連載当時読んでました。なんでいつもこの人は悩んで苦しんでいるんだろう? どうして、難しく考えてより傷つく方を選ぶんだろうと?と不思議でたまらなかったです。 私にとってそれほど難しい内容でした 思慮の足らなかった私は、連載終了時、「?」の内容に「また来週なのかな?」なんて軽く考えてました。 そのまま何年もたって、このHPを見つけて(もちろん亡くなったことは知ってました)あのとき私がわからなかったものが詳しくでていてうれしいやら、悲しいやら・・・ 当時漫画がこれほどまでに人の心に残るものだったのかと驚きました 三原先生にははみだしっこ2を描いて欲しかったです 人の善悪など、所詮他人の評価でしかないとたくましく成長していくグレアム、アンジー、サーニン、マックスを見たかったです 三原先生のご冥福をお祈りいたします
また伺いました。仕事と私事の両方で問題を抱えて煮詰まっています。ここを読むと気持を立て直すことができるので、甘えに来てしまいました。アンジーに救われた思春期のように、今は三原先生を想う言葉に救われています。
久しぶりに読み返しました。四捨五入して50才になっても「はみだしっ子」は心に染み入ります。
三原順さん亡くなられていたんですか、10年以上も前に…。全然知りませんでした。小学生のとき姉の『はみだしっ子』を読んでからのファンですが、終盤のグレアムの苦悩は当時難しくてわからずきちんと読んだのは最近です(愛憎版)。なんとなくわかった…気もします…自分も含めて世の中、グレアムが願うような『いい人』?ばかりだったらいいのにと。でもグレアムが結果として生きる選択をしてくれて本当に良かった。でもでも好きなのはアンジーとサーニンですが。サーニン後半いい男になってしまってビックリ(笑)。他の作品は読んでいないですが、この機会に読んでみたいと思います。 はみだしっ子の4人に会わせてくれた三原さんに本当に感謝です!
現在18歳ですが、小学生の頃母が『はみだしっこ』を読ませてくれました。それからずっと三原先生のファンです。特にソロモンは大好きです。生きていらしたらどんな漫画を読ませてくれただろうと・・・冥福を祈りたいと思います。
中学生当時、同じクラスの女の子に「はみだしっ子語録」をもらったのがきっかけで、はまった男子です。 ふと思い出してサイトを発見し、三原さんが亡くなったことを「今はじめて知りました」正直 絶句です。 コトバも持つ重さと繊細さを教えていただいたように思えます。 もっと長く生きていていただきたかったです。
あんなに難しいのをよく読んだもんだ。。。
昔、グレアムやアンジーが大好きでした。 今でもふと思い出してしまう・・・。 誰にも言わないけれど。 とても重い存在として、心の中に在るんでしょうね。
小学生のとき、母親の持っていた本で知りました。 ずっと大好きだったんです。もういないんだと解ったとき・・・ 毎晩泣きました。その前の日まで、三原先生が毎日無事にいられるようにと祈っていたから・・・
星に願いは届きません。 なんだか われらはみだしっ子の サーニンのような気分でした。 でも いまは。 本当にありがとう。そう思えます。
行き詰まり。・・・どうしようか。でも、自分で何とかしないといけないことは分かっている。・・・アンジーだったら、もがきながらでも何とかするよね・・・ほんとにやりたいことなら。誰にともなくののしる言葉を吐きながらでも。自分で決めたことだから。自分でやるしかないでしょう。ホントはそんな自分を罵りながら。・・・・・・もう少し頑張ってみるよ。
はみだしっ子の最終回は高校生の時でした。 当時はラストの意味がまったくわかりませんでした。 あれから20年、読み返すたび年齢に応じて解釈がかわり、また新たに納得してみたり。
小学生のときに知って、全部揃えて、機会あるたび読み返して、感じ方や考え方にとても影響されました。こういう場があって嬉しいです。
4人組に出会ったのは小学生の時でした。出会わなければもっと楽な人生を歩けたんだろうと思いますが、これで良かったんだと思います。私の中の4人組は30年近く立った今も時々暴れて苦しめてくれます。いろんな事を考えさせてくれた三原先生に心から感謝しております。
一番尊敬できる漫画家さんです。もっともっと作品に触れたかったです。。。ですが与えてくださった素晴らしい作品に、今は心からのお礼と拍手を送りたいです。
せめてお花を。
始めてこちらに花束を捧げさせていただきました。 今でも皆様の心に住んでいる三原先生と三原ワールドの住人達・・・私の中にも姉に借りて読んだだけの作品だったはずの世界が少しは染みています。始めて読んだ当初は半分くらいしか理解できなかったはず。大人になった今だからこそもう一度じっくりと彼らと向き合ってみたいです。
最後の最後、損得なしの最も素の自分で何かを決断しないといけないような時、私は「はみだしっ子」に影響を受けているなぁ、と実感します。そして今またその時。多分ね、アンジーも「いいんじゃない?」と言ってくれるか横目で見てるか。この歳になって、14歳のアンジーに訊いてみるなんてね。
「LOST AND FOUND」に載っていた「カッコーの鳴く森」の原型の作品を読みました。やっと「連れて行って」のラスト近くにあるサーニンの「求める声をたよりに追いかけてゆくから!ボクの愛」の意味が理解出来ました。サーニンの純粋さが大好きです。
にわかファンなのですが、「Sons」が大好きです。影響をかなり受けて、なぜか小説書きを目指しております。満月を仰ぎ見て、涙がこぼれるを我慢します。
何度読み返しても,「はみだっしっ子」の後半,グレアムの気持ちが私から乖離することは無いのです。彼の行動・言動は私の思春期・青年期の一部でもあり全てでもあるのです。いつまでもそれにとらわれずにいたいとは思えど,マックスを守るためと自分の心を殺し生きる苦しさを今も抱えています。
はみだしっ子は大好きです。今も大好きです。 死んだら棺桶に入れてくれと、既に依頼済です。 アンジーが好きで好きで好きで好きで好きで好きで、どーやればあの髪型にできるんだろうと真剣に考えたりしました。 そしてあのビラビラフリル、今あんな人そばにおったらシバき倒すけど、アンジーだけ許す。 アンチー君も特別許す。 そんな感じで好きで好きでたまりませんっっ♪
不届きにも、ハンネとして頂いちゃいました。最初はグレアムだったんですが、トラブル起こしちゃって、サーザの方を今使わせていただいています。グレアムのファンです。と思っていたら、何かグレアムと性格が一緒な気がしてきました。引き継いでゆきます。
ようやく グレアム達に憧れて覚えた咥え煙草が様になってきた 三原先生 彼等に逢わせてくれてありがとう
何度目でしょうか。またはみだしっ子を読み返しています。 以前は、グレアムと自分を重ね合わせていました。 今は、アンジーが人生の手本になっていることに気づきました。
はみだしっ子は小学生のころから時間をあけながら、読み返しつづけ、そのたびにわかったり、また戻ったりと一生くりかえし読み続ける作品と思ってます。
今もときどき読み返しています。今日もそんな日でした。そしてここを見つけました。私は三原さんのことを誰かと話し合った事は一度もないんです。辿り着いて良かった。こんなにファンがいて、たぶんずっと続くのだろうと思うと、やっぱり素晴らしい。
