[三原順メモリアルホームページ]

立野の三原順メモノート第3集(1999年)


立野の三原順メモノート(28) (1999.2.22)

一人で分かって納得して我慢する寂しさ

立野は『ルーとソロモン』の「屋根の上の犬」の回が好きです。 ピアのママには病気のために産むことが出来なかったジョゼフという子供がいます。 命日にママが墓参りに行きたがっていることを察したピアは、 ルーの子守りと留守番を引き受けて、ママを送り出してあげます。 生まれてくることの出来なかった弟のジョゼフを思いながら、 ピアは精一杯いい子になろうと、留守番をしている間に 家じゅうの掃除をします。しかし、ルーを危うく殺してしまうような 失敗をしてしまって、誉めてももらえず逆にひどく叱られちゃうんですよね。 そして、「私…もういい事なんかしない」とピアが泣くとき、 屋根の上でジョゼフの魂もやはり泣いているのです。 切ない話です。

でもちょっと救いがあるのは、ピアにはイーノというボーイフレンドがいて、 彼に泣き付けることです。ピアはイーノに言います。

「ごめんね イーノ 何も判りたくないの
ジョゼフが可哀想な事も ママが外出や看病で疲れてた事も 私が悪かった事も
今日は何も判りたくないの」

相手の事情を思いやって一人で分かって納得してしまう寂しさに囚われる前に、 ピアには打ち明ける相手がいました。

ところで、このセリフは『X-Day』においてダドリーがアデールに 言ったセリフに呼応しています。

アデール
「わかってるのよ… パパは仕事で忙しいし… ママは… 私が何を言いたいのか分からないから…だから… 私と話すのを怖がってて…それで…」
ダドリー
「そんな事おまえがわかってやる必要なんかない! 一人で分かってしまって納得して…我慢するなんて… 寂しい真似! するもんじゃないよ アデール! 」
(単行本『X-Day』 P72〜73)

相手を思いやって何もかも一人で分かって納得して そのために自分が傷ついても我慢してしまう、 そんな寂しい事に慣れてしまう前に、拗ねてみせることも重要だと。 そんな寂しさに慣れて優しさに飢えていいことはないと…。 そんなことをダドリーは実感をもって語っていたのだと思います。 もっとも、ルドルフ曰く、 「だがあのバカ(注: ダドリー)はセラピストを否定し… それなのに悩みを打ち明ける相手を確保しておくこつは教えなかったんだな? 全く…片手落ちな奴だ!」(単行本『X-Day』 P209) ですけどね (^^;)。

ところで、相手を思いやって何もかも一人で分かって納得して そのために自分が傷ついても我慢してしまう、 そんな傾向を持ったキャラクタとして思い出すのはグレアムです。 そして、グレアムもやはり同じ様な会話をパムとしています。

グレアム
「母は祖母を痛めつけたくないのだろうと… 悲しみだけで手いっぱいの祖母をそれ以上… だから…それを母に言えば今度は母が…」
パム
「…それでいいの? それで…納得したの?」
グレアム
「だって… そういうふうにでも理解しなければ… その頃のボク…もう父が嫌いで… まだ伯母とはさほど親しくなくて…ほとんど母へだけ… でも母はもうあまりボクをかまってくれなくなってたけど… ねェ…そういうふうにでも思わなければ… もし誰も愛せなくなってしまったら… ボクは外の世界でだけでなく ボクの心の内の世界でまでひとりぽっちになってしまうよ」 「わらっていいよ…パム… 臆病だって…」
パム
「諦めちゃダメよ “いやだ”ってすねるのを諦めて納得なんかしちゃダメよ!」
(コミックス第10巻 P120〜121)

グレアムはうまく拗ねることが出来ないキャラクタだったけど、 パムの言葉によって少し救われていたかも知れません。 一方、『Sons』に出てくるウイリアムというキャラクタは、 そんな寂しさに慣れきってしまっていたように思えます。

女の子は概して拗ねているのが可愛かったりしますが (ピアは可愛く拗ねてますよね)、男性の場合、 概して拗ねても可愛くないのでかえって邪険に扱われる傾向がある気がします。 まあでも、以前三原オフでそういう話をしたら女性の方に 「男性が拗ねても可愛いときもある」ように言われたので、 やはり、「うまい/下手」「向き/不向き」があるようですが…。

時々、三原順さん自身はどうだったのだろうと考えます。 三原順さんは常に周囲の人間のことを思いやる優しい人だったという噂を 聞くたびに、三原順さん自身 「相手を思いやって何もかも一人で分かって納得して そのために自分が傷ついても我慢してしまう」 傾向があったのではないかと思ってしまうのです。 三原順さんはうまく拗ねる事が出来ていたでしょうか。 時々、そんなことを考えます。

いずれにしろ、「相手を思いやって何もかも一人で分かって納得して そのために自分が傷ついても我慢してしまう寂しさ」が三原順さんの 作品に流れていた一つのテーマだったと感じるのです。


立野の三原順メモノート(29) (1999.4.3)

