒したチリンは、 「狼でもなければ羊でもない何か得体の知れないゾッとするような生き物」 になっていました。羊小屋に戻れないと知ったチリンは、フラフラと立ち去ります。 そして、いつのまにかウォーと暮らしたあの岩山に来ていました。
「ウォー、生きていたのか」
ウォーを見たような気がして声をかけた姿は、 水に映るウォーそっくりの自分自身の姿でした。
「許してくれウォー、ボクはおまえが好きだった。 おまえが死んではじめてわかった。 おまえの生き方がボクは好きだった。 おまえはボクの先生でお父さんで そしてきってもきれない友達だったのに」
「ウォー…おまえは身をもって教えてくれた。 狼の生き方を……強い者の最期を……」
私がメモノートに書いた文章の「アルジャーノンとチャーリー」は もちろんダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』のことです。 十八歳の頃に単行本で読みました。単行本はその後装丁を変えながら版を重ね、 一九九九年には早川書房からダニエル・キイス文庫として文庫化されました。
十八歳当時に読んだ単行本は大学時代に友人に貸したままで、 今回文庫本を再入手してもう一度読んでみました。 若干ストーリーが変わっているような気がするところもありましたが、 こんな感じです。
精神遅滞のチャーリーは、パン屋で働きながら大学の知能遅滞成人センターに 通う三二歳の青年。養護施設に入れられそうになっていたチャーリーを 親切なパン屋の主人が引き取って育てていました。 チャーリーは頭が良くなってみんなを喜ばせようと一所懸命に勉強していました。
チャーリーのライバルは大学の実験室の白ねずみのアルジャーノンでした。 特殊な手術によって知能を強化されたアルジャーノンは 迷路のパズルを人間のチャーリーより早く解くことが出来たのです。 大学はねずみで成功しつつあった知能を強化する手術を人間に対して試みようと 考えていました。そして、頭が良くなりたくて懸命なチャーリーが 第一号の実験台に選ばれました。
実験を受けたチャーリーは、迷路のパズルがアルジャーノンより 早く解けるようになるばかりか、徐々に様々なことを理解したり 思い出したりするようになりました。そして、 自分と楽しく遊んでいると思っていたパン屋の同僚達が、 実は自分を馬鹿にして遊んでいたことを理解します。 チャーリーは頭が良くなり、複雑な仕事も出来るようになりますが、 チャーリーが思っていたようには利口になった彼は喜んで貰えませんでした。 同僚達は頭が良くなったチャーリーを気味悪がり、彼はパン屋をクビになります。
頭が良くなったチャーリーは決して幸せではありませんでした。 彼は両親がどうやって自分を捨ててきたかを思い出します。 両親が自分のことでケンカしてきたことを思い出します。 神様のように思っていた大学の先生達が、たかが人間でしかないことを知ります。 急に頭が良くなったチャーリー自身が一番とまどっているのですが、 周囲は自分達のとまどいで手一杯です。 チャーリーは子供の頃に精神遅滞であるが故に性的なことを抑圧され、 そのために異性と普通に接することが出来ない自分に気づきますが、 彼は一人でその問題に向き合わざるを得ません。彼は一人ぼっちでした。
そんな中、ねずみのアルジャーノンがおかしくなっていることを知ります。 迷路が解けなくなり、狂ったように暴れ、やがて無気力になり、 アルジャーノンは自ら死を選ぶように死んで行きます。 チャーリーの末路を暗示するかのように。
『アルジャーノンに花束を』を読んだという友人は何人かいましたが、 私と同じような受け止め方をしていた人には会ったことがありませんでした。 ある友人は、「精神遅滞者への理解と福祉への願い」という解釈でした。 これが比較的一般的な読み方ではあると思います。
一番意外だった解釈は、これはまだ途中までしか読んでいないという方の 意見だったのですが、「人間はこのように成長すべしという話」 という解釈です。この意見の方は当時東京大学の文三の一年生で、趣味で 原書で読んでいらしたのですが、最後まで読み終えてからその方の解釈がどのように 変化したかまでは残念ながら知りません。
私は、「アルジャーノンとチャーリーの恋愛小説」と受け止めていました。