プロとしてマンガを描いていくとき、商業主義的な価値観の圧力に屈せず、強かにメッセージを押出す表現手法を採ることには勇気が必要です。三原先生はその難しい事を果敢に実行されたマンガ家でした。 アマチュア時代に思い描いていたマンガの世界と実際の商業マンガ業界の現実との差異の大きさや競争の厳しさに、膝を屈しそうになることの少なくないマンガ家生活の中で、三原先生のことを想います。 この世界で先生も足掻いておられたのだろう、まだ何も成し遂げていない自分が泣き言を言ってはいられない、生きているんだから。 若輩ですが、先生に少しでも近づくべくがんばります。勇気と矜持と理想を、ありがとうございました。
中高生の頃、友人と一緒にはまっていました。 二人であれこれミーハーしたり議論したり、青春してました。 井の中の蛙の私達に、社会というものの一端を垣間見せてくれました。 大人になるとはどういうことか、得るものと失うもの、 そんなことを考えていました。 訃報を伺ったとき、私の青春の終わりを感じました。 でもいつまでもこうして語り継がれる作品を残されたこと、 とても素敵だと思います。ありがとうございました。 御冥福をお祈りします。
「はみだしっ子」はずっと気になっていたマンガでした。先日、東京の古本屋で全巻まとめ買いし、帰りの電車で一気に読みました。いろいろ考えてしまい、うまく言葉にできません。ただ4人の心の安定を願わずにいられませんでした。改めて、三原先生のご冥福をお祈りいたします。
大人にならざるを得ない現実に疲れがたまると、いつもSONSを読み返します。今回の読み返しはウイリアムに感情移入してみました。いつまでも大切に読みます。エレの歳になってもまだ読んでいると思います。
読んで初めて胸の痛みを自覚し泣いたマンガでした。
長男が、私が初めて「はみだしっ子」を読んだ小学校2年生になりました、感慨深いです。 私はずっと先、自分が死んでしまうまで三原先生の作品を、大切に読み続けていくと思います。 一生読み続けられる、考え続けられる作品を本当にありがとうございました。
三原順先生と同い年なのですが、ずっとリアルタイムだったので、なお更感銘を受けたのだと思います。
高校時代にクライマックスを迎えたはみだしっ子の連載。どうしても納得のいかない最終回に苦悶していた日々がただ懐かしく思い出されます。自分で勝手に続編を考えていたりして…。でも今はただ、4人組は今も元気に自己主張しながら生きているのだと思い込んで時々思いを馳せています。私の娘がこの間初めてはみだしっ子を全巻読み終えたところです。何を感じたかは訊くのが少し怖い気がして…まだきいていません。彼女の中に何かが残ってくれたら嬉しいです。
あの時「はみだしっ子」と出逢ってなければ、良くも悪くも今の自分はなかったと言い切れます。 今でも貴方の残した作品は、私の迷いや指針になる大きな土台になっています。 出逢えたことに、心からの感謝を。
遅くなりましたが、ご冥福を…。
Thank you so much for your great work
マックス、元気?
かわっぺりさん、私はグレアムが、好きなんですが、(下にも書いてありますが・・・。)G.A.S.Mの中で誰が好きですか?。
生意気な小学生だった私は、当時漫画好きだった同級生と2人だけで 「はみだしっ子友達」をつくり、人間ってむなしいね。と生意気に語り合っていました。大人になった今でも、読めば読むほど味のある漫画が好きです。それは三原順先生の漫画を読んだのがきっかけでした。
私は、今小6なんですが、はみだしっ子を小4の時に読み始めました。グレアムが大好きで、先生が亡くなったと知ってとても悲しかった。
まだ、心の奥底で受け止められていない自分です。認めたくなくて逃げているだけかもしれません。それでもこうしてお花を捧げることで、息の詰まるようなこの痛みがなくなり、もう一度向かい合って最後の作品を読める日が迎えられたらと思います。
先日、十数年ぶりにはみだしっ子全巻を読み直しました。確実に私の血か肉のどこかを作ってくれた作品だったなあ、と改めて三原先生に感謝しました。
kamaちゃんとはみだしっ子に夢中になっていた中学生時代。グレアム、アンジー、サーニン、マックスのことまたおしゃべりしたいな。
初めて花束を贈ります。初めて先生の作品を読んだとき、先生は既にお亡くなりでした…。心からのご冥福をお祈りしつつ。
今年も、ご命日がきました。 ゆっくりと お休みください。
JUN様を今も敬愛しています。ありがとう
高校時代に、いろいろ考えさせてもらったことを思い出しつつ、花束を。
今年も花を・・・ 今年も追悼ライブさせてもらいます。 (T‐T)
今年もお花を。
ありがとう三原さん。サーニン、大好きだよ。アンジー、側にいて欲しかった。マックス、ごめんね。グレアム、気持ちがよく解るよ。
三原さんの作品と出会えて本当に嬉しかったです!ご冥福をお祈り申し上げます。
投稿時代からのファンでした。高校時代まで送っていたファンレターを何故やめたのか、それが私の人生で唯一の後悔です。今は思い出す事がファンレターの替わりだと思っています。心からご冥福をお祈りします。
初めてお邪魔します。多感な時期に出会った四人組は、今でも心のどこかにいるみたいです。「グレアムをどうしたら幸せにできたのだろう?」という思いをずっとひきずったまま、大人になってしまいました。これからも多分ずっと。 ご命日が近いことを初めて知りました。感謝と追悼の念を捧げます。
謹んでご冥福をお祈りいたします ・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'
お亡くなりになっていたなんてショックでした。 知らなかったとはいえ、三原順のコミックを忘れていた自分が哀しい。 そのときはそうと知らず、別れてしまったけれど、 ずっと後にその存在感の大きさに愕然とする、そんな人でした。 3月は別れの季節。 今年も多くの生徒を送り出した身ですが、 三原順先生のような 魂が震えるストーリーや言葉を語れたかどうか・・・ 新しい15歳を迎える前に、 自分のローティーン時代の気持ちを取り戻したいです。 三原先生、 安らかに眠ってください。
また3月がやってきました。 この時期になると三原先生のことが思い出されます。
もう10年以上たつのにまだ三原先生が 亡くなったということに耐えられません。 遺稿となった「ビリーの森ジョディの樹」もまだ読まないまま (読めないままといった方が正しいかもしれません) 本棚に飾ってあります。 読める日はいつ来るんでしょうか? Someday never comes…
小学生の頃、ピアノ教室に置いてある本がとても好きで、毎回毎回同じ本を読んでいました。タイトルも作者もわからなくて、そんなことも忘れていたのですが、高校生の時に三原先生を知った時に、昔読んでいた本が「ルーとソロモン」だったと分かった時には、本当に嬉しくなりました。はみだしっこ、ルーソロ、SONS… これらが今の私の心をつくってくれました とても感謝しています ありがとう 三原先生!