チリンの鈴

以前メモノート第2集「狼への畏れと憧れ」で 三原作品における「狼」へのこだわりに触れました。 その反響なのかはわかりませんが、その後 「Mihara BBS」の方に、 「狼を噛み殺した羊」 というスレッドで『チリンの鈴』という絵本およびアニメについての 情報をお寄せ戴きました。 『アンパンマン』で有名なやなせたかしさんの絵本とアニメ化です。 立野は『チリンの鈴』を知らなかったのですが、先日古書店で偶然 アニメ・ブックスの『チリンの鈴』を入手することができ、読んでみました。

チリンの鈴で おもいだす
やさしいまつげを ほほえみを
チリンの鈴で おもいだす
この世のさびしさ また悲しみ

こんなフレーズで始まる『チリンの鈴』は、 確かに三原作品との関連を感じさせる内容でした。 入手困難かも知れませんので若干紹介をします。 (ネタばれですので本物を読むつもりの方はご注意ください)

1999.4.30 付記) やなせたかしさんの絵本は新刊書店で入手可能なようです。 詳しいことはこの項目末尾に補足しました。

仔羊のチリンは牧場でお母さんやたくさんの羊たちと平和に暮らしていました。 首についた鈴がチリン、チリン、と鳴るのでチリンという名がついていたのです。 お母さんはチリンに教えます。

「この柵の外には決して出てはいけませんよ。 あの岩山には、ウォーという狼がいて、柔らかい羊の肉をたべたいと、 ねらっているんですからね」

ある晩、寝静まった羊小屋に狼のウォーが突然侵入します。 チリンは無事でしたが、逃げ遅れたチリンをかばったチリンの お母さんは殺されてしまいました。 チリンは岩山に行きウォーに挑みます。しかし相手になりません。 翌日チリンはウォーに「あなたのように強くなりたい」と 弟子入りを申し入れます。しかしやはり相手にしてもらえません。 それでも、何度追い返しても死にそうな目に合ってもついてくるチリンに、 狼のウォーがついに折れます。

そのとき、このあたり一番のきらわれものの、 悪名高いウォーのこころに何かあたたかいものがながれました。 それはウォーが生まれてはじめて知る不思議な感情のおののきでした。
「羊のくせにへんな奴だ。俺が狼の生き方を教えてやる」
こうして、チリンはウォーの弟子になりました。

ウォーはチリンをしごきます。勝つためには手段を選ばず。 狼が生きるということは、 相手をたおすということ以外にはありませんでした。 そして3年後、チリンは鋭い角を武器にし、闘うことしか知らない すさまじい獣に変身していました。

「見てくれ、ウォー、 ボクはもう弱い羊じゃない。 牙の変わりにとぎすまされた角がある。 ひづめは岩よりもかたくなった。 そして何よりも 死を恐れずに闘う野生を身につけた」
「これもみんなあなたのおかげだ。 ボクの目標は、ウォー、あなたを倒すことだけだった。 死んだかあさんの仇を討つことだけを願って、ボクは生きてきたのだ。 今まで何度スキをみては、あなたを殺そうと思ったことだろう。 でもボクにはできない。 この山で生まれ変わったのだ。 あなたと一緒に、地獄に行こうと決めたのだ。 見ろウォー、この森も山もすべてボクたちのものだ」
こうして、チリンとウォーはこのあたりでは誰しらぬ者もない 狂暴な殺し屋になったのです。 目は火のように燃え、身体はやせこけて、 まるで悪魔のようにすさまじくみえました。 チリンの首には、昔のように鈴がついていましたが、 その鈴の音をきいただけで、どんな動物もふるえ、 おそれおののきました。

ある嵐の晩、チリンとウォーはチリンの育った羊小屋を襲います。 番犬を次々と蹴散らして、チリンは羊小屋に侵入します。 逃げ惑う羊たち。逃げ遅れた仔羊をかばって、お母さん羊が 仔羊におおいかぶさります。突然、チリンは思い出します。

「あの仔羊が昔のボクだ。 あれがボクをかばって死んだお母さんだ」

ボクには出来ない…。フラフラと立ち去ろうとするチリンの前に、 「俺が本当の羊の殺し方を見せてやる」と、ウォーが立ちふさがります。 ウォーとチリンの闘いは、チリンの角がウォーを突き刺して終わりました。

「俺はいつかこんな風にして
どこかで野たれ死にすると思っていた…
俺をやったのがおまえでよかった
俺は喜んでいる」
その言葉を最後にして、 孤独な狼は息が絶えました。

ウォーを倒したチリンは、 「狼でもなければ羊でもない何か得体の知れないゾッとするような生き物」 になっていました。羊小屋に戻れないと知ったチリンは、フラフラと立ち去ります。 そして、いつのまにかウォーと暮らしたあの岩山に来ていました。

「ウォー、生きていたのか」

ウォーを見たような気がして声をかけた姿は、 水に映るウォーそっくりの自分自身の姿でした。

「許してくれウォー、ボクはおまえが好きだった。 おまえが死んではじめてわかった。 おまえの生き方がボクは好きだった。 おまえはボクの先生でお父さんで そしてきってもきれない友達だったのに」
「ウォー…おまえは身をもって教えてくれた。 狼の生き方を……強い者の最期を……」

話のあらすじを説明してしまうと、これ以上ほとんど 解説をつける必要がないかも知れません。 これが狼の生き方を肯定した物語なのか、否定した物語なのか、 どちらでもない物語なのか、判断は読者に委ねられるでしょう。 立野としては、どちらともなく、淡々と記した物語に読めました。 イマジネーションをそがれるのはお嫌な方は 次のおそらくありふれた解説は無視して構いませんが、 一つの読み方を書いておきます。

