「はみだしっこ」大好きでした。 亡くなられたのは風の噂には聞いていたのですが、 漫画から遠ざかっていたので確かめるスベも無く。 間違いであって欲しいと思っていたのですが・・・・・(/_;) 三原先生、たくさんの夢と感動をありがとうございました!!
友人のページからここにたどり着きました。 「はみだしっ子」を読んだのはつい1〜2年前、文庫になってからです。10代のときに出会っていればもっとはまったかも、と思いつつ、ふと思い立っては何度も全巻読み通してきました。(実は今日もです。)自分が親になったときに読み返せば、また違った感想を持つんだろうな…。 他の作品も読んでみたいです。
花束がもっともっと増えますように…。
順様、はにかんだ笑顔が忘れられません。 心に傷を持つ人に、なぐさめだけではない何かを気付かせてくれましたよね。
あの頃、あんなにすがっていたのに、いつの間にか離れていて……。なくしてから、気付く事が、あまりにも多いです。
ただ、唯一の救いは、貴女が最期まで描き続けてくれた事。そして、たくさんの人が、こんなに熱い想いでいる事です。
このHPをまだ知らない、たくさんの人々が、貴女のことを求めているでしょう。本当に、何らかの形で残していかねばならないと思います。
順様、貴女が求めていた、いつか、行きたい所にたどりつけましたか?
安らかに眠ってください。
LINK HP紹介からたどってきました。今日、初めて「はみだしっ子」が打ち切られた事、「はみだしっ子2」が企画されていた事を知り、改めて、彼女の早すぎる死が悲しくなりました。
今日、「SONS」を再度読み返し、もっと、数多くの作品を残して欲しかったと痛切に感じました。今、私たちが出来る事は、少なくとも彼女の作品が忘れられないように、又、少しでも多くの作品が再版され、新しい多くの人が読んでくれるようにと願って動く事ぐらいです。 「はみだしっ子」は確かに彼女の代表作ですが、彼女の作品の魅力はそれだけではありません。
この9月、白泉社文庫から三原順傑作選が2巻発売されましたが、これを第一歩として、少なくとも「SONS」や「X-DAY」の再版もされる事を願います。一人でも多くの人の目に触れて欲しいです。この傑作選も少しでも多くの方が買ってくださいますように。その販売如何で今後の発売スケジュールが決まるでしょうから。
三原さん、本当に、まだ、聞きたい事が沢山あったように思います。 本当に、まだ、逝かないでいて欲しかった。
「はみだしっ子」にであったのは中学生の時。 グレアムが幸せになったら私も幸せになれるような気がして、熱中して読んでいました。 今でも読み返すと、懐かしい、というより、痛いです。
本当に好きでした。グレアム君 でも、好きだったのは誰だったのだろうと、時々考えてしまいます。 きっと、出でくる皆の所々に隠れている”三原順”が好きだったのでしょう。 私の中学時代からの愛読書です。
遺作を読み、はじめて三原さんの死が現実のものとして感じられました。もう、この人には出会えないんだってことが、身近に感じられたからでしょうか。三原作品と出会ってから3,4ヶ月しかたっていませんが、三原さんは私にとってなくてはならない存在になっています。苦しいこと、つらいこと、たくさんあるけど、三原さんの作品があるから、がんばれるって思います。三原さん、ありがとう。
三原順さんのまんがに(はみだしっ子に) 出会えなかった自分のことを想像してみる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!! あの日の花とゆめを手に取れたことは幸運です。 三原さんを感じられる自分で良かった。 20年経った今でも、4人のことを考えると、 胸が苦しかったり痛かったり。 それで、右手はシャーペンを離せなくなるのです。
リンクをたどっているうちにいつのまにか来ました。 画面に釘付けになりながら、読みました。これだけ、「語ることの出来る」マンガ(小説、映画エトセトラ)ってあるでしょうか? 続きが読みたかったです。あのラスト、リアルタイムで読んでいましたが、納得出来なかった。終わってしまったことが信じられなかった中学生の私。 皆さんの意見を読んで、左手のなぞや、いろんな疑問がずいぶん解けたような気がします。もう一回読み直してみます。久しぶりに。 最後に一言! グレアムー!!