リアルタイム世代なのですっかりおばさんですが、 三原先生の作品は今でもこころの支えになっています。
あの頃、続きが早く読みたくて待ちきれなかったのを思い出します。
職場の同僚に三原先生の本を貸したら「ムーン・ライティング」が好評でした。 ポンポン跳ねる豚男が面白かったようです。 ちなみに同僚は一回り以上下の人たちばかりですが、何年経っても三原先生の作品は色褪せませんね。
本当に最近です。SONSをやっと購入しました。 過去の作品なのに、今の私の気持ちを代弁してくれるような せりふが・・・・。涙しました。
もちろん「はみだしっ子」も大好きなので、さらに大人買いを・・・。 何回も何回も読み直してます。 新しい発見の出来る漫画ってすごく珍しいと思う。 三原先生の作品
30年前、友達と夢中ではみだしっ子を読んでいました。4人とも大好きだったけど特にアンジーが大好きだったなぁ・・・共感してたっていうか・・性格似てたっていうか。私の考え方、生き方に大きな道しるべとなった作品でした。三原先生ありがとう。
文庫本が可愛い表紙だったので買いました。中学生の頃でした。 内容が難しく理解できないまま読み終えました。でもかなりの衝撃だったのを覚えています。もうすぐ25になりますがまた読み返してみようなと思いました。
子供の頃アンジーが大好きでした。
友達に貸して戻ってこなかった「はみだしっ子」全巻を古本屋で探し集めて、何度も読み直しています。 古くて深い傷跡にふれた時のように、治ってはいてもまだ痛みがよみがえってくるような感じがしました。 読むたびにいろんな事がわかってくる気がしますが、 四人に共感することばかりで、私はいくつになっても「大人」にはなりきれていないみたいです。 三原先生は亡くなられてからも、私にたくさんのことを教えてくださっています、ありがとうございました。
小学生の時に友達のお姉さんの影響ではみだしっ子を読み始めて 大人になった今でもバイブルのように手元に置いてます 三原先生の作品が私の生き方にどれだけ影響を与えてくれたか計り知れませんが 一番多感な時期を共に過ごした作品です 三原先生、大好きです
小学生のときに読み、忘れられず、大人になって読み、もう一度泣きました。全ての想いに花束を。
僕は四人兄弟の長男で、グレアムと自分を重ねるようにして「はみだしっ子」にはまっていました。二番目はアンジーのように周りを気遣い、三番目は愚直で不器用なサーニンそっくり。末っ子は女の子ですが、あいにくマックスほど愛嬌はありませんでした(笑) 二番目は、三原先生と同じ年の四月に自ら命を絶ちました。僕はキャプテン失格です。 弟には自宅で酒を、先生にはここで花束を捧げたいと思います。
今年も雪が多いですね。寒くないように温かい花を
小学校時代から心に住み着いた4人組。 あなた達は永遠に私の友達です。 ムーンライディングは続きを読みたかった・・・ 三原順先生のご冥福をお祈りいたします。
私の三原先生との出会いは「ムーンライディング」でした。 先生の持つ独特なユーモアに 忽ち魅了されたのをよく覚えています。 三原先生が亡くなったことを知ったとき 本当に残念で仕方ありませんでした。 もっと先生の作品を読みたかった・・。 いまでも大好きです。
私も41歳ですが 小学生の頃「花とゆめ」ではみだっしこと出会い まだ内容の意味を把握できなかったけど 絵がとても大好きでした。マックスの似顔絵をよく描いてました ここを見つけて 三原順さんがお亡くなりになられていたことを知りびっくりしました 三原先生のご冥福をお祈りいたします
今はもう40歳を越えましたが、少年の頃に先生の作品に出会い、夢中で読みました。お亡くなりになられた先生に万感の思いを込めて「有難うございました。」と一言お礼を申し上げます。
小学生の時リアルタイムでファンで,グッズなどもトランプランドまでほとんどすべて集めたけれど,メジャーにはなって欲しくないという気持ちも一方ではありました。あれから時は流れ流れて。こんな形ですが,私にも花束を捧げさせてください。
三原順先生亡くなられていたんですか?? 知らなかったです。 小学生の時、初めて読んで、読む度に泣けて泣けてしかたありませんでした。 なんで、胸の奥が痛くてこんなに泣けるのか? 小学生の時には、分らなかったのですが、最近、又、コミックを手に入れて読み返してみて、分りました。 4人の心の境遇と子供の頃の自分の境遇が同じだったんだ〜。 私も、はみだしっこだったんだ〜と、思ってたところでした。 本当に、心の奥を描写できる素晴らしい作家さんだっのに。 ショックです。 私の中では、グレアムも、アンジーも、サーニンも、マックスも、生きてるのに。 ルーもソロモンも生きてるのに。
今、この年(もうけっこうなおばさん)になっても、まだ新鮮に読めます。読み返して、キャラクターのいろんな立場からいろんな角度から。多感な時期にこの作品に出会ってよかった。読書を勧めてくれたのはグレアムでした。
中学時代に連載を読んでいました。 今でもこれ以上の作品はありません。 間違いなく今の私を形成した作品です。 哲学ですよ。ホントに。
はじめまして! 今日初めて到達したのでグレアムの誕生日には間に合いませんでした(><) コミックスがどこかに埋まってしまって(爆)他の3人の誕生日を思い出せません。 どなかたご存知のかたがいらしたらぜひ教えてください。
グレアム。お誕生日おめでとう。
作家として初期の頃から絵の上手さに魅かれていたファンの一人です。 28年前授業で「はみだしっ子」をモチーフとした詞を書き弾き語りをしたところ大受け!! 卒業式後の謝恩会で同級生と歌った思い出があります。 亡くなられてから12年経過ぎたのですね・・・ このような素敵なHPがあるとは知りませんでした。
今もこんなに沢山の人が三原先生の作品を愛していることに 感動しています
盗作はプロの作家として最低の行為ですが、私自身、中学生の時読んだ「はみだしっ子」の中のセリフが自分の語彙や表現になってしまっていて、文章を書くときや人に話す時は気をつけるようにしています。三十路になった今では赤面ものですが、一時は自殺さえ考えるほどの思春期の揺れと孤独の中、心理・哲学・宗教・人生論ものなどの本を読み漁っても得られなかった心の安らぎを三原先生のマンガから得ていました。私が競馬好きになったのも、法律を専攻したのも、エジプトに住んでいるのも(アフリカには住めない人も南極には住めるかもしれない、というようなセリフ、サーニンとジャックでしてましたよね。あのセリフにはとても励まされました)「はみだしっ子」の影響かも知れません。
大人になるのが不安だった頃、アンジーが髪をのばさなくても あたしが 4人のママになろうって 大人になって 愛してあげようって・・・早く大人になりたくなった。 いつか 続編でもでて 少し成長した 彼らに会いたいとず〜っと 思っていた。 三原先生は 今 彼らと 共にいるのだろうか? 三原先生に 宇宙の星の数ほどの 花束を 心から 哀悼の意を込めて。
>自己の作品をこのような形で絶版にされることについては腑に落ちない点があり …とこの期に及んでまだ書いている盗作問題の当事者は、もともと心臓が悪かったといわれる三原先生が命を削るようにして描かれた作品の、そこに記された真摯な言葉の重みを、未だ理解していないし、しようとも思っていない気がして悲しいです。 改めて三原先生のすばらしい仕事に感謝を捧げ、ご冥福を祈ります。
高校時代、つきあっていた彼女が持っていたので たまたま読んだ「はみだしっ子」にハマりました。
丁度その彼女との恋愛が辛いものだったので、余計心に残ってます・・
初めて書き込みます。 私は13歳ですw
はみだしっこはお母さんが以前読んでたのを最近貰い読み始めました。
アンジーの性格が私のドツボにはまり、アンジーラヴですねっb グレアム、マックス、サーニン、みんな個性的な性格ではみだしっこ大好きですっ! ルーソロも読んだんですが、ホントに何階読み返しても飽きませんよね! では♪また書き込ませて頂きます。