70年代末のニューヨーク・パンクの渦中にいて分裂的な ポエトリー・リーディングで一世を風靡したパティ・スミスという女性が しばらくの活動休止後に80年代末に出したロック色の強いアルバム 『Dream of Life』に、「義務感の赴くままに (Where Duty Calls)」という レバノンのパレスチナ戦争を扱った曲があります。 義務感や大義名分や帰属願望から判断を停止し人を殺していく、 それをただありのままに記述し、どこか悲劇的な叙事詩に仕上がっていた 気がします。「僕は兵士になるよ、ママを守るよ」「聖戦だもの」 パレスチナの少年の言葉が挟まれます。 パレスチナでは、子供のうちから戦闘の仕方(人の殺し方)を 教育されると聞いた事もあります。 親を敵に殺された子供たちもたくさんいます。 ベトナム戦争で戦ったベトコンの末路などという話も どこかで聞いた事があります。祖国の解放のために戦い、 アメリカ兵を如何に殺すかに長けていたベトコンたちも、 終戦後は孤独であったり、特にアメリカとの国交回復が画策されるようになってからは 厄介者扱いになったりするとか。 戦争で親を殺され、仇を討つために兵士になり、 自らを冷酷な殺人機械に改造し、仇を討ったものの、 どこにも帰属できなくなった(あるいは戦争にしか帰属できなくなった)者の悲劇。 狼の名前がウォーであることからも、 作品の最もストレートな解釈はこれである気がします。

ただ、三原順さんの作品と関連付けて考えて行こうとするなら、 実際の殺し合いの戦争よりも、もっと身近な「戦争」を 考えたほうが良いのでしょう。 たとえば、「裁判で闘うこと」「金もうけをすること」…などなど。 三原作品との関連で立野が特に気になったのは次の3点です。

  1. グレアムがヒューズ院長に話す内容。
    これは以前に触れた「狼を噛み殺してしまった者は… どんなに憧れても もう羊ではなくなってしまい… そうした者は… 何なのですか?」というフレーズです。
  2. 狼の最期の言葉の中にある、「野たれ死に」というフレーズ。
    「Sons」のラストのほうで、ウイリアムが 「(事業を失敗して無一文になろうと構わないんだよ)、どうせ 俺の夢は野たれ死になんだから」と言うのを思い出します(細部うろ覚え)。 ウイリアムと狼が同じ「野たれ死に」という言葉を使っているのは かなり気になります。
  3. 「ボク」という表記について。
    三原順さんのネームでは、「僕」はほぼ必ず「ボク」と表記されています。 それが、「チリンの鈴」の絵本でもそうでした。 関係あるのかどうかは不明ですが、三原さんが「僕」を「ボク」と表記する 理由(というか何かのルーツがあるのかということ)は未だに謎なので、 ご存知の方、教えてください。

ウイリアムの言葉を借りれば、狼のウォーと羊のチリンは 「同胞」であったのでしょうね。 それは、アルジャーノンとチャーリーが同胞であったのと同じ意味で。

三原順さんが実際この本を読んでいたかは不明ですが、 内容的に大いに関連はあると思います。

最後に「チリンの鈴」についての情報です。 BBSに寄せられたまなみさんの情報の絵本と、立野が古書店で見つけた絵本は 違うようです。

まなみさん情報の絵本:
フレーベルのえほん 27 『チリンのすず』
作・絵: やなせ たかし
昭和53年10月 第1刷 昭和62年1月 第6刷 1978年初版
ISBN4-577-00327-9 C8771
絵本の装丁は、濃い目の黄緑の地に白い子羊の絵、黄色で題名。
背表紙は白地で、子羊の絵と赤で題名。
32ページでA4変形版。定価は880円。
たてのが入手した絵本:
サンリオ・アニメブックス・2 『チリンの鈴』
原作: やなせ たかし
作画: サンリオ・フィルム制作
1978年3月20日初版、1981年7月15日 四刷
絵本の装丁は、A5版ハードカバー、表も裏も黄緑。定価880円。

どうやら、やなせたかしさんの絵本がまず存在し、それを元に 和月さん情報のサンリオアニメ が作られ、立野が入手したのはアニメを元に作られた絵本 (確かに、挿入されている絵はすべて“アニメ絵”です)ではないかと思われます。 立野が入手したアニメ・ブックスには、サンリオ・アニメのデータもあるので紹介します。

サンリオ・フィルム作品
チリンの鈴
原作 やなせ・たかし
音楽 いずみたく
 歌  ブラザーズ・フォー
制作 波多野恒正
演出 波多正美
美術 阿部行夫
原画 山本繁
     平田敏夫
     赤堀幹治
制作 辻 信太郎
     (株)サンリオ

ブラザーズ・フォーのなんという歌が使われていたかは謎ですが、 三原順さんもブラザーズ・フォーを聞いていたようですし、気になります。 ご存知の方、ぜひご一報を。

(1999年4月 立野昧)

1999.4.30 付記) 二つ、情報が寄せられました。 最近やなせたかしさんの絵本を(新刊書店で)入手された方がおられるようです。 見せていただいたのですが、原作の方はややイメージが違いました。 違う点は以下のとおりです。