とてもショックでした。中学時代夢中になって、 はみだしっ子読みました。 とてもいろいろ考えさせられ、いつまでも記憶に 残ってます。あと、ルーとソロモンも何度も 読み直したことがあります。きっと、三原先生の 作品をよめば、今の学生間のいじめとかなくなるんじゃ ないかと思います。 慎んでごめい福をお祈りいたします。
「傑作集」を読んで、また「はみだしっ子」本編を読み返して・・・ と、三原ワールドを貪る2日弱を過ごしたところです。読めば読むほど愛情が湧いてきます。そして・・・続編を夢見てしまい、涙がでます。「夢中毒」になれる可能性もないなんて・・・。せめて、花束をお送りしたいと思います。
ふいに、思い立って三原さんの名前を検索してこの部屋を見つけました。わたしにとっても、三原さんの世界は永遠に残っています。 三原さんの訃報をきいた日、あわてて出版社に問い合わせたのを思い出します。それからまもなくのこと、気がつくとわたしは北海道に旅をしていました。三原さんが、その地に眠っているなら、せめて近くに行きたいと思ったからです。 今もわたしは、途方に暮れると、寝転がって両手を差し伸ばす、マックスが『奴らが消えた夜』の中でしていたポーズをしてしまいます。あえて、真似をしようと思うこともなく、いつのまにか身についた癖です。 あの4人の言葉はいつも自分の言葉として読んでいました。 三原さんへ『もっと花束を!』
花ゆめの付録の等身大ポスターも、今ではハゲ落ち、私も年をとりました.でもG・A・S・Mは心の中に色鮮やかに生きています。グレアムが好きでした.でも、一番共感できるのがアンジーでした。今ごろ4人はいったい何やってんだ?
三原作品は私の生活に染み込んでいました。 子供の時から読んでると人格形成上の影響もあります。 何度読んでも読み切った感じのしない、私にとっては人生の文学作品です。 ご冥福をお祈りします。
休ミ→今度友人のお家に行って三原さんのマンガを読ませて頂きます。 直也→大学のゼミのレポートで取り上げました。でも教授の反応はいまいちでした。
三原さんの訃報を聞いたのは、留学先で友人からの電話によるものでした。場所も気分的にもあまりにも遠くにいたため、とっさには何の感情も沸いてきませんしたが、その後、送られてきた「ジョディの森…」にまいてあった三原さんの死を告げる黒帯びをみて、現実なんだと茫然とし、気づくと涙をながしていました。3年以上たった今も、もしかしたら埋もれた作品があるのではないかと古本屋で「三原順」の名前を探してしまいます。三原作品全編に流れる動かしようのない「世の中」「現実」「人間」に対する憤り(とでもいうのでしょうか?)は、いつのまにか自分のものとなって私の中で脈々と息づいています。あのような作品を世に送り出すのは、きっと想像を絶する苦しみが伴ったのではないでしょうか。それでも作品として残してくれた三原さんに、驚嘆と感謝を感じずにはいられません。 本当に、心から、ご冥福をお祈り致します。
死は終りではないと信じています。 うちの猫の名前はアンジー。 いまでもどこかにでかけるとき、早めに行ってゆっくりするかとグレアムを思い出します。
高校の時、友人に借りた一冊が、三原作品との出会いでした。はみだしっ子。それ以来、グレアムたち四人が、私の心の奥に住みはじめました。手提げを作っては、グレアムや、アンジーの刺繍をしたこともあります。落ち込んだときは、空を見上げて、気を取り直して、猫踏んじゃった、とつぶやいたりしました。悩んだときは、心の中に、何人もの自分を登場させ、対決させたものです。 訃報を聞いたときは、我が耳を疑いました。信じられなかった。しばらくは、呆然として、何も考えられませんでした。 どうか、安らかに眠ってください。ご冥福をお祈りします。
9月11日、文庫が2冊同時発行ということで、帰り道に本屋に立ち寄ります。未収録作品や単行本に入らなかったページなども入っていると良いですね、と期待しているのですが。
明日、いや今日は三原先生の本の発売日なので、本の発売日なので、花を贈ろうと思って立ち寄りました。
今でも好きなまんがはと聞かれると「はみだしっ子」を挙げます。最初に読んだ時には彼らより年下でしたが、今では……。それでも彼らにまだ追いついていないような気がします。
三原先生が亡くなられたと知った時は、あまりのショックで涙が止まりまえんでした。小学生の頃から読み続けて、今はもう20歳を過ぎてしまいました。三原先生の作品は優しくて、そして<本当のこと>ばかり描いていると思います。一生尊敬し続ける漫画家さんです。お花を一束、飾らせて下さい。
中学生の時クラスの友達といつもこの作品の話で盛り上がっていました。嫁入り道具にも単行本を抱え、今は小学生の娘がはまっています。今でも時々読み返すことがあり、その度に涙がでるので子供の前では読めません。 続きを予定されていられたこと、このHPで知りました。読みたかったです。亡くなられたことは他で知りその時もしばらくショックでしたが今回も涙がでてしまいました。でも今でもこんなに沢山の方の心の中にはみだしっ子がいることを知ることが出来て立野さんに感謝しています (私はサーニンがごひいきすじです)
こんなホームページがあったなんて、うれしいです。 小・中学校と彼らとともに過ごしました。 ぜひ、花束を贈らせて下さい。
先生ご自身のことは何一つ知りませんでした。 その死のことさえも。 懐かしい4人組と先生に赤い薔薇を捧げます。
