はみだしっ子大好きでした。 BGMにはアバを流しててその時の場面は、グレアムがマックスを 迎えに行った所で本当に感動して、私の中にも最後の星空の場面が しばらく頭から離れれませんでした。もっと順先生の作品が見たかったです。
別のページにも書きましたが、私が「はみだしっ子」に出会ったのは小学校低学年の時。まさにアンジー、グレアムと同世代でした。小学生のときに、意味もよくわからぬままに、しかし飽きることなくむさぼるように読み、その後同じように「SONS」にもはまりました。 今でも実家に帰ると、夜中にこのシリーズを読み返すのが習慣です。 先日初めてこちらのサイトさんを知り、あらためて先生の作品をもっと知りたいと思いました。そしてついさっき、注文した「ビリーの森 ジョディの樹」、「ハッシャバイ」が届きました。これからじっくり読みます。
小学生の時に出会って、それからずっと一緒です。 高校入学の時に遠くへ引越した友達に、一番大切にしていた「はみだしっこ」を贈って、それから、今も、その子とは親友です。 三原先生の作品には、本当に多くの事を教えていただきました。 もう、新しい作品を見れないのは残念だけど、本当に、本当に、ありがとう。
中学から高校生の頃はまっていました。三原先生の作品を読むごとに人間としての生き方をいろいろと考えることができました。あの多感な時期に三原作品と出会えたのは幸せでした。何度も何度も読み返しても飽きることのないストーリー、緻密に書き込まれた絵、名作の映画を見ているようでした。何年か前に先生が亡くなられた事を聞き、実家においてあった永久保存版の「はみだしっ子」その他を引っ張り出して久しぶりに読み返しました。そして、私が漫画を卒業してから出版された作品を新刊はもちろん中古本も探して集めている途中です。今回、このサイトを見つけることができて良かったです。ありがとう。
小学生でした。幼いなりに魅かれました。 大人になり、何度も何度も読み返し、気持ちが痛くなり、又、 励まされ力をもらいました。 メモノートにかかれていた「三原さんご自身が描かれて知人の 作家さんに贈られたという「アンジーとグレアムのイラスト」の ところで泣きました。 笑顔のグレアム、ひょうきんなアンジー・・・。 抱きしめたいです。
ありがとう
小学校高学年の頃に出会い、中学生の頃はまってました。当時自分の家庭環境もあまり良くなく、本当にはみだしっこの登場人物に共感してました。大人になりしばらく封印してましたが、最近ようやくもう一度読み直しました。読むと本当に心が痛くなり当時の自分に会ったようでした。こんな感想がもてる三原順さんの作品って本当にすばらしいと再確認しました。
高校生の頃、はみだしっ子を読むことで心のバランスをとっていた時期がありました。このHPを見て、やはりこれだけ読み継がれる作品であったんだなあと思うと、あの頃の自分に話しかけてあげたくなりました。
はみだしっこを初めて読んだのは中学生の頃だったと思います。 兄がお友達にたまたま借りてきたのを読んだのですが もう、夢中になって読んだのを覚えています・・・ この作品を読めた事に感謝します。
サーニンとアンジーが大好きでした。小学生高学年の多感な時期に出会えてよかったと思います。あの頃に、彼らに出会えなければ私の人生のその後は変っていたでしょう。その位、心の拠り所になっていました。大人はけして完成された人間ではないということ。親子とはその消し去りがたい血という絆により、お互いをしばりあっている存在ということ。 はみだしっ子、その後のSON’sなどは、三原順先生の没後に読みました。私たちリアルタイムではみだしっ子とともに育った世代が、次の世代へと生きていくためのレクイエムのような作品だと思いました。しかし、残念でならないのは、私たちには、そこから先の道標が、もう標されることはないということです。ぜひとも大人になった、サーニンの姿を見たかったのですが・・・
つらかった10代ささえてくれてありがとう。 アンジーに恋してました。今、新しい扉を 開こうとしているところです。
アンジー、今も私の一番守ってあげたい人です。 忘れられない台詞がたくさんあります。 出来ることなら成長した4人のその後を読んでみたいです
はみだしっこのグレアムが好きでした・・・。 今日・・知りました・・・・ 今でも信じられずにいますが、 三原先生の ご冥福をお祈りいたします。
素敵な作品をありがとうございました・・・。 いつまでも・・・私の心の中に・・・
「はみだしっこ」もオンタイムで読んでいて、心に残っていますが、今何度も読み返す本は「サンズ」です。特に元気を失った時に読んでいます。不器用な人間を暖かく描きだす、そういうところが効くのでしょうか。人生になくてはならない本だと思っています。
間違えてコメント入れる前にEnterを押してしまいましたので、もう一度…って、特にコメントもなかったのですが…。 今日は雨です。一昨日から降ったり止んだりしています。明日は晴れるかしら…
先生と先生とリンクするご家族、ご友人、ファンの方皆さんの出逢えるこの場が何時までも有り続けます様に・・・。