  1. やなせたかしさんの絵本では、チリンは強くなって仇を討つために ウォーを欺いて弟子になり、羊小屋を襲うときも計画的に ウォーに戦いを挑んでいる。
  2. 「僕」の表記は「ボク」ではない。

ラストでチリンが羊の群れに戻れなくなる点では同じですが、 全般的にチリンに葛藤はなく、この絵本でだけなら三原作品との 関連を特に感じないくらいです。 (他方、アニメ版の絵本の方を読んでいただいた方からは、 一様に「三原的」と感想をいただいております。)

もう一つ寄せられた情報ですが、「チリンの鈴」は 漫画雑誌「リリカ」に掲載されていたそうです。 「リリカは76年11月発刊のまんが雑誌で、 全部で36册だったと記憶します」 「作家のラインナップはあえて書きませんが 三原さんが読んでいてもおかしくはない人々です」 「短編が多く2〜3ページのものもありました。 そんな中に「チリンの鈴」がありました。 アニメの方の絵もほぼこれに近かったはずです」 とのこと。手塚治虫さんの「ユニコ」が載っていた雑誌のようです。 確かに三原順さんが読んでいた可能性もあると思います。

1999.5.17 付記) さらにもう一つ、かれこれ20年ほど昔に アニメ版の「チリンの鈴」を劇場で見たという方からもメールをいただきました。 「アルプスの少女ハイジ」との併映だった気がするとのことです。 「チリンは「ユニコ」に似ているなぁーなんて、 思った記憶があります」 「可愛らしいチリンが、おぞましい姿に変貌し、 復讐しようとするけれど、 どうしても出来なかったというラストが 幼な心に衝撃的で、 ハイジなんてどーでもよくなって、吹っ飛んでしまいました」 「友だちの家に絵本がありましたが、 チリンの豹変ぶりが恐ろしくて、読みませんでした。 経験したことのない、やるせないストーリーでした。 そういう意味では、私が初めて三原作品に出会った時の 呆然自失した思いと、共通するものがあるなと」 …とのことです。 情報お寄せくださった方、ありがとうございました。

1999.12.17 付記) 「チリンの鈴」が掲載されたリリカについての情報を戴きました [Mihara BBS:1066]。 「リリカ8わか葉の号1977・6」に掲載されていたそうです。
「1977・6 とありますから、原作がありアニメ化した のではなく。アニメ制作の為にやなせさんが作られたのかもしれません」
「全30頁で、(「リリカ」)がそうである為、横書きです。 また、セル画調の絵は使われていません。 そして、一人称表記は「ぼく」が使われています」
とのことでした。 情報お寄せくださった方、ありがとうございました。


立野の三原順メモノート(30) (1999.6.10)

偽善と偽悪〜グレアムをびっくりさせる何か

後期の短篇に「彼女に翼を」という作品があります。 『夢の中 悪夢の中』に収録されているのですが、 現在入手困難につき読まれた方は少ないかも知れません。 立野もあまりよく読んではいないのですが、印象を一言で言えば 「私ってこんなに悪いことしているのよ。褒めて〜」 と訴えている女性の話です。

他人に褒めて欲しくて「善い」ことをするのが偽善者なら、 他人に褒めて欲しくて「悪い」ことをするのは偽悪者でしょうか。 立野にとっては偽善も偽悪もだいたい同じ地平にあるのですが、 一般には偽善よりも偽悪が好まれるのかも知れません。 偽善者という言葉の裏には「実は悪い人」という響きがあり、 偽悪者という言葉の裏には「実はいい人」という響きがあるでしょう。 しかし(そういう包帯のような嘘を見破って終わることが出来ずに)、 「褒めて欲しくて善いことをするのが偽善なら、 (偽善者と)罵られるの怖さに望むことが出来ないのは何なんだ?」 と問う人もいます。 そして実際、望むことを実行して罵られたりします。

(川に飛び込んだ女性とそれを助けた女性の話)
「助けた方の彼女…どうしてあんなことしたんだろうね…」

偽善と偽悪という言葉になぶり散らされながら、 グレアムはそんなことを思います。

グレアムは、何か自分をびっくりさせてくれる考えを欲しがっています。 だから 「グレアムには自分をびっくりさせてくれる何かが必要なんだ」 と漠然と感じている読者は多いかも知れません。 しかし、グレアムをびっくりさせる考えとは何かは、難しい問題です。 はっきりした答えは立野にもわかりません。 ただ、ある時、 「この事実はきっとグレアムに何がしかの感銘を与えるのではないか?」 と感じたことがあります。

イラク北部のシャニダールという洞窟で、 6万年前のネアンデルタール人の住居跡が発掘されました。 そして、死者の回りから、たくさんの花粉の化石が発見されたそうです。 洞窟内で花は咲きませんから、つまりネアンデルタールの人達は 花を摘んで来て死者にたむけたのだと結論づけられました。 死んで動かなくなった仲間の傍らに花を運ぶとき、 遠い昔、洞窟で暮らしたネアンデルタールの人達は何を思ったのでしょうか?

