「“この位のトーンで描きたい”というシーンがあって、それに合う曲があると、 イメージを保つ為、曲をかけ続ける事はよくやります。 他の音を遮断する意味も兼ねて」
(三原順『はみだしっ子全コレクション』白泉社1982年所収 「特別対談・三原順v.s.くらもちふさこ」における三原順さんの発言より)
海の底のタコさんのお庭で遊びたいな、という感じの歌です。
「そこでは誰も言いませんから
あれをしなさいとか、これをしなさいとか」
初期短篇「ラストショー」の背景に「Take me with you」という書き込み があり、同時に「Octopus Garden」とも書き込まれています (コミックス『ラスト・ショー』 P145)。(cf. 立野の三原順メモノート(5)つれて行って)
ビートルズ時代のリンゴ・スターの代表作です。 「ブクブク」という水の音はリンゴがコップにストローでしているそうです。
この原曲があるかすら不明です。 ローリングストーンズに「哀しみのアンジー(原題: ANGIE)」という曲があり、 アンジーの名はもしかするとその曲から取ったのかも知れないのですが、 その歌詞 の中に「♪come on angie」というフレーズはありません。 サイモン&ガーファンクルの曲に「アンジー(原題: ANJI)」というのがありますが、 これはインストゥルメンタルで、歌詞はありません。 「♪come on angie」に心当たりのある方、ご一報ください。
チャットで i さんに指摘されて気づいたのですが、 サイモン&ガーファンクルの「ANJI」は元々 D. Graham という方の曲のようです。 グレアム作のアンジーというのは、偶然でしょうか(?)
1971年10月に日本でもTop40にチャートインしています。 曲調は明るくて、ハーモニカが入ったりします。 ボーカルは少し高めの男性の声です。サビのところで、 「オー、レイディローズ、アー、レイディローズ」と 繰り返し歌っています。 曲についての情報(どこそこのサイトに歌詞があるとか)、 Mungo Jerry という人についての情報、何かご存知の方は是非ご一報ください。 (cf. 立野の三原順メモノート(19))
マンゴ・ジェリー最大のヒットはおそらく1970年の 「イン・ザ・サマータイム (In The Summertime)」(cf. http://www.ne.jp/asahi/salaryman/asada/boths037.htm)。 1972年1月にウドー音楽事務所主催の「Rock Explosion '72 #1」 で来日しているようです(cf. http://www.bremen.or.jp/hemmi-m/rock70s/ccr.html)。
オリジナルアルバムは1963年の『イン・ザ・ウインド (IN THE WIND)』 (ワーナー・ミュージック・ジャパン/WPCP-3415)です。
『ベスト・オブ・P.P&M(1997 wea japan, WPCR1362)』 ("The Very Best of Peter, Paul and Mary", 1990 wea international) に収録されているものを立野入手済み。
Rain, rain, go away, Come again another day, Little Johnny wants to play.
「雨、雨、行っちまえ、 またいつか来なよ。 早よ出て遊ぼに。」北原白秋訳
初期短編「ラスト・ショー」の中でも背景に「TAKE ME WITH YOU」 という書き込みがあります(cf. 立野の三原順メモノート(5)「つれて行って」)。 はみだしっ子最終シリーズ「つれて行って」の語源だと思います。
有力な情報が有り、長年探してきた「つれていって」の曲が これであることがほぼ確定しました。歌詞をちょっとだけ紹介すると こんな感じです。
Take me with you my lovely little bird I'm all alone and your wings are strong Take me with you my lovely little bird Teach me to fly and sing me a song
小鳥に向かって、「つれて行ってよ、お空の上に」 「空高くから見るってどんな感じ?」 「君が愛を見つけたところにつれていって」 と語り掛けるような歌です。ベースやコーラスが若干入りますが 殆どピアノの弾き語りで、歌詞と同様に曲調も素朴で優しい感じです。