三原順さん、大好きです。 こんど花とゆめの文庫本版でロングロングアゴーが復刻されるとのこと、楽しみにしています。
BBSと内容が重複しますが・・・三原先生のファンの方々がこんなに沢山いらっしゃって本当に嬉しいです。 先生が亡くなってからもう三年もたつんですね・・・。「はみだしっ子」続編の話は初耳でした。ああ、やっぱり・・・っていう感じです。 本当に本当に読みたかった。残念でなりません。 小学生から中学生の間に、影響を受けたという方が多いですね。私も同世代ですが、多感だったあの頃に三原先生の作品に出会えたことを感謝します。 (いや、もしかしたら出会わなかった方が、普通の女として幸せだったのかもしれませんね) 数年前我が家にやってきたぺんぎんのぬいぐるみは、「ぐれ」と名付けました。(でも本当は、アンジー命なんです・・・)
昨日の真夜中ふとGとMの再会のシーンが思い浮かびました。 そしてここを初めて訪れてお亡くなりになっている事、また再開の予定があった事を知り、 とてもショックです。もう永遠に読めないと思うとつくづく残念です。 昔よく4人が大人になった時のストーリーを色々考えていた事を思い出します。 「はみだしっ子」は私の10代の時の心の大部分を占めるものでした・・・
はみだしっ子はリアルタイムで読んでました。 私のバイブルです。 はみだしっ子には私の欲しい物がありました。昔も今も そしてこれからも。 三原先生のご冥福をお祈りいたします。
今でも4人のことを考えると胸が甘く痛みます。 彼らがいつも幸せでありますように。
グレアムと自分の性格がよく似てて・・・救われたくて読んでました。 救われたのかな$ ▲哀譽▲爐蓮亜亜──( アンジーみたいな人に会いたいですねぇ。追いかけたものは最後まで追いかけなくてはならない・・・って・・うん、いいな$ ─(
「はみだしっ子」は私の人格形成にすご〜く影響を与えてくれました。
小さいころ、とびとびですが読んでいたんです。これはまとめて読まねば っていう気持ちです。小さいながらもその作品世界に引き込まれながら 真剣に読んでいました。
はじめまして。 2年前にバイト先の先輩からお借りして読んだのが、「はみだしっこ」との出会いでした。 13巻を一気に読んだ後の、何とも言えない淋しさが、未だに読み返すたびに戻ってきます。 特に後半になると、4人がばらばらになるんじゃないかという、 心配と淋しさでいっぱいでした。そこまでせずともいいじゃないかと、何度もグレアムに語り掛けていました。 これからも、何か大切なものを忘れそうになった時には、「はみだしっこ」を取り出して、 一生読み続けていきたいと思います。
この週末に「はみだしっこ」読み返して、やはりアンジーに感情移入してしまい、読み終わってから「でも、ワタシはパムの年なのに」と愕然としてしまいました。 今年出産した友人はベッドで読み返して「グレアムの左手は、アンジーから拳銃を受け取れなかったからなのかしら」というので、このページの意見を教えてあげました。ワタシも彼女も、30過ぎた今でさえ、「ここはこういう意味?」とか「彼がXXしたのはXXだから?」などと話しています。 でも、いつも落ち着くのは「一人になったマックスがグレアムと再会する場面を初めて読んだ時の嬉しさ」です。20年も前のことなのに。 三原さんのファンの方の言葉をこんなに聞けてすごく嬉しいです。このページで物語を語ってしまっていいんだろうか。ワタシ、ファンの方の好きな場面とか理由とかたくさん聞きたいんですけど。
『はみだしっ子語録』をめくりながら、気に入った言葉をスケジュール帳のページの余白に書いて、毎日それをかみしめて私の思春期は過ぎていきました。 地震で実家をなくし、本もすべてなくしてしまって、ようやく手に入れた文庫本で、三原さんの死を知って、愕然としました。 私の青春は、『はみだしっ子』とともにありました。 今、教員をしていますが、生徒たちに読むことを勧めています。どんな反応があるでしょうね。 『はみだしっ子語録』に支えられて青春を過ごした私、絶版になっていることにとてもショックを受けました。きっと、ぼろぼろになっていたと思いますが、ずっと手元に置いておきたかった。 いま、近くに持ってる方が有れば、全ページコピーでもさせていただきたい気分です。 今日、ふと思い立って、ホームページを探してみて、たくさんの情報と、同じ気持ちを持った方々に出会えて、ほっとしました。 こんなにも、影響力のあった三原さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
三原さんも作品群は、今まで読んだものの中で一番読み返していると 思う。受けた影響も計り知れない。昔の作品を古本屋で探してるけど なかなか見つからないので、作品集をぜひ出版してほしい。 ドラマ化したよく分からんマンガの文庫なんか出すより、 三原作品数々の名作を、あますことなく後世に伝えるべきだよ。 いったい何やってるのか出版社・・・ 心からご冥福をお祈りします。
小学校に上がる前からずっとファンでした。 将来はぜったいマンガ家か小説家になって、先生に自分の書いたものを読んでいただくんだ!と夢みていました。 今、物書きのはしくれの仕事についています。 先生がいないのが、ほんとうに残念です。
May sleep in peace......