三原順さんは考古学にそれなりの興味と知識があったとは思いますが、 この話をご存知だったかは不明です。 ただ、出来るなら立野はこの話をグレアムに伝えてみたいです。 あるいは、立野に「はみだしっ子」を脚色することが許されるなら、 最終回にこのエピソードを入れてみたい。 そして、グレアムに言わせてみたい。

ねぇ、ジャック…
彼らは…あの洞窟の ネアンデルタールの人達は…
彼らは偽善者なんだろうか…
ねぇ、ジャック…
彼らはどうして…どんな気持で…
花を運んだんだろうね……
(1999年6月 立野昧)

PS. みなさまが三原順さんに捧げた花束が、 少しでもシャニダールの花のような輝きを持って見えたら 幸いです。

1999.6.23 付記1) この項目の立野の文章に対し、 「登場人物になりきって書いた高校生の読書感想文」という酷評を戴きました。 こういう読み方はあまりないとは思うのですが、 他にもそのような読み方をする方がいらっしゃるかも知れませんので、 念のためその点について補足しておきます。

この項目の文章のラストは、たとえば「はみだしっ子」が アニメ化されることになり(別に映画化でも劇作化でもよいのですが)、 そのシナリオに自分がプロットを付け加えることが出来るなら、 という状況を想定して書きました。いずれにしろ、 内容的に新しいエピソードを付け加えるだけで 既存のファンから反発があることは覚悟の上です。 しかし「はみだしっ子」を脚色する以上、文体としては 「はみだしっ子」の文体を踏襲した方が、 新しい内容をなるべく反発なく読者に受け入れてもらう得策だと私は考えます。

なお、感情移入は批評とは無関係とする立場もあるかと思いますが、 立野はそうは思っていません。

1999.6.23 付記2) 「ネアンデルタールは人類ではないという説が有力である」という情報も戴きました。 立野もある程度そういう話は知っていて書いたのですが、 詳しいことを調べてから書こうと思っているといつまでも書けないので、 そのあたり曖昧にしたまま(別にネアンデルタールが 人類の祖先であるとは明記してないですよね ^^;)書いてしまいました。

ネアンデルタールとクロマニヨンは人種の違いのようなものではなく 遺伝子そのものが違うのか、交配はあり得なかったのか、なかなか証明するのが 難しい事柄ではありますが、現時点での比較的正確な情報があれば、 ポイント戴ければ幸いです (ただし、その情報がページに反映されるかは未定ということで、 すみません)。


立野の三原順メモノート(31) (1999.7.28)

つれて行って(2)

しばらく前に立野の三原順メモノート(5) つれて行って へも補足していますが、「つれて行って」の語源と推定される曲が判明し、 音楽ページ で紹介しました。 実はずっと「鳥」のイメージの曲ではないかと想像していたのですが、 見つかったものはやはりその通りでしたね (^^)。

三原順さんの作品には「鳥」が頻繁に出てきます。 「ラスト・ショー」における鳥のように空を飛びたいという願い、 サーニンの鳥さん、 「"可愛い"って…オレの心…まだそんなの感じるんだな」の鳥、 「カスミ網につかまるな」の渡り鳥、 そして「ロング・アゴー」の「鳥が鳥であるように」というイメージ。

「Sons」の頃には「狼」のイメージが強くなっていますが、 「ビリー」において「鳥」が再び大きく出てきます (おそらくイメージは変遷しているでしょうが…)。そういう訳で、 三原作品における「鳥」のイメージというのは深いテーマだと思いますが、 ここでは「つれて行って」という言葉が 「ラスト・ショー」以外にも出てくるところを挙げておきます。

初期短編「このひとときを…」 (1973年デラックスマーガレット夏の増刊号、 はみだしっ子全コレクション所収)

孤児院の少年ルーは 学校で孤児院の子であるために侮辱を受けケンカ、 けれど一方的に叱られてしまいます。 孤児院を追い出されたルーは雨の中、猫と出会って、話し掛けます。

「きみもみなし子かい?」
「つれていってよ…子猫ちゃん」

ここでは鳥ではなく猫ですが、同じようなイメージなのだと思います。 「つれて行って」の元曲のバンド名がザ・キャッツであることと 引っ掛けてあるというのは考え過ぎでしょうか。

はみだしっ子シリーズ「山の上に吹く風は」(1977年 花とゆめ9号)

林に火を放ってギィの死体を傍らに置いて死のうとしたアンジー。 引き金を引いたけど弾がありませんでした。現れたシドニーに アンジーは言います。

「つれて行って」

実はこれは雑誌掲載時のセリフで、コミックス収録時に 「あんたの好きな様にしなよ!」というセリフに書きかえられています。 (文庫2巻P229、コミックス4巻P125)

この辺りからコミックス収録時の修正が多くなっているのですが、 「つれて行って」という言葉をここで取りやめにした理由はなかなか 複雑そうですよね。

「鳥」のイメージ、「つれて行って」のイメージ、 あるいは他のイメージを追いかけながら、 もう一度読み返してみるのも面白いかも知れません。

(1999年7月 立野昧)

立野の三原順メモノート(32) (1999.8.9)

ロナルド・サール

1982年の「はみだしっ子カレンダー」で 各月の絵に三原順さんのコメントがついています。 最近その辺りを見せていただくことがあったのですが、 6月の絵について以下のような記述がありました。

『ハンティング』JUNE

ロナルド・サールというイギリスのイラストレーターの画風が好きで、 一度あんな風にシャカシャカシャカと描きサッサと色を流したような 描き方をしてみたいと思っているのですが、 私がやると手抜きにしか見えないという淋しさ。