清原なつのさんの「金色のシルバーバック」は、 アフリカ育ちで母国に馴染めないフランス人の少女ニコルと 人間の手で知能を埋め込まれてしまったゴリラのシルバーバックの話です。
12歳までアフリカで育ったアフリカ好きの少女ニコルは 16歳の夏休みにアフリカの両親の元へ遊びに行きます。 しかしその国は政情不安定になっていて、買い物の帰りに彼女たちは ゲリラの攻撃に巻き込まれてしまいます。 気がつくとニコルは誰かに助けられて一人でベッドで寝ています。 彼女を助けたのが、 人間の手で知能を埋め込まれてしまったゴリラのシルバーバックでした。
馴染めない人間の世界に戻りたくない、 シルバーバックと一緒にいたい、そうニコルは言います。
ニコル「シリウスとかアルジャーノンも読んだのね」
シルバーバック「異種間恋愛は所詮悲劇に終わります」
ニコル「古典よ。私たちは私たちの物語を作れるわ」
異種間恋愛の古典SFの例として清原なつのさんは アルジャーノンを挙げた訳ですが、これについてコミックス収録時の 広告スペース埋めのカットで次のように訂正しています。
「『アルジャーノンに花束を』をてっきりネズミと人間の ラブストーリィだと記憶してました。」 「失礼しました」
しかし私としては、清原なつのさんの「記憶違い」を何となく 支持したい気分でした。自分自身、「チャーリーとアルジャーノンの (広い意味での)恋愛物語」として受け止めていた訳ですから。 悲恋物語でないのは確かですが、清原なつのさんが似たような 読後感を持っていたらしいとわかって何となく嬉しかったです。
誰もチャーリーの理解者ではありませんでした。 家族も、パン屋の人たちも、大学の先生達も、アリス・キニアンも。 ただ一人、同じ運命を辿ったねずみのアルジャーノンだけが、 彼の真の「同胞」だったのです。
マックスはグレアムの言葉を反芻して思います。
「人さまを判断しようとする時には
正しく判断するんですよ
そこにたどり着くまでには
どんな山や谷をその人は越えてきたか
という事を考えてみたかどうか
確かめてみることですよ」
あれはこういう意味だったんだろうか?
それともグレアムは忘れてしまったんだろうか?
(文庫五巻一九二頁、コミックス十一巻十六頁)
三原順さんは『はみだしっ子語録』のあとがきでこんなことを書いています。
「そもそも私がマンガを描き始めたのは、多分、私が昔から、 親であれ、兄弟であれ、友人であれ、他の人の気持ちを『わかった』と 思えたことがないせいだと思います」
立野の二十代のアイデアノートには 「人間は滅多に他人など愛したりしないものだと思う」とか 「人間は滅多に他人など理解したりしないものだと思う」という言葉が 書き連ねられています。 それは『X−Day』のダドリーのセリフからの影響だったのかも知れないし、 キュアーの "How beautifule you are" という歌からの影響だったのかも知れません。
どうして僕が君を嫌っているのか、知りたいというんだね? それなら説明してみよう… … そのとき僕は気づいたんだ… 誰も誰かを愛したりしないってことを。 誰も誰かを理解したりしないってことを (the cure「How beautifule you are」、 アルバム『KISS ME, KISS ME, KISS ME』所収) (cf. たての日記「昔のノートより(15)」)
今思うと、「人間は滅多に他人など愛したりしないものだ」という感覚と 「同胞」という感覚は対になった概念であった気がします。
かつて、二十二歳の頃、酔った女性にこう尋ねられました。
「他人に理解されているってどういうことだと思う?」
私も酔っていましたがこう答えていたような気がします。
「たとえば、今自殺したとして、その理由が他人にわかるかどうか」
ボクはボクがしたことの赦免を望んでいる訳じゃない ただ あなたがどんな結論に辿りつくにせよ その前に ボクの靴で歩いてみて欲しい そしてもしボクの靴で歩いてみる時は ボクの足取りのようによろめきながら ボクと同じ制約を守りながら 歩いてみて欲しい ボクの靴で歩いてみて欲しい (Depeche Mode「Walking In My Shoes」、 アルバム『Song of faith and devotion』所収)
自殺して行った先輩や友人。
身を切るような寒さに凍えながら路地を転げまわった頃。
むさぼるように『Sons』を読んでいた。