「ラスト・ショー」での使われ方からしても、 何らか鳥のイメージのある曲ではないかと思っていましたが、やはりそうでした。 「TAKE ME WITH YOU」が「空高く」で 「オクトパス・ガーデン」が「海深く」で、 対になった一つのイメージなのかも知れません。
(そのうち)
寄せられた情報によりますと、元ディープ・パープルのボーカルの デヴィッド・カヴァーデールのバンド、ホワイトスネイクに 「TAKE ME WITH YOU」という曲があるそうです。 調べてみると、1978年発売のアルバム『Trouble』の1曲目が 「TAKE ME WITH YOU」でした (cf http://www.geocities.com/~alansoft/ws_cd02.html)。 「ラスト・ショー」が74年、「だから旗ふるの」が75年であることから、 時代考証的には難しそうです。情報を寄せてくださった方は、 「お料理教室」でBGMとして薦められていたディープ・パープルにハマって、 ホワイトスネイクのコンサートにも行き、「つれていって」を読むと この曲を思い出すそうです。 情報をお寄せ下さってありがとうございました。
別に寄せられた情報によりますと、HONEY CONEというグループが 1970年に出したシングル曲に「TAKE ME WITH YOU」というのがあるそうです。 こちらは時代考証が合います。HONEY CONE は女性R&Bグループで、 1970年代の初頭にヒット曲を何曲か出しているようです。 「TAKE ME WITH YOU」はヒットチャートで見当たらないのですが、 ベスト盤には収録されているようです。 歌詞は、女性が男性に 「ダーリン、どこへ行くときも私を一緒につれて行ってね、置いて行かないでね」 と語りかけているような曲です。
「階段のむこうには…」のイメージ全般。
「夢をごらん」でマスターに遊園地に連れて行ってもらったとき、 ジェットコースターが降下するシーンで 「「天国への階段」ならぬ「地獄へのすべり台」」。
「階段のむこうには…」でグレアムたちが泊まりに行ったホテル。
初期短編「はろぉ・あいらぶ・ゆぅ」の中でジルが持っているレコードの タイトルが「HOTEL HELL」のように読めます。
グレアムが練習するピアノの譜面がちらっと載っているのですが不明。 「Tempo di Valz」という文字は読めるのですが…。 心当たりのある方、ご一報ください。
「Tempo di Valz」とは、「ワルツのテンポで」という意味らしいです。 情報寄せてくださった方、ありがとうございました。
さらに情報が寄せられました。
Tempo di Valzと書いてある曲、これは「ダニューブ川(ドナウ川)のさざなみ」 という 曲です。 作曲者は、私の持っていた楽譜には「イヴァノビッチ」と書かれていました。 (ここに書かれている譜面は厳密にいうといくつか音の間違いがありますが) わりあい初歩の曲集に載っていることが多いので、この頃のグレアムが弾いていたと いうのも自然だと思います。
とのことです。
CCR7thアルバム『マルディ・グラ(MARDI GRAS)』1972年 所収(CD日本盤、立野入手済み)。
お寄せいただいた情報によりますと、 「Op20 J.M C.P.E No8」は、三原順さんのエディションナンバーでは ないかとのことです。 つまり、「Out of Print 20 Jun Mihara . Cross-eyed Pirate Edition no.8」 ではないかと。なるほどです。
メールで情報戴いて判明致しました。
ブライアン・フェリーも同曲を歌っていたとも教えて戴いたのですが これは調べがつかなく、もしかするとアルバム『いつか、どこかで』 所収の「You are my sunshine」のことなのかも知れませんが未確認です。
フェリーはお好みの作家であったらしく、時々影響がうかがえます。 (ピアノの伴奏の隣りに立つ、ファムファタール風のイヴニングドレス姿は、 まさにフェリーの「煙が目にしみる」のミュージックヴィデオそのまま)
とのことですので、ブライアン・フェリーについても聴いてみたいと 思います。情報下さった方、大変参考になりました。ありがとうございました。
2001.7.10) 邦題をお知らせ戴きました。 この曲が使われた映画もあるとのことでした。 詳細掴めませんでしたが、情報ありがとうございました。