6月の絵は、「はみだしっ子全コレクション」にも載っている奴で、 元は「昭和54年<花とゆめ>8号 オリジナルブックカバー イラスト」 のようです。アンジーとグレアムが狼さんに捕まって縛られていて サーニンは吊るされていて、何故かマックスだけひよこの着ぐるみで 楽しそうにおもちゃのラッパを吹いている絵です。

ここで気になるのがロナルド・サールというイギリスのイラストレータさん。 あちこち探してみてもなかなかわからなかったのですが、まず 朝日新聞1994年07月29日朝刊(東海総合面)の 「■チャンギ(戦争と人々・第34部 幻の昭南島:1)」 (編集委員・中生加康夫)というコラムで ヒントが掴めました。記事から少々引用してみます。

一九四二年(昭和十七年)二月十五日、日本軍によるシンガポール陥落後、 英、豪など連合軍の捕虜、民間人八千人がチャンギ刑務所と 周辺のバラックに詰め込まれた。 同年七月、ビルマとタイを結ぶ「泰緬(たいめん)鉄道」の工事が始まった。 日本軍管理の捕虜収容所から総動員、クワイ川流域の重労働で 一万数千人が死んだ、といわれる。

英軍捕虜ロナルド・サールはクワイ川から生きてチャンギに帰されてきた。 以下、中原道子早大国際部教授の訳・解説 『チョプスイ―シンガポールの日本兵たち』(めこん発行) に書かれている話だ。

サールは入隊するまでケンブリッジの美術学校の学生だった。 抑留後、ひそかに絵を描き続けた。 四四年八月ごろ、「管理責任者の高橋大尉の命令だ」と絵をとりあげられた。 ところが、新しい六十枚の画用紙をつけて返されてきた。 高橋大尉はサールを将校専用クラブの内装作業に回した。 ゆったりとしたクラブは心地良く、落ち着いた気分で海浜の風景もスケッチできた。 四五年六月、高橋がクラブに入ってきた。 サールのスケッチブックに気づき「May I?」と聞き、白手袋をぬいだ。 鉛筆で母と子の姿を線描きした。自分もパリで絵の勉強をしていたと高橋は打ち明けた。それから二人は会っていない。 八六年、ロンドンの王立戦争博物館がサールのスケッチを 四十余年ぶりに画集にした。タイトル 『To the Kwai and Back』。約二百点の中に高橋の一枚の絵がある。

コラムではこの高橋大尉の絵が紹介されているのですが、 三原順さんがどこまでこういった経緯をご存知だったのかはわかりません。

それから更に少々ロナルド・サールさんについて調べてみて、 1920年3月3日イギリスケンブリッジ生まれで、 どうやら現在まだご存命中らしいとのことなどわかりました。また、 http://www.reuben.org/reuben_winners.asp によりますと、ロナルド・サールさんは1960年に cartoonist of the year を受賞しているようです。

なお、http://www.bpib.com/illustrat/searle.htm の紹介が詳しいようです。英語ですが、 若干のイラストが紹介されています。 どこかの風刺画などで見たことがあるような気のする絵ですよね。

立野は絵のことはわかりませんが、 三原順さんのデフォルメされた動物の絵などに 多少の影響があるのかも知れません。

(1999年8月 立野昧)

立野の三原順メモノート(33) (1999.9.10)

水底の杯〜遥かなる祈り〜

1年近く前、このホームページにいらした方から次のような貴重なお話を メールでいただきました。

話はかわりますが、先日鈴木光明著「続少女まんが入門」という本を古本屋でみつけ ました(白泉社、昭和59年)。鈴木光明さんは別マ、花とゆめ、ララのまんが投稿 欄の講師をしていたかたで、わたしもお名前だけはおぼえています(チャットでどな たかが名前をあげていらしゃいましたね)。デビュー後しばらくは作品が完成するた びに、鈴木さんのもとに三原順さんが原画のコピーを送ってこられたそうで、この本 のなかに「赤い風船のささやき」のコピーが印刷されています。セリフが活字でなく 、書き込んであります。鈴木さんのてもとには7作品あるそうです。興味深いのは次 からです。引用します。

なによりも面白いのは、三原さんは、原稿の、印刷面からハズレる部分に、いろいろ イタズラ書きをしていることで、そこには、そのページ、あるいは作品全体のイメー ジをつくっていた時聴いていた音楽などが、こまかく書いてあることです。 特に「水底の杯」は30p全部、下の部分の欄外に、コマゴマいろいろ書いてあって 面白いのですが、ご紹介できないのが残念です。今回ご紹介するのは、この中で、私 の一番好きな作品「赤い風船のささやき」です。 コピーをそのまま印刷するので、仕上がりがきたなくなるでしょうが、それは承知の 上です。(中略) 作品の一番さいごのメモが、印刷面に入るかな? 「いめいじ・ばい・FEUILLES OH」「TIE A YELLOW RIBBON ROUND THE OLE OAK TREE」 「SIR GEOFFREY SAVED THE WORLD」とメモがありました。

鈴木光明著「続少女まんが入門」という本を立野は知らなかったのですが、 昨年12月の 三原順展 で拝見させていただきました。 (展示会のスタッフの皆様、ありがとうございました)