三原先生がお亡くなりになられた時はいろいろ個人的にもあったときだったのでその事実を知ったのはだいぶ後になってからでした。はみだっしっ子とであったのは中学の頃。親との関係に悩む思春期でした。今自分が親になってみて、あの作品の素晴らしさをあらためて感じています。子供の気持ちと親の気持ち両方を考えさせられます。自分の子供にも受け入れてもらえるかな・・・と。今子供が、私がこの作品とであった年齢に達しています。どうやってこどもの目に留めようかと思案中。
「はみだしッ子」は、私の中学時代のバイブルでした。グレアムやアンジーとわ同世代でいろいろ共感することもありました。 「カッコウの鳴く森」のマーシアやたぶん「ビリーの森・・」のビリーなど自閉症の人物を登場させるなど母となり自閉症の子供をもつ身となったいまもういちどよみかえしても、いろいろ考えさせていただいてます。先生すばらしい作品をありがとう。
どうしても「はみだしっ子」を読み返したくなり、古本屋で全巻揃えて週末に一気読みしました。初めて読んだのは小学生の時でしたが、今読んでみてもあの頃の切ない気持ちが再現されてきます。「Sons」も、これから揃えて読もうと思っているところです。
ビリー..ジョディ..今日始めて読みました。 三原順さんの作品は10代の私の世界観のすべてだったのですが その後、海外で20代をすごして封印していた自分だったのですね。三原さんが亡くなられたことは数年後にロンドンにいるとき にネットで知りました。私にとってうまく解決できない事実だったのですが、こうしてオモイをよせている人間達がいるということが、どういう形にせよ、魂というものがあるのだったら、 そのタマシイによい影響をあたえる形で届けばいいとおもいます。他のファンのかたたちとツルむような気分はおこらないのですが、これだけ、たくさんのひとたちに静かながら強い影響を与える個人というのは・・ また生まれてきてくれませんかね。。。
「はみだしっ子」は何回読んでも飽きることがない作品です。小学生の時には意味がわからず呼んでいた記憶があります。でも、年を重ねるたびに読み終わった後の気持ちが違うのです。今でも、本棚から取り出して読んでいます。三原先生の作品はもっと読みたかったです。
すごくすごく 好きだった あの4人組 母になった今、あの4人を抱きしめたいと思える
三原先生の作品との付き合いは、先生が亡くなられてからのほうが長い私ですが、今でも読むたび、「この人とお話がしてみたい。」と、思ってしまいます。一度もお会いすることができなかった事が、悔やまれるばかりです。もっと早く出会いたかった。
多感な思春期に「はみだしっ子」に出逢いました。 今でも、何にも代え難い大切な作品です。 いつかあの最終回のアンサーが、別の作品のどこかに出て来ると 信じて待っていました。 でも、もうそれも叶わぬ夢になりました。 私は私の人生の中で、答えを探し続けます。 三原先生、ありがとうございました。
sunsの演劇があったとは知りませんでした。(もっと頻繁にここ見にきていればよかったのですが)sutudio lifeはかつてトーマの心臓を見に行って、結構原作に忠実なのでびっくりした記憶があります。 見に行けばよかったな。再演してくださるといいのですが。 ここに書くの2回目(2年目)ですが、三原順さま、すばらしい作品群を本当にどうもありがとう。
わたしが、三原先生の作品に出会ったのは、小5の時です。「はみだしッ子」を読んだ私は、作品の難しさに驚き、理解しようと読み続けると、「はみだしッ子」の面白さにはまり、この本無しでは落ち着かなくなってしまいました。こんな本を作れた三原先生、いまさらながらすごい方だと思いました。(今、私は小6になりました。)
始めて買ったコミックスが『はみだしっ子』でした。 色々な事を教えていただきました。 心から・・・ありがとう・・・と、お伝えしたかったです。
ネットサーチをしていて偶然このサイトに出会いました。 お亡くなりになっていたなんて知らなかった・・・。 お花を贈らせてください。 このような機会を作ってくださった立野さん、ありがとうございます。 そしてみなさんのコメントを読んでいて涙が出てきました。 忘れていた大切な友達のことを思い出させてくれて、ありがとう。 「はみだしっこ」、たくさん泣かされました(笑) そしてたくさん慰められ、元気づけられた気がします。 グレアム、アンジー、サーニン、マックス。 四人とも、抱きしめたいほど愛おしかった。 ひねくれてるくせに優しいアンジーが好きでした。 グレアムのことで心を痛めるキミに、私は心が痛かったよ(笑) みんな、いつまでも大切な友達です。 三原先生が心安らかであられますように・・・。
「はみだしっ子」は、亡き妻が遺してくれた本で知りました。 妻のことを、それまで以上にわかった気がしました。 三原順さんのご冥福をお祈りいたします。
有難うございました。
こんなに花束があるなんて・・・・・ いつまでも忘れられない作品です
いつまでも、忘れてない人がいっぱいで嬉しい。私もずっと、忘れません。命の恩人のように過ごした日々です。
今日初めてアンジーの夢を見ました。少し泣けました。
素晴らしい作品をありがとうございました
出会えたことに感謝しています。
漫画においても人生感においても小生の原点であり、小生の中では未だに生き続けている存在です。今もどこかで元気にタバコをふかしているような気がします。先生、ありがとっ!