例の盗作問題、やっとおさまりそうですね。 あそこまで色々使いまくっているということは、少なくとも三原さんの作品を相当読み込んでいる、おそらくはかなり傾倒していた方ということなのでしょうが.... 私も、雑誌掲載時からの三原さんのファンのひとりですが、なんともいえない気持ちになってしまいました。 こちらのホームページはずいぶん以前に寄らせていただいたものの、とうてい一度や二度では消化できないほどの情報を与えていただきとても感謝しています。特に、「はみだしっ子」で引用されている本の解題・分析はあのころ知りたくてもどこから調べていいのかさえわからなかった心のつかえをを解きほぐしてくださいました。ほんとうにありがとうございます。 三原さんが亡くなってしまったのは今でも本当にショックで残念なことですが、その作品とそれに魅せられた人の気持ちはいつまでも残ってゆくんだなー、と今回またあらためて感じました。
大好きな作品です。何度読み返しても涙が出ます グレアムの優しさと狂気?が交差していくところ サーニンの恋話 アンジーのジレンマ マックスの罪なかわいさと無邪気。いろんなことを考えます AがBを好きで・・・とジャネットに説明していた グレアム。最終のページで殺人をほのめかすところ 涙なしでは読めません
はみだしっ子。 私の好きな俳優さんがこの漫画のことを取り上げていて、 ふと思い出し、今日このページをみつけました。 以前読んでいた頃は、難解な内容が理解できなかったりしたけど、でも大好きで、漫画の中の長い文章をノートに書き写したりしました。 いまなら、どれくらい理解できるんだろうか? また読んでみたくなりました。 三原先生のご冥福をお祈りしたいと思います。
今朝、新聞で三原先生の名前を見ました。そして、その名前の前に、故となっていて、衝撃を受けました。 パソコンで調べたら、亡くなられた年齢が、今の私と同じと知って、更に衝撃を受けました。 書き込みをしたい事は、山ほどありますが、書き始めたら支離滅裂になるので、ただただ、三原先生のご冥福をお祈りするばかりです。
はみだしっ子。 未だ、「封印」中、ですが。 どうしても、言いたくて。
高校時代、何度も読み返しました。 同じ誕生日のグレアムはいつも気になったし、アンジーに似ていると言われて改めてアンジーの言葉を繰り返し読んだりもしました。 大人になっても変わることなく、4人が大好きです。 彼らと触れ合うとき私は子供にかえり、素直に涙を流し、愛すべき4人に心を預けることが出来る・・・。 グレアム・アンジー・サーニン・マックスと出会わせて下さった三原先生に感謝します。
夕刊でマンガからの盗作記事を見て「またか」と思ったら、なんと三原先生の「はみだしっ子」の文字が。多感な高校時代に「はみだしっ子」に出会い、もう「はまった」なんて言葉では表現できないくらい、何度も何度も読み返した作品です。三原先生、もっと長生きしていただきたかった。盗作記事と「はみだしっ子」との比較表を見て比べてるうちに、頭の中には彼ら4人組の姿が。ふと本棚に目をやると、愛蔵版が目に飛び込んできました・・・皮肉にも、今回の記事が「はみだしっ子」をまた読む機会を作ってくれた感じで。もう先生が亡くなってから三年ですか。早いですね・・・。
今日のニュースを見て、嫌な気分になった・・・・とともに はみだしっ子たちは、どれだけ多くの人間に影響を与えたのだろうか?とも考えました。 小学生だった私にはとてもショッキングで、バイブルのようだった彼らの生き方。 私は今でもグレアムになりたくてモガイテイル様な気がします。
今日の夕刊で盗作記事を読み初めて故人となってしまわれていた事を知り、大変驚きました。すぐに略歴を調べて納得。とょうど父が亡くなりお葬式などで慌しく、又、サリン事件に驚いていた頃だったんですね。はみだしっ子は私にとってただのマンガ以上の存在で、多感な時期に人生の指針となってくれた‥と言っても過言ではありません。又、読みたくなりました。
高校生のとき、初めてはみだしっ子に出会ってもう夢中になっていました。学校の廊下で友人と「今の私にラブチャイルドが要るってことがどんなに重荷なのかわからないのよ」と、なりっていたら横を先生が奇妙な顔をして通り過ぎていったのが本当に昨日のことのようです。今イギリスに住んでいます。四人のような子にはまったくお目にかからないけれども、似た町並みを見かけると、どこかにはみだしっ子たちがいるような、そんな錯覚にとらわれます。三原先生がなくなられたのを知ったのもつい最近でした。本当に悲しいです。
とにかく作品集めまくりました。 あの頃をひきずってるんでしょうか?? アンジー系の人にはまってます(笑) 先生 どこかになくなる予定を書いてらしてた。 本当にそんなに若くして亡くなられるなんて・・・ もっともっと読みたかったです。
かれこれ30年近く前のことです。 中学時代の仲良し4人グループではみだしっこのキャラクターになりきって?いつもじゃれあっていました。 おかしいことに、私たち4人の性格がはみだしっこのそれぞれのキャラクターに似ていたなぁと今となっても思います。 ちなみに私はサーニンでした。個人的にはグレアムが大好きでしたが・・・ 今はそれぞれの進路に進み、世界中に散ってしまった私たち。何年かに1度会うと、やっぱり、当時のニックネームでグレアムのグッさん、アンジー(そのまま)、サーニンのサンちゃん、マックスのマッちゃんと呼び合っています。 三原先生、私たちの輝かしい青春をありがとうございました。
バンコク在住
はみだしっこは大好きでもう何回も読み返していますが、いまだにあきません。他も作品も含めて、三原順さんの世界が大好きです。もっともっと三原順さんの世界をみたかったです。おしい人をなくしたと思います。三原順さんの本は一生もっていたいと思います。
小2の時に「はみだしっ子」を夢中になって読みました。わたしの人格形成に大きな影響を与えた作品です。わたしの中にグレアムは永遠に生きています。
今日またSonsを読み返しました。 何かあるとついここへ戻ってきてしまいます。 素敵な作品をありがとうございました。 いつかマッコウクジラをこの目で見てみたいです。
当時住んでいた地元の駅前の本屋で「はみだしっ子」シリーズの単行本を前に、読んだことがないという友人に熱く熱く語って薦めていた私。それを隣にいた大学生風の男の人に聞かれてしまい体中の血が顔に集まるくらい恥ずかしかった。赤面する私に向かってその人は「ほんとうにそんなに良い?」と笑いながら言い、その時発刊されていたシリーズをまとめて大人買いしていきました。それから半年ほど後、同じ本屋の同じ場所というあり得ない位の偶然でその男の人に会った時、アチラも覚えていて「本当だった」と言われた時、嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて、そして誇らしくて。 もう30年近く昔のこと。
グレアムが好きでした。アンジーが好きでした。サーニンが好きでした。マックスが好きでした。だから、彼等には幸せになってほしかったのに。グレアムは言ってしまった。
お誕生日に捧げます。今でも、大好きです。
この日に私は感謝します。 貴女みたいに綺麗な言葉でたたえられないのがくやしいです。
私の人生に多大な影響を与えてくれた三原作品。お亡くなりになったのを知った時は涙が止まらなかった。コマ割りも構図もセリフも暗記するほど読んだ「はみだしっ子」。もう二度とこんな作家は出てこないだろう。ご冥福をお祈りいたします。
嬉しい。 こんなに沢山の『同士』に逢えたよ。
『ありがとう』
嬉しい。 これなら絶対届きそうな気がするよ。
『ありがとう』
嬉しい。 貴女にずっと言いたかった事が言える。
『ありがとう』
貴女が私の『Bible』だったよ!ずっと!