まず、「赤い風船のささやき」の「いめいじ・ばい」については すべて正体が判明していて、三原順さんの音楽で 紹介してありますが、 「FEUILLES OH」はアート・ガーファンクルの曲、 「TIE A YELLOW RIBBON ROUND THE OLE OAK TREE」はいわゆる 「幸せの黄色いリボン」で、トニー・オーランド&ドーンの曲、 「SIR GEOFFREY SAVED THE WORLD」はビー・ジーズの曲です。

さて、「続・少女まんが入門」という本が残したもう一つの疑問は、 「水底の杯」という作品。他では全く聞いたことがないタイトルであり、 「幻の未発表作品か?」との声もありました。

しかし、確実な筋よりの情報で、「水底の杯」の正体は 初期短編「遥かなる祈り」であることがわかりました。 もともとタイトルが「水底の杯」でサブタイトルが 「遥かなる祈り」だったのです。 言われてみると確かに作品のラストのほうで 「ボクたちは愛の苦い杯をのみほした――」 「ボクたちはいま愛の杯をみたそう!」 「遠い昔その杯を投げたこのボクが!!」 のように、杯のイメージが象徴的に使われています。

ところで、立野はこの「遥かなる祈り」は「はみだしっ子」の 前奏曲のような作品だなと思っていました。 「親の都合でボクたちを押し込めたこの部屋を出よう!」 と、二人で飛び出して行くジョーとドミニクの姿に 「はみだしっ子」を感じます。また、 「いったいいつからだろう ボクが友をさけるようになったのは」 「愛する者に信じる者に裏切られるのが怖くて…」 といったジョーのセリフはこの作品の中ではあまりにも唐突で (だから三原順さんの作品は「わかりにくい」 と言われちゃうんでしょうけど ^^;)、 けれど例えばグレアムの姿を重ねてみると、この作品では描ききれなかった イメージが伝わってくるような気もします。

先日、「遥かなる祈り」が掲載された1974年頃の 別冊マーガレットを調べていましたところ、 「遥かなる祈り」が掲載された1974年5月号の前号の別冊マーガレットの 次号予告で、こんな記述を発見しました。

「この作品は、わたしがもっとも描きたかったテーマをまとめたんです」 と三原順先生が言うのが「遥かなる祈り」。

涙なくしては読めない三原先生の自信作。ご期待下さい。

「はみだしっ子」につながるテーマが埋まっている作品なのかも知れません。

なお、「遥かなる祈り」の「いめいじばい」は 「For The Peace of MANKIND」、「JE Noublierai JAMAIS」、 「Paint it Black」(Eric Burdon and the Animals) の3つでした。 2番目の「JE Noublierai JAMAIS」は最近三原順さんの音楽 に追加したシャルル・アズナブールの「追憶」です。 「Paint it Black」はもちろん「黒く塗れ!」で、 ローリングストーンズのものを音楽教室のところで紹介していますが、 三原順さんは Eric Burdon and the Animals のバージョンが 好きだったのでしょうか。こちらのバージョンは現在調査中です。 1番目の「For The Peace of MANKIND」 はまだ見つかっていないので、ご存知の方は是非ご一報下さい。

(1999年9月 立野昧)

(1999.9.14 補足) 書き忘れましたが、「遥かなる祈り」に出てくるジュリアという女の子の名前は、 やはりピンクフロイドの「Julia dream (夢に消えるジュリア)」という曲から 取られたようです。音楽ページにもそのうち反映させます。


立野の三原順メモノート(34) (1999.11.3)

三原順さんは何故「はみだしっ子」を話題にされるのが辛そうだったか

当サイトへの寄稿 「はみだしっ子打ち切り説について」の中に、 「三原さんは『はみだしっ子』を終わったものと考え、 話題にされるのも辛そうだった」 という話があります。 先日この文を読んだ方からご意見のメールを戴きました。その内容はともかく、 三原順さんは何故「はみだしっ子」を話題にされるのが辛そうだったか、 立野なりの意見を持っていながらどこでも語っていないことに気づいたので、 メモノートとして記しておくことにしました。

文庫版「はみだしっ子」第1巻の川原泉さんの解説 「私は陰気なグレアム君のファン」に、こんなエピソードが紹介されています。 まだ駆け出しの漫画家だった頃、川原泉さんは三原順さんと電話で話しているうちに 「はみだしっ子」ファンモードに入ってしまい、熱中して語ってしまいます。 すると三原順さんの静かな声が。

「昔の作品を、今でも話題にしてもらえるのは有難いけれど、 現在の作品について語ってもらうのは、もっと嬉しいかも。漫画家として」

過去の作品について語りまくっている立野が言うものなんですが、 この話を読んだときに立野が感じたのは「それはそうでしょう」でした。 立野は言われなくてもずっとそう思っていて、常に新作を追いつづけていましたし、 今現在最も思い入れの深い作品は「ビリーの森 ジョディの樹」です (ジョディが描く「樹」の絵を見たかった…)。 もちろん川原泉さんの文章は、 (自分にしても)同じ漫画家としてよくわかっていることだったのに、 三原順さんの前でついファンになりきってしまった…という事実を 語ることによって、褒め言葉を尽くす以上に三原順さんへの思いを表現している 素敵な文章になっています。