ボクが開けた門から ボクにむけ風が吹き込んで来るだろう…… そうだよ、始まるだろう---- 行く君達を山の風が迎えるだろう ボクは知っているのだけれど------ そして君達も多分は…… それがバラの花園の始まりだなんて 誰も約束しないのだと
「ごめんなさいという感じでしょうか。
お日様の光に満ちたバラの花園は約束できないの
きっとちょっぴり雨の時もあるわ」
「もし手がなければ」というのはキャット・スティーブンス 「ムーン・シャドウ」より。と述べています。
1 今は山中 今は浜 今は鉄橋 渡るぞと 思うまもなく トンネルの やみを通って 広野原 2 遠くに見える 村のやね 近くに見える 町の軒 森や林や 田や畑 あとへあとへと 飛んで行く 3 まわり灯ろうの 絵のように かわる景色の おもしろさ 見とれてそれと 知らぬ間に 早くもすぎる 幾十里
「幸せの青い小鳥は虹の向うへ飛ぶのに どうして… どうして私 行けないの? (If happy little bluebirds fly Beyond the rainbow Why, oh, why can't I?)」
MGMミュージカル映画『オズの魔法使』で主役のドロシーを演じる ジュディ・ガーランドが、井戸端ではるか彼方への想いを歌う歌。 「これは大不況が徐々に収束しつつある中で、トンネルの果てに 明かりを垣間見始めた国民こぞっての願いを代弁するものだった」 (CD『スタンダード・ポップス黄金時代』の解説より)。
そう言えば、『Sons』におけるDDの空想にも案山子が出てきたりして、 なんとなく『オズの魔法使』の影響を感じますよね。
ずっとショパンの「葬送行進曲」を紹介していたのですが、 ベートーベンの交響曲第3『英雄』第2楽章の「葬送行進曲」 ではないかという意見が寄せられました。 元は交響曲である訳ですが、リスト編曲によるピアノ版の「葬送行進曲」 がイメージに合うのだそうです。
ベートーベンの『英雄』は、初期短編「はろぉ・あいらぶ・ゆぅ」 に出てきますし、その最後には「葬送行進曲奏ってやるつもりが…」という セリフまで出てきます(→ ベートーベン) 「三原順さんはベートーベンを好まれたようなので、 そちらの方なのだという気がしてきました。
立野もまだ聴いたことがないのですが、聴いてみたいと思っています。
ショパンのものは、 立野はコルトーのショパンピアノソナタ集(演奏:1933年)で所有。
はみだしっ子最終回のラジオから流れる曲については カッコー鳥(つれて行って)を参照。 ピーター・ポール&マリーの曲の説が有力です。
ジャニス・ジョップリンの「クークー」は、 「カッコー鳥」の伝承曲を元にアレンジされたもの。 1968年にシングルカットされています。
ストーンズの方は " My sweet lady Jane, when I see you again " と始まります。アンジーの歌はWAKAMEとなっていたりしますが(^^;)、 たぶん、これでは…。
『MEGA HITS '70s』の落合隆さんの解説によると、テリー・ジャックスは カナダのウィニペグ生まれで、 「カナディアン・ポップ・カルテット、ザ・ポッピー・ファミリーの ギタリスト兼コンポーザーとして70年代初頭にヒット曲を連発し、 '73年のグループ解散後、ソロとしてデビュー」。 そよ風のバラードは「'63年にキングストン・トリオによって吹き込まれた 名演でもおなじみの作品のカバーで、'74年3月の全米チャートで3週連続の NO.1を記録した他、同時期の全英チャートでもみごとNO.1に輝いた名曲」 とのことです。
CROUD CASTLE の記事 「はみだしっ子と音符達♪」 によると、「そよ風のバラード」は、 「フランスのシャンソン歌手 J・ブレル作曲の 「そよ風のバラード(瀕死の人)」という曲を原曲に持ち、 これにロッド・マッケンという人が英詩をつけ、テリー・ジャックス という歌い手さんが '74年に大ヒットさせた」となっています。
新星堂の「ポエジー・エ・シャンソン」という企画CDの 解説を見ると、「ジャック・ブレル、ジョルジュ・ブラッサンス、 レオ・フェレ。彼らはいずれも、自ら作詞・作曲したシャンソンを歌う シンガー・ソングライター」とのこと。
『ジャック・ブレルのすべて』における大野修平氏による曲解説では、 「瀕死の人(そよ風のバラード)」について次のように書かれています。
春先に死んでいこうとする主人公が、彼の周囲に集まった友人や司祭や妻に 最後の言葉をかけている情景が歌われている