本屋さんで最後の本を手に取って知りました。 小学校から「花とゆめ」で育った私にはショックでした。
かなしいです。 思い出すと涙が出てきます。 このページがある事を嬉しく思います。 また、お便りします。
神戸の震災で 一人暮らしを初め、自分のことだけで 精一杯だった頃、訃報を知り、ずいぶんと 落ち込みました。今でも 絶筆となった作品が 読めないでいます。 手にするだけで 涙がこぼれそうになるので。この ページの皆さんの言葉を読みながら まだ 涙してます。 三原先生は、いろんなことを考える きっかけを 私に下さいました。 どうも ありがとうございました。
三原ワールドに続きがあるような気がするのは、未だに三原さんの 訃報が信じられないからだけではなく、私たちと一緒に作品も悩み 生き続けていると思うからです。本当に心に残る作品をありがとう。
私はこれからも三原さんの作品を折りにふれ 読んでゆくでしょう。
三原順さんの作品が大好きです(^^)。
ふとしたことから、三原さんのことを知り、ふとしたことから.裏ぼくらはみだしっこ」の文庫本を本屋で見つけ、ふとしたことから、このホームページを見つけ、という様なご縁で書いています。読み始めたのが昨日で、まだ1巻しか読んでいないのですが、花束をあげたくなりました。
昨日、ふと、また「はみだしっ子」を読みたくなりました。 アニメになるのを何度も夢にみます。せめてOVAでもう 一度4人に会いたいな。私ももういい大人ですが、いつま でも彼らの気持ちに帰れる自分でいたいです。 彼らを思う人が絶えない限り、三原順先生は「永遠」ですね。
10代の頃 はみだしっ子を一生懸命読みました。難解で解りづらいところも多かったですが、あの4人の世界に魅了された日々を過ごしました。20代になった頃から ひきつけられる漫画が少なくなったことなんかをきっかけに、三原さんの作品からも遠ざかっており、つい先日まで亡くなられたことさえ知りませんでした。それを知った時のすごいショックは自分でも少し驚く物がありました 遅くなってしまいましたが今少しづつ三原さんの残された作品の跡をたどっています。はみだしっ子も もう一度読み返したいと思います。あの頃とはまたちがった何かを、わたしは 感じることが出来るでしょうか。 本当に残念で、悲しい気持ちでいっぱいです ご冥福をお祈りします
高校生の頃、はみだしっ子がだいすきでした。 特に、サーニンが・・・ まんがなんてという数学の先生(当時でも、結構お年でした)に、 はみだしっ子のすばらしさを力説し、 「そんなにいうなら、貸してくれ」といわれ、貸したまま卒業。 何年かたって、「秋分の日に、本を返しにいきます。」という 謎めいたはがきが、先生から届いたのを思い出しました。 風の便りに、その後すぐに亡くなられたと知りました。 三原さんも亡くなられたのですね。 今頃、天国で「あれは、まんがでもなかなかいいね。」とか 先生にいわれてるかな・・・。
「はみだしっ子」のファンです。 特にグレアムが好きで、小学校の家庭科でグレアムペンギンの刺繍をしていました。 いまでもあの4人組は子供のまま何処かにいるような気がします。 ところで、「ちさとさん」の書き込みがとても気になるのですが…
高校の頃に「つれていって」の連載中で、友人達と妙に盛り上がっていて、いつの間にか 好きなキャラに成りきると言う(笑)バカな事をやっていました。 その頃の友人に一言「悪い所ばかり、真似るな!」 まったく、恥ずかしい青春です。
BYいつだって冷静だったサーニンより。
このHPをみつけたとき、一瞬の内に、グレアム・アンジー・サーニン・マックスの4人がよみがえってきて、胸が熱くなりました。私がはみだしっ子を初めて読んだのは20年前です。それからは熱烈のファンで、特にグレアムを愛していました。初めて読んだ時はまだ子供で意味がわからないことがたくさんありました。成長するたび読み返し、何度でも彼らに出会いました。あの4人は私にとって大切な友達です。沢山の人がいまでもこの4人を私と同じように思っている事がわかってうれしいです。すばらしい作品は永遠の命が読者によって与えられるということを実感します。
まさか三原氏のHPがあるとは驚きました。長年のファンとしては嬉しい限りです。 昨年友人に夕飯までおごって手に入れた「BS夜話」があまりに惨いことになっていて、生まれて初めて局にクレームを入れようかと本気で 思ったほどです。・・・が、ふと考えるとこれはビデオであって、オンエアーから既に一週間が経っており、砂を噛む思いで断念しました。 あーッ!せっかく忘れかけていたのに、また思い出してしまった!! 愚痴はこれぐらいにして、SONSの7巻をまた探すとしましょう。
今日初めて先生が亡くなっていたことを知りました。いつか続編を、とまっていたのに・・・はみだしっ子はリアルタイムで読みました。大好きで、せりふを暗記するくらい読みました。なぜ、どうして、いつ、なくなったのか知りたいです。グレアム、、、大人になり、恋をしてそして、親になる姿を見たかった。今日はクロイチェルソナタを聞きながら順さまのご冥福を祈ります。