三原順さんは何故「はみだしっ子」を話題にされるのが辛そうだったかの 話に戻りますと、細かい理由は色々あるでしょうが、最大の理由は上記に 尽きるのではないでしょうか。何処へ行っても「あの『はみだしっ子』の」 という肩書きつきで語られ、新作について語ってもらえない、 その落差が広がれば広がるほど辛くなっていったのではないでしょうか。

それ以外の細かい理由で思いついたのを少々挙げてみます。

初期作品には露骨な引用が多い
これも解体してルーツを探っている立野が書くのもなんですが、 「はみだしっ子」を始め初期作品には三原順さん自身が影響を受けたものが ストレートに出てきて、気恥ずかしいのかも知れません。
初期衝動のような作品である
立野は「はみだしっ子」は初期衝動のような作品であり、 完成度は低いが初期衝動独特の「描かずにはいられなかった」的 魅力があると思っています。 ただ、描いた側としては多少の気恥ずかしさが残るものなのかも知れません。 いわゆる出世作である一方、人気が出るまではいつ打ちきられるかわからない、 人気が出てからは速いペースで描かされる、という、 連載漫画の宿命を一番受けている作品かもしれません。 おそらく、御本人にとっても納得のいく完成度ではないのだと思います。
「自閉症<うつろな砦>」
ベッテルハイム『自閉症<うつろな砦>』という本の中に、 マーシアという自閉症の子どもの例が詳しく書かれています。 三原順さんが「はみだしっ子シリーズ」の中で一番描きたかったという 「カッコーの鳴く森」のクークー(マーシア)は間違いなくこの本を参考に しているのですが、実は自閉症の原因についてのベッテルハイムの説は 現在ではほぼ否定されているようです。この本も現在絶版なのですが、 「自閉症の原因について誤解を広める悪書」として 図書館からも消えていたりするようで、いわば焚書に近いです。 三原順さんの作品では症状を参考にした程度と思いますので あまり関係ないと言えばそうなのでしょうが、多少は気になるかも知れません。

細かい理由はまた考えてみると色々出てきそうですが、 以上、少々挙げておいてみました。

さて、「はみだしっ子打ち切り説について」 には、「『愛蔵版』発行の時点でも、御本人は 『もう見たくない』と原稿チェックも人任せにした」という話もあります。 立野をこれを読んだときに、「メモノート(12) マックスの「八歳です」という発言について」 のような誤植放置が何故起きてしまったのかがわかった気がしました。 ご本人が原稿チェックしていなかったのですね。

それでは、三原順さんは自分が描いた「はみだしっ子」 を嫌っていたでしょうか?  ……はっきりしたことは言えませんが、たぶん、違うと思います。 一つだけ根拠を挙げるとするならば…。

本が出版されると作者にも何冊か何十冊か渡されますよね。 愛蔵版が出版されたとき(1993年)、 三原順さんはそれを友人のとある漫画家さんに献呈しました。 そのとき、三原順さんは2枚のイラストを一緒に贈っていました。 それは立野も一度ちらっと見せていただいたことがあるだけで、 お見せできないのが本当に残念なのですが、 1枚は、ひょうきんなアンジー君のイラストです。 もう1枚は、優しく微笑むグレアムでした。 後期の、より緻密になった絵柄で描かれたグレアムは、 少し大人びた感じで、澄んだ目で静かに微笑んでいました。 キャラクタへの愛情を感じさせるイラストでした。

だからなんとなく、三原順さんは「はみだしっ子」だけで 自分が語られることは嫌がっていたけれど、 作品自体に愛着がなくなっていた訳ではないのだと、 おぼろげながら立野は感じているのです。

(1999年11月 立野昧)

立野の三原順メモノート(35) (1999.11.4)

三原的な、あまりに三原的な

少女漫画の中ではしばしば「外見が奇麗なだけで何故ちやほやされるのか…」 という嫉妬の感情が描かれると思います。具体的にどれ…と言われると 最近あまり読んでいないもので出てこないですが (萩尾望都さんの「半神」はここで挙げるのにはちょっと特殊でしょうか)。

ちゃんと調べてはいませんが、少女漫画の台頭以前には 女性の側からこういった表現をして行ける場所は 少なかったのではないかと思います。だからこそ、 今まで描かれなかったそういったテーマが描かれる少女漫画が 読者を魅きつけたのかも知れません。 「私はこんなに努力しているのに、褒めてももらえない。なのに、 どうしてあの子の方が奇麗だというだけであんなにちやほやされるのか?」 …そういった苦しみが、リアルに感じられる人は案外多かったのかも知れません。

立野は、そういった漫画も好きです。ただ、たとえどんなにリアルに、 どんなに感情の動きを深く掘り下げて書いてあったとしても、 そういったテーマはそれだけでは「三原的」とは感じません。

では、どうであれば立野は「三原的」と感じるのか?

それは、嫉妬される側が単に美しいといった理由なのでなく、 人一倍(場合によっては嫉妬する側以上に)努力することによって 評価を得ている場合です。 立野が三原順さんを受け止める際の、かなり重要なポイントです。

この続きは、まだうまく書けない気がします。 でも、少しずつでも、書いて行きたいと思っています。

(1999年11月 立野昧)

立野の三原順メモノート第4集(2000年)へ続く


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(C) Mai Tateno 立野 昧