主人公の言葉の部分がクゥプレで、「人々が笑ってくれるように 人々が踊ってくれるように……」と歌われる部分がルフランを構成する。 踊りやお祭り騒ぎで送ってくれ、と望む彼の気持ちに報いるかのように、 ルフランの箇所のメロディーは明朗だ。クゥプレに出てくる「花の咲く所」は、 より具体的にはこれから自分が埋葬される墓場のことを指すと思われるが、 より想像をたくましくすれば彼岸の世界までも暗示しているようにも 受け取れよう。1961年の作品。
ロッド・マッケン(Rod McKuen)は、ジャック・ブレルのシャンソンに 英語詩をつけて歌うという事を何曲もやっているようです。 例えば、「NE ME QUITTE PAS(泣かないで)」を英題「IF YOU GO AWAY」 で歌っています。
ジャック・ブレルは力強い感じもしますが、テーマは重く、 過激さも感じます。死を扱った曲もいくつかあり、「瀕死の人」と 同様のシチュエーションで歌われる「最後の晩餐 (LE DERNIER REPAS)」、 そして「孤独への道 (J'ARRIVE)」。 大野修平氏の「孤独への道」の解説では次のように書かれています。
この長いシャンソンもまた、死者たちへ向かって放たれた これから死んで行こうとする者の叫びとなっている。 いつかは自分の番が来るとは思っていた。だから “J'arrive”(いま行くよ)と叫ぶ。しかし、そう言ったそばから ふと疑問が頭をもたげる。「でも、どうして私なのか なぜいまなのか どうしてもう私の番なのか どこへ行くのか」。 死の直前に陽気に振る舞っていた「瀕死の人」や「最後の晩餐」の主人公が、 本当は心の奥底に秘めていたはずのこれらの不安な思いはいま、 ブレルの口から歌われる。生まれて来た時と同じように、 たったひとりで死んで行かなければならない人間の孤独。 ブレルの力強い歌唱が、聴く者の死への恐怖をやわらげてくれるかのようだ。
歌詞も載っていないので(載っていてもフランス語は全く読めないですけど^^;)、 解説のイメージが頼りになっていますが、とても気になる解説ではあります。 三原順さんがジャック・ブレルを聴いていたかは不明ですが、 シャンソンというジャンルも聴かれていたのは間違いないでしょう。
ジャズ・ギタリストの Pat Metheny なのではないかという情報を メールで戴きました。Pat Metheny Group という名前では 1978年に同名のアルバムを発表したのが最初で、 「つれて行って」の連載時期からしてもこれである気がします。
戴いた情報によると:
決定的なのは、「Sons」文庫版1巻の160頁の”パット”という女の子。 シマシャツ着てます。実はMETHENY氏はライブではシマシャツを着て 演奏する事で有名なのです。(サーニンの元ネタだったら良いなー、 と思っていたのですが時代的に合いません。 ←彼がブレイクしたのは79年。残念。)
とのことでした。他にも短編「君の好きな帰り道」に出てくる カセットテープについて、情報をお寄せ戴きました。ありがとうございました。
チャイコフスキー「くるみ割り人形」をベースにした 軽快なインストゥルメンタル曲です。 アルバムタイトル通り、メインはムソルグスキーのピアノ組曲「展覧会の絵」。 このアルバムは実は、1971年3月26日、イギリスの ニューキャッスル・シティ・ホールでのライブ録音。 日本盤の伊藤政則氏の解説によると、 もともとキース・エマーソンは「展覧会の絵」を個人的な楽しみで アレンジしていたのだが、バンドのリハーサルで演奏するようになり、やがて ステージでも演奏するようになった。レコード化の気はなかったが、 「展覧会の絵」のあまりの人気に海賊盤が後を絶たず、ついに オフィシャルなライブアルバムが制作されたといういきさつがあるらしい。 「ナットロッカー」は「展覧会の絵」が一通り終わった後の ラストの曲として収められている事からも、アンコールに演奏されたものと 思われます。
日本盤の解説によると、キース・エマーソンは ステージ場での壮絶なパフォーマンスでも有名だった様です。
第1幕第1場第2景「行進曲」が EL&Pのナットロッカーの元になっていると思います。
ところで立野が今回聴いた「くるみ割り人形」は2枚組CD 『チャイコフスキー: くるみ割り人形 全曲』 (フィルハーモニア管弦楽団、1985年録音、CBS/SONY、48DC 5116〜7) なのですが、ふと指揮者の名前を見ると、 マイケル・ティルソン・トーマス (Michael Tilson Thomas) と書いてあるではないですか。 サーニンの本名マイケル・トーマスと同じです。偶然!?