小学生の時に読んだ「はみだしっ子」の時から、三原さんのファンでした。今日三原さんが亡くなった事を知りました。すごくショックです。サーニンのように真っ直ぐ生きたいと思った自分が懐かしく思います。ご冥福をお祈りします。
世の中でどんなに願っても未完で終わるものがあることを 実感しています。哀しいです それにしても一時期私に多大な影響を与えた三原順さんがなくならなくても良いのに。大人になった今はみだしっこより sonsの方が共感を覚えますが 続編が構想されていたというならグレアムが生きにくいと気づかされた人生とどう折り合いをつけるかみたかった! 最近漫画を読まなくなりましたが 本でも漫画でも映画でさえ 考えさせられるほど 感銘を受けるほど深いストーリーがないように思います 歯ごたえがない それどころか味もなく香りだけ。 その点 三原先生は歯ごたえも十分 味も芳醇 いつまでもいつまでも読んでいたかったです。 どなたかが書いてましたが私も伸たまきさんのパームぐらいです。 あと期待する漫画は。佐藤史生さんは書いてくれないし 萩尾さんは虐待ものをいつまでも終えてくれないし 内田善美さんは漫画を描くのをおやめになったのか・・・ 花を 捧げさせて下さい 本当は カイ ユキコさんの時のように本当の墓前に花を供えたいですが 多分無理でしょう 結婚してしまってので 理由もなく北海道まで行けないです・・・ それにしても 好きな人ばかり 死なないでほしい
「はみだしっ子」は、私の青春でした・・・。 (アンジーのまねをして、ビラビラのブラウスを着たりしたっけナ) 去年からの子供の変化をみて、三原さんはどんな作品を書いたのだろう と思うのは私だけでしょうか・・・? メッセージを読んで改めて先生の作品の余韻を思い出しました。 また、読み返して、中興時代の私に会ってきたいと思います。
アンジーが大好きでした。フーちゃんに なりたかった。もしくはサーニンに。 日々の生活の中で失われてゆくものは多いですが 三原順さんの作品はあらゆる意味で私の中に 存在しつづけています。
はじめまして。 「はみだしっ子2」が予定されてたって話、なんともコメントのしようがありません。絶句・・・です。悔しいですね。さみしいですね。 読みたかった。「ビリーの森・・・」も未完で、すごく残念だったけど、それ以上です・・・。読みたかった。読みたかった。読みたかった。グレアムゥ〜。グレアムゥ〜。グレアムゥ〜。
先日の(といっても随分前だが)のBS夜話、許せん! あんな程度なら語らないでほしかった。 ワタシにとっては今でも過去にはなっておりませんもの。
びっくりしました. 今まで亡くなられていたことを知りませんでした. とてもショックです. 小さいときから大好きな漫画家の一人で,はみだしっこは繰り返し読みました. かなり遅いですが,冥福をお祈りします.
先生が亡くなったと知った時の衝撃は 今でも忘れられません。私にとって、 「はみだしっ子」は小学から中学に かけての大事なお話でした。今回、この ページを見つける事ができて、本当に良かった。
私は、最近「はみだしっ子」を読んで、好きになりました。 これから他の作品も見たいと思っています。
三原先生の作品に出会えて、今の私はあるんだ、といつも先生の事を思うとそう考えます。 「はみだしっ子」が、私に与えてくれたものは、とても言葉では言い表せないです。 昔、泣きながら読んだ「はみだしっ子」を、先生が亡くなった悲しみで、もう一度泣きながら、 読むことになるとは、思いませんでした。今はどうか、安らかにと願うだけです。
三原さんが亡くなったなんて今でも信じられません。好きな作家が亡くなるのはこれで2回目。一度目は花郁悠紀子さんでした。何ともいえない空虚さは時間がたたないと埋められないと思います。本当に残念です。全集が出版される事を願っています。生前に実現すればどんなに良かった事でしょうか。
私の思春期に一番影響を受けた作品が「はみだしっこ」でした。 三原順先生が亡くなったことは知っていましたが、詳しいことは 知らなかったのでこのHPにであって色々な方の、色々な思いに触れることができ、嬉しかったです。
アンジー大好きのみずりんです。 カッコーの鳴く森が一番好きでした。
小学校2年生の時にはみだしっこと出会いました。 その後の人生観にすごく影響を与えてくれた作品の一つでした。 たまたま最近またコミックを読み返したばかりです。 何百回目かに、また泣きました。
高校から大学にかけて、いつも四人組といっしょでした。三原順先生がおなくなりになったことをまったく知らず、先日知ったときは本当にショックでした。彼女の作品の緻密さを再び味わいたい、と思っていましたのに。心からご冥福をお祈りします。