そしてこれからもサ! 勿論ずっと…ネ
『ありがとう』 『ありがとう』 『ありがとう』
PS:この国が禁煙大国にならぬよう見守ってて☆ 私がそっちに逝く時には、土産に必ずカートン持ってくから(笑)
アンジーファンがたくさんいらっしるようですが、私もそのひとりです。彼をして、「あなたのためなら、何でもしましょう」と言わしめたフー姉さまが、うらやましかったな。ハンサムで器用で、いくらでも楽に世渡りできそうなのに、傷ついて泣いてばかりいる彼が、かわいそうで、好きでした。
先生の訃報は10年前に知りましたが、ショックでした。 高校時代、「はみだしっ子」にはまってました。 私はアンジーファンで、友達はサーニンファンでした。 今でも、単行本やはみだしっ子関連のグッズは、持っています。 文庫版も、買いました。また、読み直したいです。 先生の未読の作品も読みたいと思います。 遅くなりましたが、ご冥福をお祈りします。
先生。素敵な作品を、ありがとうございました。
20代でこの作品を描いたとは。恐るべし、三原順。
アンジー、お元気ですか? あなたのことは、私が一番良く解かっているから。 私の前では、無理しないで。 あなたが泣いても、怒っても、微笑んでも どうしようもない自分をもてあましても 全てを受け止めるから。 だから、私の前では、安心していて。 何があっても、守ってあげる。
・・・きっとはみだしっ子ファンの多くが、 同じようなことを4人に対して想っていたんでしょうね。
でも本当は、私が誰かに言って欲しかった。 アンジー。 助けて。
「はみだしっ子」をはじめて、読んだのは中学2年生の時でした。 かなり、ガツーン!とくるものが、ありました。 何度も、繰り返し読みました。しばらくぶりに読み返してみました。 もう、あれから、かなり年月は、たっているのに、やはり感慨深いものがあります。 年をとったら、とったなりに、また違った形で、読み返すことができました。 わたしにとっては、彼ら4人は、いつまでもともにいると思います
言葉をどんなに尽くしても伝わらない人にも、あふれてくる思いに言葉が追いつかない人にも、言葉を抜きにしても語れる人にも、すべての人に彼らは告げている。「僕はここにいる」。見原先生のご冥福をお祈りし、花を捧げます。
また、年月がたってしまいました。先生の作品を読み返すたび、新たな感動と、当時の思い出が蘇ってくる感慨とに包まれます。先生の作品は、これからもずっと一緒です。
今日もあなたの事を考えています。 思い出して涙が零れてきてしまいますが、 今日もあなたの事を考えています。
はみだしっ子は、連載当時リアルタイムで読みました。実家には当時の文庫がそのまま残っています。近いうちに自分の子どもに読ませようと思っています。そして出来れば文庫を受け継いでいって欲しいとも願っています。本当に一生忘れられない作品です。
はみだしっ子。印象深い作品でした。10代の頃、夢中になって読みました。大人になって読み返すと、手先が器用なのに、生き方が不器用なアンジーが、つくづく愛しいです。あのガラスのように繊細さ。彼はどんな大人になったろう?天国の三原さんに、平安あれ。
私が大事にとっておいたはみだしっ子を、娘が探し出して読んでいました。中学生だった私はいつの間にかジャックの年を追い越してしまいました。なんで解かってくれないの、大人なんて、反発ばかりしていたのに,いまや反対の立場。何で解かってくれないの、こんなに愛してあげてるのに。4人を思い切り抱きしめてあげたいです。大人になった彼らにも何時か会いたかったのですが、残念です。ご冥福をお祈りいたします
はみだしっ子が三原作品との最初の出会いで、とにかく強く惹かれました。物語を、セリフの一つ一つを読みこんで変換して自分の中に蓄積していきました。出会わなければ今の私ではなかったかもしれません。はみだしっ子以降の作品も素晴らしいですね。三原作品に出会えてよかったです。本当にありがとうございました。心からご冥福をお祈りしています。
今さらですが、下記の人物です。 泣きました。 ここに来て初めて無くなったことを知り 書き込み、それから今までずっとオエツしながら 記憶をさかのぼりました。 私がその後の進路を誰にも訊かずに独人(ひとり)で決めたこと、 今までの人生に持っている「感覚」 三原順さんn影響は計り知れないです。 明日、実家に置いてきた分を含め買いなおし 今の私のマワリにいる方々へ一巻ずつ読んで欲しいと思います。 本当に本当に貴方は私を強くし、そして少し冷淡にし 人生をいろんな方角から見ることを教えてくれました。 私はグレアムであり、マックスであり、そして本当の幸せは アンジーの愛するお姉さまだと知っているのです。 こころから冥福を。
中学校のときに出会いました。 私の中で4人は、そして、LPレコードを 洗剤で洗ってしまう彼とその奥様も健在です。 エルバージュに映えあれ!