このCDの志鳥栄八郎氏による指揮者紹介によると、 マイケル・ティルソン・トーマスは1944年、アメリカのロサンジェルス生まれ。 指揮法はピエール・ブレーズに師事し、1968年にはクーセヴィツキー賞を 受賞、1972〜74年はボストン交響楽団の首席客演指揮者、1981〜85年は ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団でジェリーニの補佐役を務め、 1988年にロンドン交響楽団の首席指揮者に就任。たいへんレパートリーの広い 指揮者で、ルネッサンスからウルトラ・モダンまで実に器用にこなし、 その一方、ベートーヴェンの「交響曲全集」のように、小編成のオーケストラを 用いてベートーヴェン時代の演奏形態を復元させるといった学者的な一面も 持っている、とのことです。
(1) Take me back to the place where I first saw the light To the sweet sunny south, take me home Where the mockingbirds sing me to sleep in the night Oh why was I tempted to roam (2) Oh I think with regret of the dear home I left Of the warm hearts that sheltered me there Of my wife and my family for whom I'm bereft For the old place again, do I sigh (3) Take me back to the place where the orange trees grow To my home in the evergreen shade Where the flowers from the river's green margins did grow And spread their sweet scent through the glade (4) Oh the path to our cottage they say has grown green And the place is quite lonely around And I know that the faces and forms that I loved Now lie 'neath the cold, mossy ground (5) Take me back to the place where my little ones sleep For a bod that lies buried close by For the graves of my loved ones, I long for relief And among them to rest when I die (6) But, yet I'll return to the place of my birth Oh the children are playing 'round the door And I know that no matter how long I may live They'll echo their footsteps no more
上記の英語詩は某サイトで見つけたものですが、 「Sweet Sunny South」は伝承歌で、色々な人が演奏した 色々なヴァージョンがあります。分類としては ブルーグラス(Bluegrass)、ブルース(Blues)、フォーク(Folk)の アーティストたちによる演奏が多いようです。
三原順さんが少なくともこれは聴いていたと思われる
ヴァージョンがあります。ジョーン・バエズの1969年のアルバム
『One Day At A Time』(VANGUARD, 79310-2) (日本盤は出ていない?)
に収録の「TAKE ME BACK TO THE SWEET SUNNY SOUTH」です。
タイトルに「Take me back to the」がついてしまっていますが、
「Sweet Sunny South」の一つのヴァージョンです。
三原順さんはジョーン・バエズをお聴きになっていたようですし、
同じアルバムに「黒いベール」
「ジョー・ヒル」といった元ネタ曲があるので、
このアルバムを聴いていた確率は高いと思います。
輸入盤で聴いてみたところ、上の英語詩のうち、
(1) → (4) → (1) → (3) → (1)
と歌われて終わります。細かい歌詞は微妙に違って聞こえます。
「to the sweet sunny south」をジョーン・バエズは「to my sweet sunny south」
と歌っているようですし、「sleep in the night」は「sleep every night」と
聞こえます。
元々はトラッドソングで、 アパラチア地方で歌い踊られていたダンスソングらしい (1929年にレコード化されたものもあるとか)。 1965年、ピーター・ポール&マリー版でヒット。 クークーが病院から抜け出すきっかけになったラジオから流れてきた曲は、 PP&M版の説が有力。
クークーの名前の由来になったのは Janis Joplin の「COO COO」 の説もあるのですが、こちらは「The Cuckoo」をベースにアレンジしたものらしい。 (cf. クークー(カッコーの鳴く森))
ベイ・シティ・ローラーズの「カッコー鳥」の説も寄せられましたが、 これは原題が「Are you cuckoo?」で、歌詞を見ると違う系統のようでした。