こんにちは(みなさんに)。あーはみだしっ子好きな人たくさんいるなーと思いました。嬉しいものですね。はみだしっ子も好きだったけど、Sonsが好きですね、ダドリー好きなんです。あと豚もね。(今日初めてこのHPで知ったんですけど、Sonsが絶版てそりゃどーゆうこっちゃー) みんな先生の死に関してとてもあれこれあるようだけど、経緯やなれそめ(?)はともかくとして、人が死ぬというのは当たり前のことですよね。人が生きていて起こる全ての出来事の中でダントツに当たり前で、驚くにあたらない。嘆いたり怒ったり、過剰に「ああ生きてれば・・・」とか思うより、静かに、そして心からご冥福をお祈りして花束を贈り、失われたものを思うより遺されたものをより多く受け取りたいと思います。 (でも本当は、そんなに人間ができてないのでかなしーです。ちさとさんの書き込みなんか読むと怒りシントーにハッしますね。そんなおっかないこと、教えないで下さいよー)
かなり近い筋から、三原先生の死の真相については聞いていました。 漫画業界は、商売ですし、編集方針もありますから、非道なことを することもあるでしょうけれど(LaLaのベテラン陣が他の雑誌に 移動していったでしょう)、三原先生に対するしうちには、心底 怒っています。こうなったら、出版社は、採算度外視で全集本出 して、懺悔の態度を示すしかないでしょう。 しかし、どのような最後であれ、三原先生の作品は、素晴らしいも のです。作家の人生は、作品に捧げられるのです。しかし、... はみだしっ子続編の話を拝見して、かの出版社への憎悪が再燃して しまいました。
このマンガで、人生観変わりました。 先生の作品は、細かいコマにも、かなり重要なことが書いてあって、 読むときも気が抜けませんでした。 大好きだったのに・・・。
この間、大人になったアンジー、サーニン、マックス、グレアムと夢であいました。
若かった頃、はみだしっ子を読みあさったものです。 今日初めて萩尾望都様のホームページを見つけ、リンクして知りました。 なんでという気持ちでいっぱいです。 心よりご冥福をお祈りします
「はみだしっ子」のラスト近くから読みはじめました。 それから、ずっと、追い続けて来たのに・・・ 突然の訃報、信じられなくて、いろいろ情報誌などを読んでみました。 すき、という言葉が適当かどうかも、わからないけれど、私にとって 特別です。
「はみだしっ子」は大学に入ったころ、もう15年以上前に読みました。 なんとなく精神的に不安定な時期に、むさぼるように読んだのを今も鮮明に覚えてます。 だから、この作品だけは何か冷静には語れない気がしてます。 ご冥福をお祈りします。
はみだしっ子はリアルタイムで読んでました。 はまりまくって単行本も買い漁って... でも小学生にはついて行けなくなる程深い話になってゆき、いつか掲載分しか読まなくなっていました。 やがて自分でもマンガを描き、同人誌を発行するようになって、いつしか三原作品が思い出になった頃、久々に古本の「はみだしっ子3」を読み返してみてびっくりしました。 自分の描いていたもののあちこちに三原先生の作風が現れていたのです。子供の頃はその絵柄の難しさに似顔絵を描く事もせずただ読むだけだったのに、知らず知らずしみ込んでいたんですね。 堪らずこれまでの単行本を買い揃え、すべて読み返してみると......ああもう、こんなにも三原作品が自分の血肉になっていたなんて。 もはや自分自身も描いてきた物にも三原先生を切り離す事はできません。ただひとり、この方だけを「師匠」と呼ばせていただきます。 いつか先生のように何十年も色褪せない作品が描けるよう、頑張っていくつもりです。
こんなに沢山の人が順先生を思っているのに、もう次の作品を読む事は出来ないんですね。
初めて手にした少女マンガが「別冊マーガレット」で、「花とゆめ」に移られるまでの作品は、全て本誌で読みました。 当時小学生だった私は、愛だの恋だのにはまだ興味がなく、主人公の年齢が近い順先生の作品や、河あきら先生のコメディが好きでした。
その頃少女マンガで、外国が舞台のお話は少しも珍しくありませんでしたが、ちゃんと外人に見えたのは、順先生くらいだったと記憶しています。
よく、「私のバイブル」という言葉を耳にしますが、わたしのとっての「はみだしっ子」はまさしくそれです。 コミックスを2セット、愛蔵版と文庫を1セットずつ持っています。いつでもそばに置いていないと、落ち着かないんです。 この作品が私の物の見方、考え方にどのくらい影響を与えたかは、もう計り知れないですね。良くも悪くも思春期にこの作品に出会った事で、今の私が出来上がったと言っても過言ではないとさえ思えます。 今でも、何かにぶつかると、こんな時グレアムだったら・・・ってすぐ考えてしまうし、自分の感情をうまく言葉に出来ない時には、あの時のマックスの気持ち、 って思ってしまうんです。
順先生の訃報を知った時、真っ先に頭に浮かんだのが「自殺では・・・」という事でした。それ程私にとっての順先生は危険なくらい繊細な人でした。後で、病気と知って、悲しかったけれどどこかで良かったって思ってしまった私を、許して下さい。
先日ビデオショップで、「つれていって」の中で、リッチーを挑発するために、ダナと踊るシーンがありますよね、あの場面とそっくりな写真を見つけました。グレアムの側にいたのは女性でしたが、ダナの方はドレスの色もデザインも同じで、ああ、順さんもこの映画を観たんだと思い、私も借りてみましたが、内容は私には良く分かりませんでした。