今もたまに読み返すたび、幼い頃とはまた一味違った作品への反応(あ、こうゆう意味だったんだ!)と先生の込められた想いを発見し、毎回新たな発見に先生の素晴らしさを再認識すると共に自分の浅はかさを実感しています。漫画の奥深さを教えて下さった三原先生のご冥福を心よりお祈りいたします。ありがとうございました。ゆっくり休んでください。
はみだしっ子を20数年ぶりに読み返しています。少女時代、くわえタバコの美形のアンジー君にきゃあきゃあ言いながら読んでたもんです。今もあんまり変わらないけど。 それにしても、これだけ年月がたっても、再読に耐える漫画って、すごい。
幼い4人に夢中だったとき、アンジーの言葉が胸に突き刺さり 十分大人になった今、グレアムの言葉が私を揺さぶります
知りませんでした。 三原先生の作品は大好きでした。1度読んだだけでは気がつかなかったことが、3回くらい読むと気づいたりして、ずっと見かけないと思っていたら、とても残念です。
ある検索をしていて今日初めて亡くなっていたことを知りました。 はみだしっこ、好きでした
リアルタイム世代ですので、4人に初めて出会ったのは、遠〜い遠〜い昔でした。一番気になったアンジー、シリアスなグレアム、強いサーニン、甘えんぼマックス。みんな、その時と変わらないまま輝いて、今も私のそばにいます。
親離れする愛娘への寂、衰え行く老親への哀、目の前にいる困った人を助けられない”いらえ、自分の心を救いたいために・・、読もう「もう一度」助けてくれ君たち。願。
初めて読んだ日にいつも戻りたく思います
懐かしいです。時折読み返しています。
また、来ました。はみだしっ子のお陰で生きていられたんです。生きようと思ったんです。
はみだしっ子の世界に初めて出会ったのは、小学生の頃。たしか「窓のとおく」の連載がリアルタイムで始まった頃でした。小学生には難しすぎる内容だったし、多分、時代的にも早すぎた・・今なら、今という時代にこそ読んで語られるにふさわしい作品という気がします。時代が、人間の意識がやっとあの頃の三原順に追い付いたというのでしょうか。 この年になって生き方を模索している愚かな自分に 「はみだしっ子」で語られた言葉が、突然引き出しから飛び出してきたように響くことがあります 『ボクなら信じない 恐ろしさにすべてを忘れ動けずにいる者にはじっとそうしていることが 安全で幸福だなんていう奴は ボクは信じない 岸でのんびり忠告してくれる連中なんて そこにいちゃいけない 我々のところへ来い 行けるくらいならとうに!言われなくても行ってる だからボクは助けに行くんだ』
その存在に絶望しながら 尚も希望を求めずにはいられない人間という生き物のありようを 本当に深く真摯に掘り下げ 多面的に描いてくださった三原順さん クークーを助けに向かったサーニンの言葉は 三原さんが作品に託して私達に投げかけてくれた思いそのものだったのでしょうか 三原先生の作品に出会えたことに感謝しています。
中学生の時に友達に薦められて初めて三原氏のはみだしっこを読みました。今でも最後の意味はわかりませんが・・・。それ以来、三原順ワールドにはまってしまいました。SONSも好きでした。D.Dの空想に出てくるマッコウクジラ、アーニィや狼男等々。三原先生、私のつらい青春時代を救ってくれた作品たちを生んでくれてありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
なぜかデジャヴを感じる、「はみだしっ子」の独特の世界が忘れられません。こんな作品を生み出した作者の方に、一度でいいから、じかにお会いしたかった。「あんたはおいらのお天道さん。なのにあんたはおいらを置き去りに・・・(ユア・マイサンシャイン。訳詩:アンジー)」。どうぞ、安らかに。
あ〜、あんな凄い作品を読む事が出来てヨカッタ…日本語読めてヨカッタ…と、心から思います。
私が三原さんの漫画を知ったのは小学生のときでした。 一度読んでその世界に引き込まれたのは言うまでもありません。 はみだしっ子語録を学校に持ち歩いてた頃を懐かしく思い出しました。 今でも一番大好きな漫画です。 結婚で一度手放したコミックス、また入手してきます。
三原さんの選ぶセリフのセンスが好きでした。饒舌なシーンでも、寡黙なシーンでも。長いセリフでも、単なるあいづちでも。アンジーの「・・・そう・・・。」っていうだけのセリフにキュンとなって、そのシーンばっかり読んでたときがあったな。はみだしっ子、今でも大切に持ってます。
はみだしっ子の中の言葉は、私の哲学となり、二十数年経った今も、それは変わりません。先生の歳を越した今、まだまだ、いろいろ教わりたかったと残念でたまりません。ありがとうございました。
大好きです。私が空へ還る時がきたら、あなたへの愛をこめた 論文を持っていきます。お酒のみながら、一緒に話して下さい。 先生の反論を楽しみにしています。
久々に来ました。長女は13歳となりました。今考えると彼ら4人はなんて大人の考えをもった子達だったんだろうと思います。
リアルタイムでのめり込んだ年齢です。 人格形成の大切な時期に四人組と過ごした事は、私の人生における人間観を根底から覆すものでした・・・でも、大好きです。 御冥福をお祈りいたします。
彼ら4人の、信じられないくらいの繊細さとか、優しさは、すべて作者の三原さん自身のものでしょう。特にアンジーが時おり見せる、相手に対する強烈な愛情表現が好きでした。
私が「はみだしっ子」初めて読んだのは、中1くらいだったと思います。母が10巻と11巻を持っていて、読んでみるとはまってしまい全巻集めました。ちなみに、現在21歳です。しかし、それを手放してしまい、題名さえ忘れかけていた頃、なぜか、また読みたいという衝動に駆られ、手に入れました。読んでみると、言葉にはできない大きな衝撃を(また)うけました。私は、4人とも大好きです。グレアムの気持ち(私なりの解釈)にすごく共感し、その葛藤に胸が痛かったです。そのグレアムを見つめるアンジーの言葉にならない切なさは計り知れないし、その優しさに惹かれました。サーニンは野生児のようで、実はグレアムに対して、一番敏感だったのではないでしょうか?マックスは、まっすぐみんなの幸せを願い、私もそういう風に生きていけたらと思いました。他の作品も人物の細かい描写が天才的!!で、感動を超えたものを感じています。これだけ素晴らしい作品を残していただいて本当にありがとうございます。
スイマセンすいませんスイマセン。永らくお噂を聞かなかったのですが、まさか他界されていたなんて(T_T)たまたま、「はみだしっ子」のネタで、ググッたらこの記事を見つけて・・・ショックを受けております。 三原さんみはらさんミハラサン。ありがとうございました。 あなたの作品と出会わなかったら、今の私は存在しなかったと断言できます。・・おやすみなさい=ハッシャバイ。
子供時代にさんざ傷ついたぶんだけ、あの子たちはいったい どんな大人になったんだろうかと、今も時々考えます。 フェル・ブラウンじゃないけど、どうか自由になってて欲しい。 そして、自分が生きていることに喜びを感じてくれていれば、と思う。 特にグレアム。
Sonsをまた通して読返しました 6-7巻にかけての、複雑に絡んでいたDDの心境が どんどんほどけて透明になる過程は何度読んでも心打たれる デビュー作をリアルタイムで読み、はみだしっ子と共に成長し Sonsで自分も大人になったようなものでした
お花を一輪ささげます。愛しのアンジーの生みの親に。夭折された天才に。
はみだしっ子で検索してここに来ました。書き込みを拝見して同じ思いを抱いている人たちが沢山いることを知りました。忘れられない我が人生の主人公たち。グレアム アンジー サーニン マックス あなたたちにもう一度逢いたい。三原先生の作品は全て宝物として持っています。一生の宝物です。ありがとう。