ロリー・ギャラガーという方がBBCのライブ番組でリクエストに応えて 「oh the cockoo」というフレーズが入った歌をギター一本で歌ったことが あるそうですが、PP&Mの「カッコー鳥」と同じ曲かは未確認です。
(1999.10.27)ロリー・ギャラガーについて、追加情報を戴きました。
「カッコー鳥」の欄で、ちらっとロリー・ギャラガーの歌ったヴァージョンの 話が出ていましたが、彼が歌ったのはPP&Mのそれと同じです。 しかしながら1972年当時のことではレコードも入手不可に近く、 現時点でこれが聴けるのは、洋盤のブートレグ"Bullfrog Interlude" (CDは1990年発売)だけと思われます。彼自身は1995年6月14日 に、肝臓移植に失敗し47歳で亡くなっています。
…とのことです。三原順さんが亡くなられて約3カ月後ですね。 御冥福をお祈り致します。関連リンクを二つ教えて戴きました。 http://www.cork-guide.ie/newsinfo/rory_gallagher.html と http://www.hut.fi/~khagelbe/rory/discography/rory_gallagher.html です。立野も調査出来ていませんが、興味がある方はお立ち寄り下さい。
「ルーとソロモン」は、サブタイトルがすべて元ネタがある気が してしまいます。音楽とは限らないとは思いますが…。 それで、とりあえずサブタイトルは全部いれています。(^^;)
「ルー」というキャラクタの名前がヴェルヴェット・アンダーグラウンドの ルー・リードから取られていたのではないかと思いつつ、否定していたのは、 ルー・リードは男性であり、「ルー」は正確にはルシールであり 女の子であったからです(cf.「戯(そばえ)」の回)。
けれど、『ルーとソロモン』文庫版第2巻の島田さんの解説で、 「作者はソロモンをいたぶるためなら、男の子のつもりで描いていたに違いない ルーを、女の子に変更させる事さえ厭わない」というのを読んで、 もしかすると「ルー」はネーミングの時点ではルー・リードから取ったのかも 知れないと思いました。
No.69というのは謎です。
No.69というのはやはり謎です。
イーノというキャラクタの名前
ソロモンがルーの介抱のために見ている「犬の医学」の本に書かれている
「‘ENO’TO IU NAMAEWA ENGLAND NO BRIAN-ENO KARA TOTTE TSUKE TANOYO!」
『はみだしっ子語録』の中で、 「僕は滅多に愚痴など言わないのですが…」について、
*「僕は本当に哀れな少年なんです。めったに身の上話はしませんが」 ではじまるサイモン&ガーファンクルの「ボクサー」が発想のもとです。という三原順さんのコメントがあります。
次のような情報が寄せられました。
童謡(?)の「小さい秋」(「♪誰かさんが 誰かさんが 誰かさんがみつけた ♪」というあれです。)の中の歌詞で、♪お部屋は北向き くもりのガラスというのを聞いた事がありますが、それとは違うでしょうか?。
やはり同じように「小さい秋みつけた」の2番を連想していた方が いらっしゃったようです。
そういう音楽があるか不明です。 ご存じの方、教えてください。
次のような情報が寄せられました。
ロシア民謡「一週間」で似た歌詞を聞いた事があります。 日本語のしか聞いた事はありませんが、♪日曜日は市場へ出かけ 糸と麻を買ってきたというものです。
『はみだしっ子語録』の中で、 「時は流れ……、オレは大きくなって、ツリーは小さくなった」について、
*ビージーズの昔の曲「FIRST OB MAY」(若葉の頃)より。という三原順さんのコメントがあります。
もしかすると違うかもですが…。
「リロイ・ブラウンは悪い奴」は 1973年7月21日付けビルボード誌でチャート1位になった曲(2週連続1位)。 ジム・クロウチ氏は、その2ヶ月後、飛行機事故で亡くなっています。
「ABC のドラマで流されて好評だった「タイム・イン・ア・ボトル」 が次のシングルに決まり、サード・アルバムも録音を終えた8日後の9月20日、 次のコンサート地へ行くために乗っていた飛行機が離陸に失敗、 ジムとモーリー・ミューライゼンを含むスタッフ5人が死亡した」
「死後、「タイム・イン・ア・ボトル」は1位を獲得、年末には、 最後のオリジナルアルバム『美しすぎる遺作』も発表され、 ビルボードのアルバムチャートのベスト10に3枚が同時にランク・インするほどの 再評価を受ける(このとき、かくアルバムは最高位、1,7,2位を記録する。 翌年出た『グレイティスと・ヒッツ』も2位)。しかし、これから、 もっともっとすてきな歌を聴かせてくれるはずだった矢先の事故は悔しすぎる。 1年ちょっとの栄光、30歳での夭折、本当に歴史は意地悪だ」
(伊藤悟の音楽の本 http://plaza26.mbn.or.jp/~sukotan/itomusic.html より)
“If I could save time in a bottle...”で始まる 「タイム・イン・ア・ボトル (Time In A Bottle)」には “If I had a box just for wishes...” と言った歌詞もあり、三原順さんの短編「イン・ア・ボックス・イン・ア・ボトル」 のイメージになったのではないかという気がします (済みません、英語詩が汲み取れてません…)。 この短編の主人公の少年リロイの綴りがLEROYであることは作品中に出てきますが (文庫70sP327)、リロイ・ブラウン(Leroy Brown)と同じです。
音楽ではないですけど、井伏鱒二さんの短編「屋根の上のサワン」に引っかけて 「屋根の上のワンワン」なのかも?