クリスチャンにあこがれながら、クリスチャンになりきる自信がないのは、彼ら4人のせいだと、いつの頃からか気づいていました。だからってせめるつもりはないんですが、たまに、心の中で「神様!」って叫ぶ自分と、「信じてもいないくせに」ってつぶやく自分が同時にいたりして、悲しいような淋しいような、複雑な気持ちになる時があります。 順先生と、先生の作品に会えたこと、感謝するとしたら、やっぱり神様に、なんでしょうか? これからもずっと、あの4人は私のそばで、一緒に過ごすと思います。永遠に少年のまま・・・
え゛っっそんな…。JUN様が亡くなっていたなんて。 32才の主婦ですが、リアルタイムではみだしっ子を読んでいた一人です。あの頃はお小遣いをはたいていろいろ買い込んでいました。欲しい単行本が絶版になっていると言われ古本屋を巡るしかないかと、思っていた矢先ふと、検索してみてここをみつけました。 ヒットしたときの喜びが一転大ショックを受けています。 まだ若すぎる。はみだしっ子の続きが読みたかったです。黙とう。
手術で腹を切るはめになり、ベッドで茫洋としてたときに。 確か誰かのマンガに、刺された腹の傷をさわられて嫌がる シーンがあったなと思いだしました。そのあと妙にリアル に、グレアムの腹をさわるあのアンジーの指の動きが蘇っ てきて、何だかおかしくなりました。 そうして退院後、ものすごくひさしぶりに読み返したわけ です。ヘンな話ですが、前出のシーンに今回のつらさが緩 和されるよな気がしました。いやホントにへんな話です。
「はみだしっ子」は丁度高校時代、妹が買う雑誌を横取りしながら 読んでいました。それから大学に入り、世間に出ずに(結局未だ学 校を出ていませんが)ウロウロしている間、久しぶりに本屋で立ち 読みをしたsonsはかなり絵柄が変わったのかもしれませんが、その 分非常に感銘を受け、その前のムーン・ライティングなど単行本を 買って何度も読み返しました。
私は個人的にはジャックおじさんやウィリアムが好きで、考えてみ ればもうあれ位のおじさんになってしまいましたが、この年になっ ても奇妙に考えさせるところのある作家だと思います(若い頃夢 中になって中年近くの今となったら気恥ずかしい、というタイプ の方ではありません)。モラリストという言葉がぴったり来る人で したね。
余りメジャーにはなれないのでしょうが、多分少数の熱心なファンが つくと思うし、どこかに書いているはずなのだろうが、単行本も見か けない(見つけたら是非買おうと思っていましたが)が、と思ってい たら、亡くなっていたとついこの間何かでみかけました。
確かにモラリストとは言っても、突き詰めるタイプの様で、危うい という印象は受けましたが…。
ご冥福をお祈りします。
はじめまして。三原さんが亡くなったことは意外に知られていないようですね。80日後に「ビリーの森ジョディの樹」の帯で訃報を知り、即、編集部に電話で確認しました。嘘だ・・・と思ったのですが、本当だとわかった時は涙が出ましたね。遺作も涙なしには読めません。お亡くなりになったのが地下鉄サリン事件の日でしたから、マスコミで報道されることもまったくなく・・・三原さんらしいといえばらしいけれど・・・。ご冥福をお祈りします。すばらしい作品をありがとうございました。
先ほど、三原先生の最後の作品を読み終えました。 3年の間先生の訃報を知らなかった自分が残念でなりません。 今、本当にショックです。 もっとたくさん書きたいことがあるのですが、今は言葉になりません。
三原先生のご冥福を心よりお祈りいたします。
「はみだしっ子」に会った時、私は小学校5年でした。この作品に出会ったことが、 自分の屈折した内面に向き合うきっかけになりました。もう30代になりますが、 「はみだしっ子」をはじめとする三原先生の作品の持つ「痛み」は、 出会いからずっと私を慰めてくれます。ご冥福をこころからお祈りします。
本当に本当に三原先生の作品が大好きでした。就職、結婚、出産、育児にちょっと一息ついたこのごろ、白泉社文庫の後書きでお亡くなりになったと知り、目の前が真っ暗になりました。megumiさんのホームページでこちらを教えていただいて、初めてアクセスしたのですが、 知りたかった事が載ってあったので、うれしかったです。(ただ一つ、墓石はやはり北海道でしょうか?) まだ、いろいろと見ていきたいのですが、時間が・・(^^; グレアムの左手の件、私もそう思います。(今も昔も) こういうページを作っていただいて、本当にありがとうございました。また遊びに来ます。
お名前を知って、初めて読んだのが「山の上に吹く風は」でし た(笑)。最初はやはり訳が分からず、亡くなられたとき全部 よんだんですが、そのときも「難しい」と思いました。最近、 読み返しました。狂おしいくらい感情を揺さぶられました。自 分がグレアムのようになってしまうような恐怖を感じます。そ してどんなにうまくたちまわっても「それは道徳のおかげであ ってぼくのものでない」(スイマセン。手元に本が無いのでう ろ覚えです)という気持ちー。 しかしそれは全て亡くなられてからのことでーー全ての具 体的な質問がうけとられない状態になってしまってーー。それ が遅すぎたファンとしてかなしいです。