偶然ここにたどり着いたのですが もうお亡くなりになっていたとは…知りませんでした。 先生のご冥福をお祈りいたします。
30才を過ぎてから「はみだしっ子」のセリフの数々が理解できる様になりました。 先生のご冥福を祈ります。
検索してたらこのぺ-ジに来ました 懐かしかったので覗いたら三原順さんなくなってたと知り少しショックです はみだしっ子は実家にまだ置いてあるので また読み返したいとお思います とても読み応えのある本でしたし 貧乏な学生でしたが 全巻いっぺんに とりよせて買ってしまいました すべてそろえたのはこの本だけでした・・・
正直あの4人が羨ましかった。なぜそこまで自分の気持ちに正直に生きられるのか…媚びることもせず…彼らと出会った当時、中学生でした。その頃からそう思っていた私はどこか大人びた人間だったのでしょう。 いい子を演じていた私。どこか期待に応えようとしていた私。なのに周りの大人達に誉められてもちっとも嬉しくなかった。親に自慢されても自分が自分を誇りに思えなかった。それは何故?? 私のHN。由来をよく聞かれます。「ぐれているからぐれ」と答えます。勿論、グレアムのグレを頂いたものなのですけど。
中学生の頃、人間関係の苦手だった私は「はみだしっ子」に出会い、その世界に夢中になりました。でも当時は難しくてよく理解できなかった。最終回も唐突で納得できなかった。再び本棚の奥にしまいこんでいた四人の物語を取り出したのは、それからずいぶん長い月日が流れた後でした。一気に読み返しました。大人になった私はその時やっと、それぞれの登場人物の気持ちとどうしてあの最終回だったのかが少しわかったような気がします。当時は子供の視点でしか考えられず理不尽に思えた大人たちの気持ちや行動も含めて。これからも読むたびに思いが深くなるような・・・そしてきっといつまでも私の心の中に残っていくような作品だと思います。
1994年から海外暮らしです。ですので、先生が亡くなられたことすら 知りませんでした。私はムーンライティング・シリーズが大好きでした。もう続編は読めないのですね・…。
美形で、ひねくれ坊主で、切ないほど優しいアンジーが好きでした。彼にまた会いたいです・・・。
多感な時期に、三原先生の「はみだしっこ」に私は強い影響を受けました。今でも体にしっかりと染み付いています。引き寄せられたのか、自分から先生の世界に入っていったのか、今ではもう分かりません。先生が札幌でお仕事をされていたとは当時全く知らず、隣の街で思春期を過ごしていました。そんなに近くにいたのに・・・今年は藻岩山に行ってみようと思います。今でもアンジーを見ると壊れそうで、切なくなります。
小学生からリアルタイムで、月2回が待ち遠しかったです。オリジナルな画と、誰にも真似できないエピソード。 傷口から血を流しているような4人組がそれぞれに向ける真の優しさが現実よりリアルに思いました。 病に追い詰められた人を見るたびに彼らのことを思い出します。 でも、自分自身でしか解決できないのだという事も繰り返し語っていました。 何年たっても私の生き方のバイブルです。 札幌は花の季節です。涼しい風に吹かれて、まだ4人に焦がれている私を笑って頂きたいです。
古本屋で文庫版を見つけ懐かしくなりつい買ってしまいました。そこでお亡くなりになっていたことを知りました。遅くなりましたがお花を手向けさせていただきます。今では6巻そろえて読みふけっております。やっぱりおもしろい!
先生が亡くなって、あんな話を書ける人はもういないのに今でも書店にはみだしっ子の新刊が出るような気がして毎日本屋に通っています 思わず読まなきゃよかったと思うほど心が動かされました 読んだらまた感情移入して自分も傷つくことは分かっているのにページを開いてしまうのは傷ついてもグレアムやアンジーやそして亡くなった先生に触れたいからなんですね…
中学生ではわからなかった「はみだしっこ」のエンディング。 社会人でもわからなかった「Sons」のオオカミ。 最後まで読みたかった遺作。 私の心の中に、作品の力として、三原順さんは生きています。 同じ時代を少し共にできたことに感謝。
年の離れた従姉妹の家に全巻揃っていた「はみだしっ子」。初めての漫画本との出会いでした。 文字が読めない頃から読む真似ごとのように絵を見、文字が読めるようになり、文章の意味がわかるようになり、世界観を理解できるようになり・・・。 私の成長と共に「はみだしっ子」は色んな形でぴったりと私の傍にいました。 今日ふと部屋を片づけながら愛増版の「はみだしっ子」を手に取り初めてこちらに立ち寄り訃報を知りました。 私の中の何十年間分のいろんな形の「はみだしっ子」が涙と共に溢れ出して止まりません。 初めて出会った時から今まで、一番好きな漫画はずっと変わらず「はみだしっ子」です。きっとこれからもずっとです。 たくさんのお花に1つ加えさせて下さい。ご冥福を心からお祈りいたします。ありがとうございました。
暗闇を手探りで迷っていた頃、人は本当に望んでいる時に引き寄せられるように出逢いがある物なのですね。そんな折に出逢えた「はみだしっ子」には運命さえ感じたものです。むさぼるように読んで、どれ程の力と宝物をたくさんいただいた事か・・・。本当に三原先生の世界が好きでした。でもそれから十数年、気付くと先生はいらっしゃらなかった・・・。作品を通じて「また逢える・・・」と思っていたのでその時の衝撃は忘れられないし、その「また」は来ないんだと思うと残念で哀しくてなりません。でも、今日このサイトと出逢えた事はそれも「また」運命なのかなと思えてしまいます。先生を今も想う方がたくさんいる事に、そしてその方たちの熱い言葉に感動して涙がでてしまう事がしばしばです。ありったけの思いを表す言葉がみつからないもどかしさを感じつつではありますが、三原先生とそして「はみだしっ子」という素敵な宝物と出逢えた事、本当に感謝しています。
何か自分の中で納得出来ない事柄に出会った時、はみだしっこのセリフをいまだに思い出す事があります。 先生、ありがとうございました。安らかに・・・。
中学の頃、道を踏み外した僕は、アンジーが孤児院のヴァトウ達とトランプをしながら語ったルールについての価値観が今でも僕を戒めてくれています。「つまり、作法っていうのはあんたとオレと違う人間なんだと認めあうことなんだと」ことことぐルールを破ることに自分の存在を探していた僕は、結局高校には行かなかったけれど、33歳の今もおかげで’ちゃんと!、やれています。感謝を込めてここに献花いたします。
時間って早いですね
「はみだしっ子」を中学か高校のころ読んで,多大な 影響を受けました。若くしてお亡くなりになり残念です。 ネット上で献花させていただきます。 合掌
サーニンのセリフに、「南極ではうまくやっていけない人でも、アフリカではうまくやっていけるかもしれないでしょう。」正確には覚えてませんが、こんなようなニュアンスのがあって、当時、思春期まっただ中だった私は、すごい衝撃を受けました。このひと(三原順さん)は、わたしを、わかってくれる。その感動が、20何年後の今でも続いています。
保護者によって深く傷つきながら、傷に飲み込まれず、生きるためにあがく繊細で逞しい子どもたちが大好きです。 そんな、弱く強かで、みっともなくて美しい人間を描きたくて、大人になった私は漫画家になりました。天国で読んでくださいね、三原先生。
初めて読んだ時から今まで、「はみだしっ子」が1番好きな漫画です。きっと一生変わらないと思います。何回読んでも新しい発見をしています(いろいろなことに気付かせてくれます)。バイブルであり、宝物です。そして、アンジーのことが、とにかく好きでした。遅まきながら、私もJUN様に花束を捧げます。