次のようなコメントを頂きました。
「屋根の上のバイオリン弾き」もありますけど、 これもイメージとしては違いますね。
「追憶」を探していて 見つけたLPに作品タイトルと同タイトルの曲がありました。 こんな感じです。
今の一瞬は夢をみない
やってくるや否や終ってしまう
あらあらしくって おく病者
力もなくて すぐつかまってしまう
あっというまに生まれる
今の一瞬は消え失せる運命だから
…………… それを捕まえなくてはいけない
やさしいことばと しぐさでもって
それは未来と過去になる
この作品のラストのフレーズ:
「もし時をおぎなえれるなら…ぼくはこのひとときを、
とらえて…にがさず… このひとときを… このひとときを…」
のイメージでしょうか。
ところで、この短編の中でも「つれて行って」という言葉が 繰り返し使われています。締め出されたルーが小猫に話し掛ける: 「ぼくといてくれる? いっちゃうの? 子猫、 つれていってよ! どこへいくの? ぼくもつれていって! きみもみなし子かい? つれていってよ…子猫ちゃん!」
1969年、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード主演の映画 「明日に向かって撃て」の主題歌。 1970年のビルボードNo.1ヒットになっている。
『はみだしっ子語録』の中に、 「森に空しく残された食卓と、ああ……同様だ」について
*「フェアウェル・アンジェリーナ」という曲の中にこんな様な (同じではないと思った?)一節あり。 歌手ジョン・バエズで聞いたのですが……記憶アイマイ……。
という三原順さんのコメントがあります。
ジョーン・バエズの6thアルバム『フェアウェル・アンジェリーナ』 の1曲目がこの曲で、歌詞を確かめてみると、 「♪ Everything's still the same Just a table standing empty By the edge of the sea」というフレーズがあります。 「海辺に空しく残された…」ですかね。
ところで、この「フェアウェル・アンジェリーナ」の歌詞の中には、 「cross-eyed pirate」が出てきます。
1971年のヒット曲。
ちなみに、短編「遥かなる祈り」に出てきて病弱で死んでしまう女の子の 名前がジュリアです。
『はみだしっ子語録』の中に、 「血と肉と弱さから出来ていた」について
*シャルル・アズナブールの曲、「追憶」「JENOUBLIERAI JAMAIS」 の一節です。
という三原順さんのコメントがあります。
タイトルは「Je n'oublierai jamais」ではないかと教えてくださった方が おりました。ありがとうございます。確かに、フランス語としてはこちらが正しい ようで、意味は英語で言うなら「I WILL NEVER FORGET」です。 ずっと探していてなかなか見つからなかったのですが、 やっと中古盤で次のLPを入手することができました。
シャルル・アズナブール
『ゴールデン・プライズ=第3集』
1971年 キングレコード (GP 46)
シャルル・アズナブールはシャンソンです。 この前ページの、 「ボク達は愛の苦い杯をのみほした——部屋には青白い夢が漂う」 から詩的な表現が続いているのですが、これらもシャンソンっぽいイメージが しますよね。問題のフレーズのあたりの歌詞をちょっとだけ紹介します。
私は決して忘れない
貴重な画や美術品をみて発したわれわれの叫びを
わざと柄の悪い風をして
不礼なふるまいをしたことを
厚かましく、憎々しく思われたくても
われわれはロマンチックだった
血と肉と弱さで出来ていたから
私は決して忘れない
私は悔いていない、そしてもし
若さが残っているなら もう一度同じことをやりたい
底ぬけに陽気で
ふざけてばかりいたあの頃
かげりのある
哲人、作家、にわか詩人
無名の挿絵家だった
でもわれわれの食欲は旺盛だった
私は決して忘れない、われわれのうたげを
なお、このLPの中にやはり初期短編と同じタイトルの 「このひとときを」という曲がありました (see 「このひとときを」)。
「そよ風のバラード」に「We had joy, we had fun, we had seasons in the sun」 というフレーズがあって、これが 「そこにはよろこびと楽しみがあり! すべてかがやいていた!」となっている のかも。「ようきなオバケ」は「花とゆめ 1974年 7月号」で、 「そよ風のバラード」は1974年3月に全米No.1ヒットとなっているので、 時代的にはちょうどですし。
日本盤の解説によると、フランス語の歌詞ということでしたが、
アート・ガーファンクルに直接質問したという人のレポートがあり(cf.