長生きしてほしい人に限って早死にするのは世の習いなのでしょうか。私も、「はみだしっこ」の続編を読みたかったです。大人になった彼らはどんな風に生きているのか、空想の中でなく、実際に見たかったです。いつか、あんな凄い作品に巡り合えるでしょうか。
昨日はなぜかこのComentsの欄が出ず,大変御間抜けな花束を二つも,申し訳ありませんでした. 三原さんの作品にはこれが正しいという結論がありません.立場をかえれば,見方を変えれば,「救い」であり,「呪い」であり. 簡単に,「真実は一つ」とか「愛こそ全て」とか「笑ったモン勝ち」とか言ってしまわない.主人公の信念は,貫き通す「正義」ではなくむしろ本人を追い込んでいってしまう. それでも幸せになるためにでも切り捨てては行けない何かにこだわっていたと思います. はみだしっこの番外編に整理整頓の話がありましたが,精神的にはグレアムが一番「整理下手」だったのは皮肉ですね. 続編の予定があったそうですね.一番の気がかりはグレアムですが,私はサーニンがどうしてああも真っ直ぐに生きられるのか見てみたかったです. 最後になりましたが,三原さんのご冥福をお祈りいたします.
三原順先生はもういません。けれど、先生の作品は人類がこの世にある限り、メディアが存在する限り、永遠に生きて何世代先まで、たくさんの人々に読み継がれていくでしょう。感動をありがとうございました。願わくば…
I am a fun of Ms Mihara for some time. The sad news reached me rather late here in London. I wonder if anyone could tell me what actually happened to her...? (Sorry, but my PC can not write Japanese.) Regards
天国にいらっしゃる三原先生。 先ほど慌てて書いた追悼メッセージで先生の作品のタイトルを逆さまにしてしまいました。正しくは「ビリーの森 ジョディの樹」でした。 本当に失礼しました。ファンとしては穴があったら入りたい! 先生最後の未完の作品となってしまった「ビリーの森 ジョディの樹」、私はとても好きす。名残惜しくて未だ読めない2巻目を 枕元の書棚に置いて眺めてます。先生、こちらの世界へ戻って いらしたら、きっとまた漫画家におなりになりますよね。 そうしたら又、私は先生のファンになります。それが三原先生 だって分からなくても、きっと。
三原先生。「ジョディの森ビリィの樹」2巻の帯に「三原順最後の作品」と書かれ亡くなられたのを知った時、ショックでしばらく動けませんでした。こんな惨い事は信じたくありませんでした。「ジョディの森ビリィの樹」の2巻目は未だ読まないでいます。読み終わって三原先生がこの世にいらっしゃらない事を確認するのが恐いのです。生きていらっしゃる内にせめて、つたないファンレターでも送りたかった。 私はもう30代に突入しました。先生の描く世界と向き合うのが辛い位の情けない大人になってしまいました。でも「はみだしっ子」を始め三原先生の数々の作品は私の心の一番大切な場所にあります。私が生きていて迷った時、立ち返る場所がそこにあります。これからも、ずっと。心の中でグレアム・アンジー・サーニン・マックスと向き合う時、恥かしく無い人間でいられたらと思っています。今夜、メモリアルのページで先生が「はみだしっ子」の続編をお描きになる予定があった事を知りました。今泣いています。続きが読みたかったから、では無いのです。切なさが込み上げてきて涙が止まりません。
今日まで「三原順」さんの死を知りませんでした。 とてもとても ショックです。 言葉がありません・・・
今は ただ 心からご冥福をお祈り致します。
ふとしたことから「三原順」について検索したくなった。こんなにいろんな人が「三原順」について想いを持っているのか。
友人からすすめられた「はみだしっ子2 夢をごらん」はあらゆる衝撃を「19年前の僕」に与えました。 それからというもの、「はみだしっ子」の単行本を買いはじめた。 そして、その友人と深夜の書店で「三原順」が死んでいたことを知ったとき、僕たち二人は呆然と数分間を過ごした。二人とも本当に落胆していました。
世の中の「難しいこと」に触れた作品であり、「粋な台詞」というのを知る作品でもありました。
何かを残すこと、作品として残ること、想い出として残ること、心に刻まれること・・・
ありがとうございました。永遠の「はみだっし子」へ
「はみだしっ子」は今ここにある私の原点です。 なんの哲学も持ち得ず、傷ついてばかりいた中学生時代に 不条理を受け入れるきっかけを与えてくれました。
ELPもいいけど、グレアムの弾く「ナットロッカー」を聴いてみたい・・・