はみだしっ子、大好きです。グレアムが1番好きです。
はみだしっ子、何年ぶりかで読み返しました。 今回、いちばん泣いた場面は、酔いつぶれたアンジーを探しに行ったサーニンが、迎えにきたジャックを見て、彼が数年前に自分達を救ってくれた医者だと気づくところです。(「雪、降ってた?」から始まるサーニンのせりふを暗記するくらい読み返しました。) いちばん美しいと思う場面は、自分を案じて毎日新聞を買いに行っていたフー姉さまの優しさに打たれて、アンジーが泣く場面です。
小学生の頃、姉が買っていたはみだしっ子を読み耽っていました。亡くなられた事を知ったのは最近です。 ぜひ、献花させて下さい。 グレアムがいった「アンジーは左利きだ!」 このセリフと場面が、なぜか現在でも忘れられません。 アンジーとグレアムが大好きでした。 あ、ペンギンとカッパも・・・
はみだしっ子に、連載当時はまり、最近になってまた突然読みたくなって、文庫を揃えました。今も昔も、アンジーに一番、心ひかれる。文庫のあとがきに、市川ジュンさんがアンジーを評していわく「切れそうな美貌と、根性曲がりの優しさのセット」と。アンジーの魅力を言い尽くしている一文ですね。はみだしっ子4人の中でも、三原さんが特に彼を愛していたように思えるのは、ファンのひいき目でしょうか。
このサイトを、本日見つけました。 献花させてください。
日本を遠く離れて。ことあるごとに思い出す。グレアムを、アンジーを、サーニンを、マックスを。何百キロ、何千キロ離れても。三原さんが旅立って、何年経っても。
三原さん、永遠(とわ)に・・・! 最近再び全作品再読中です。 愛を込めて。
小学校高学年の多感な時期に出会い、人格形成に多大な影響を受けました。 漫画っ子だったので色々読みましたが「はみだしっ子」のような作品は他になかったですね。 理論的・思想的な内容が多いので友達には敬遠されがちだったことを覚えています。 でも大人になった今こそ、必要な世界ではないかと思います。
初めて読んでから20年以上・・・ 今になっても作中の問に答えられない大人になってしまいました。 だから、今も手放すことはできません。 迷い悩み続けることも、あの頃の私に対する一つの答えと思うから。
はみだしっ子(つれていって)命だった、25年前のあの頃、花とゆめ誌で、連載が終わっちゃう??と読者が騒然としていた、あの頃、私は、三原先生にレポート10枚にわたるレターをだしました。 先生、またあの4人を昔のように行かせてあげてください!と。 グレアム(本当は先生)にも、必死の手紙を書きました。グレアム、サーニンにはクークーのことでアンジーを泣かせるんじゃないっていったが、今君自身はアンジーを泣かせてるじゃないか!グレアム、死にたいと言う事は、本当は生きたいという自己主張なんだよって。 レポート10枚の返事はもちろんなかったけど、先生は連載中にその解答を作品中で答えてくださいました。(つれていって中、グレアムがサーニンに電話するところ。自分はフリルのブラウス代金をアンジーに払ってもらってないツケで泣かせていいんだ、等。海辺のダナとのベッドシーン?で自己否定は自己主張のコマ等。)ああ、先生ちゃんと答えてくださったと、身震いしました。 そして、単行本の表題死に、グレアムからの書き下ろしメッセージとして、『もう昔の生活には戻れない、ボクはもう14歳になってしまっているんです、ごめんなさい、みんな』って。(愛憎版5巻73ページ)みんなって、きっと読者もふくまれてると思いました。また旅立たせたいと思ってた読者も多かったろうから。 先生、なんとか作品を理解させようと、本当に真摯でやさしかった。私、先生の亡くなった年になりました。先生の分も生きていきます。見守ってくださいね。
ありったけの思い出と愛をこめて。
三原友達が命日のことを教えてくれました。 少し遅れてしまいましたが、三原先生に感謝の花束を贈りたいです。三原順の作品を読むことが出来た私は本当に幸福な子供だったと思います。
1日遅れですが、今年も花を・・・ 昨日「三原順様に花束を」タイトルで企画ライブを無断でさせていただきました。 ここに報告させていただきます。
子供の時も、親になった今でも、Junさんの描かれた作品たちの言葉が心を刺します。どこかの人知れない書店でアナタの新作が飾られているのではないかなどと愚かな夢を今だに想います。
今年も、お花をひとつ。
数年前に部屋のなかの大量のガラクタを処分するとともに、はみだしっ子も全巻知り合いにゆずってしまいました。 久しぶりにはみだしっ子のことを思い出し、Netを渡り歩いていたところ、今日が命日とのこと。私も、花束をひとつ捧げます。
あの頃の想い出と共に。献花しに、来ました。
愛と、敬意と、感謝をこめて。
多感な時代、はみだしっ子に心酔しておりました。
過ぎる月日のなかで、三原さんのことをすっかり過去に置き去りにしておりましたが、亡くなったこと、明日が命日だということを今日知り、愕然としております。
心よりご冥福をお祈りいたします。
子供の頃読んで 自分の中でもやもやして 口に出したくてもどう表現していいのかわからない部分を 彼ら4人が代わりに言葉にしてくれてる感じがしました。 それはとても衝撃的で 自分の中で初めて気がつく「はみだした」部分の感情でした。あの当時 三原順さんの作品に出会わなければきっと感情を凍らせたままだったと思うとゾッとします。ありがとうございました。三原順さんに花束を。
子供の頃、先生の作品はいつも傍らにありました。 そして今もなお、心の中に息づいています。 先生が生み出した彼らは、今もちゃんと生きています。
久しぶりに立ち寄り、EverGreenさんのコメントを拝見して、思わず涙がこぼれてしまいました。はみだしっ子をむさぼるように読んでいたあのころから30年も経ってしまったのだなあ、と。はみだしっ子がいつまでも私の中で色あせないことがうれしくもあり、いつまでたっても、あのころのような迷路から上手に抜け出せない自分が情けなくもあり、年齢ほどに上手に大人になりきれない自分に嫌気がさしてしまったりして。あのころ自分がなろうとしていた、なりたいと思っていた自分に未だなれません。 「ちっきしょう、まだ、負けねえぞ。なあ、グレアム、あきらめた奴は、敗者確定だ。あきらめなければ、まだ、行ける。いつか、きっと、望むところまで。」
今でもふといろいろな折に「彼ら」やピアやソロモンの言葉が頭に浮かび上がってくることがあります。 彼らは今の世界をどう思うんでしょうね。 かなり重いテーマを描きながらも、あわせて泣きたくなるような人の優しさを描ける三原順さんの世界が大好きでした。 久々に一巻から読み返してみようかな。
はみだしっ子が世に送り出されて、およそ30年の月日が流れました。 それでも未だに色あせない。色あせるどころか、今でもファンを増やし続けていることをここで知りました。 私の心の奥底に彼ら4人が生きています。彼らを通して語りかけてきた三原順の言葉が私にはバイブルでした。 人の心の奥に宿る魂の叫びを見つめる三原順の作品が大好きでした。
混沌とした今の時代、もし生きていらしたら三原先生はどんな作品を描かれているでしょう。
お恥ずかしいのですが、最終回を何度読み返しても、彼等がどうなったのかわかりません。 ず〜と そう思っていたのですが、友人にも聞けませんでした。 先生が生きていらっしゃたら、続編をいつか描いてくれて、こんなモヤモヤも無かったかなぁ。
自分が三原先生の作品を読み始めたとき、既に先生はお亡くなりでした…もしかしたら何処かではみだしっ子の続編が掲載されるかも、と思ってしまいます。…もうあの作品を描ける人はいないんですね。
ホントにもう10年なんですねぇ・・・。でも、本を開くと、そこにはいつも三原先生の世界がちゃんとひろがっていて・・・、不思議な感じです。