http://www.ne.jp/asahi/sg24164/hiroshi/travel/98-1-1-6.htm
)、アートの回答では、
1.どうやらあの歌はフランス語ではなく、「フランス語に似た」言葉らしい。
2.どうも、ニュー・オリンズ入植者達が使っていた言葉らしい。
3.そんなわけで、Art自身も「意味は難しくて良く分からない」らしい。
とのことだったそうです。
ニュースグループ alt.music.paul-simon でこの歌の歌詞が調査された 結果によると、ハイチ民謡らしいです。歌詞はハイチ・クレオール語で、 貧しいのに娘が病気になり…という悲しい歌だとのことでした (詳しくはこちらをご参照下さい→ http://www.ne.jp/asahi/art/garfunkel/angel.htm#5)。
『MEGA HITS '70s』の落合隆さんの解説によると、ドーンは N.Y.出身のトニー・オーランドを中心に、テルマ・ホプキンス、 ジョイス・ヴィンセントらのポップ・ヴォーカル・トリオで、 「70年代に“恋するキャンディダ”(全米最高3位)や “ノックは3回”(同1位)などといったヒット曲を連発」。 「幸せの黄色いリボン」は「'73年4月から翌月にかけて 4週連続全米NO.1に輝いた、彼ら最大のヒット曲。ほぼ同時期に 全英チャートでも1位に輝いている」とのこと。
歌詞を読むだけで、作品のイメージに使われたのがよくわかります。
「どうか あの古い樫の木に黄色いリボンを巻いておくれ」
「Hello, I Love You」と聞くとやっぱりドアーズ (The Doors) を 連想するのですが、あの漫画にドアーズ? (自信なし ^^;)
文庫P304: 「そしてベートーヴェンが好き」 「『熱情』ピアニストはバックハウスがいいな」「ケンプしかないよ」 「それから『英雄』」「ドレスデン・フィル」「ベルリン・フィル」
文庫P308: 「葬送行進曲奏ってやるつもりが…」
他にご存じの方、教えてください。 一応、「君の好きな帰り道」の発表('79 花とゆめ 2号)以前のものがよいです。
エラ&ルイのCD『ポーギーとベス』の解説によりますと、 「ジャズ・バージョンやジャズ・ヴォーカル/ ポピュラー・ヴォーカル・ヴァージョンのアルバムは数多く作られている。 マイルス・デイヴィスとギル・エヴァンス、 MJQなどの作品は有名だ」「ノーマン・グランツは1976年に レイ・チャールズとクレオ・レインの共演、および オスカー・ピーターソンとジョー・パスの共演という2種類の 異色力作アルバムをプロデュースして好評を得た」のように紹介されています。
「サマータイム」は1935年にアメリカの作曲家 ジョージ・ガーシュウィン (George Gershwin, 1898〜1937) が書いた フォーク・オペラ「ポーギーとベス」の第1幕第1場で使われる子守歌です。 「ポーギーとベス」はデュボース・ヘイワード (Du Bose Heyward, 1985〜1940) の小説「ポーギー」(1925年出版)から生まれたオペラです。 「ポーギー」は足が不自由だが優しい黒人ポーギーの物語。 ガーシュウィンはこの作品で、ヨーロッパ・オペラの形式を一応 用いてはいるが、題材も音楽もアメリカ黒人のものに根差した作品 であるとの理由で、フォーク・オペラ(民俗オペラ)と呼んだとのこと。
このコメントは、ポリドールより発売のエラ&ルイ『ポーギーとベス』の CD化版(1990年、POCJ-1830)の青木啓氏の解説を参考にさせていただきました。
M.J.Wilkin / Danny Dill の作曲、たぶんアメリカ、1958年。 けれどこのアーティストについては全く知りません。 私が知っているのは68年の THE BAND のファーストアルバム、 [MUSIC FROM BIG PINK] でのカバーです。 69年のウッドストックでも演奏されたそうです。 CD復刻もしています、大変入手しやすいです。 南部の古いバラッド調の曲でいかにも THE BAND 風なのですが。上記のサビはジョーン・バエズバージョンと同じなので、おそらく 同じ曲なのだと思います。三原順さんはどちらも聞いていたかも知れませんが、 現状ではザ・バンドのバージョンの方が入手し易いかも知れません。Nobody know oh yeah nobody see Nobody know but meというサビでしめくくられます。
Hush, little baby, don't say a word, Papa's going to buy you a mocking bird. If that mocking bird won't sing, Papa's going to buy you a diamond ring. If that diamond ring turns brass, Papa's going to buy you a looking glass. If that looking glass gets broke, Papa's going to buy you a billy-goat. And if that billy-goat runs away, Papa's going to buy you another today. And all of these things your Papa will do Because of the way that he loves you.別バージョン
Hush, little baby, don't say a word, Papa's going to buy you a mocking bird. If that mocking bird won't sing, Papa's going to buy you a diamond ring. If that diamond ring won't shine, Papa's going to buy you a bottle of wine. If that bottle of wine gets broke, Papa's going to buy you a billy-goat. And if that billy-goat runs away, Papa's going to buy you another today. And all of these things your Papa will do Because you're the best little boy/girl in the world.