花が一杯になりましたね♪。 もっと、もっと増えて、沢山のファンの方の心が癒されます様に。 先生と先生のファンの皆さん全員と、何時か再びお逢い出来る事を信じて!!!。
やはり、惜しい人を亡くしたとしか言いようがありません。
春の声が聞こえて、冬が終わるのかと思うこの季節になると、思い出します。 置き去りにされた子どものような心許無い気持ち。
まだ幼かった頃読んで心に残り、多感な頃よく読んでいた漫画家さんが三原先生びいきで更に深く心に刻まれ、子供を持ってからまた読み返し・・・一生モノの出会いだったと実感しています。
今年の札幌は、妙に暖かいです。花はまだですが、もうすぐクロッカスが咲くと思います。 はみだしっ子に出会わなかったら、私はどんな人に育っていたんだろう。三原順さん亡くなられて何年も経つのに、まだ涙が出る。
また、来てしまいました!北海道は寒いですか?こちらは桜が咲いています。また、来ます。
初めてはみだしっ子を読んだのは確か80年頃。私は8歳でした。 疑問に思うこと、苦痛に感じる事が沢山あって潰れてしまいそうでしたが、それを友達や親に聞いても無意味だと知っていました。 自分が普段考えてる事は誰とも話し合う事の出来ないもので…丁度その頃私は不安神経症に罹っていて。しかし誰に問う事も出来ず。 病気が治るまでの20年間、三原先生は私の友人で同士で、先生で、母親で、物事の不思議と答えを繋ぐための扉でした。 今となっては一口には言えない程大きな存在ですが、少し楽になった今の自分で感じる三原先生というのは本当に勇気のある、闘う意志の強い方だったと思います。沢山の考え方を、問い続けるという闘い方を教えてくださった事を深く感謝します。そうして三原順という人を通して今の自分があることを少し照れつつも誇りに思います。…今年も遅ればせですが、「ありがとう」を届けさせてください。
「ねぇ、ジャック…俺普段なら食える量だけ皿にとる。でも飢えてる時は…そんなに喰いきれないと解っていてもまだまだ掻き集め積み上げたくなるんだ。<中略>餓死する、て宣伝する時は餓死したいのか、喰いたいのか、間違わず自分で取りにいくように教えてみるから」 迷いが生じるたび、アンジーの言葉がいつも心にありました。 三原先生、ありがとうございました。そしてこういう場を設けて下さった立野様に感謝します。
今年も来ました。遅れてしまいましたけれど。 Junさま。素敵な宝物をありがとう
下のメッセージ↓、書き始めたのはまだ20日だったのですが、送信した時すでに20日から21日になってました(汗) 気になったもので訂正します。 「今日が命日としり〜」は20日のことをさしています。
久々にこのHPが見たくなりきてみました。 そこで偶然、今日が命日であるとしりました。 三原さんのそばにも、この例年になく早い桜は咲いているでしょうか・・。 今年は念願かなって、でてる漫画作品を可能な限り読むことができ今嬉しく思っています。
このページを見つけ、三原順先生とつながる事ができたことありがとうございます。 グレアム、アンジー、サーニン、マックス、4人を愛しています。
三原順先生が亡くなられたことは、確か「JUNE」の編集後記で知りました。花とゆめは読み続けていたのに他の雑誌で知ったということもショックでした。 中学に入る直前に「はみだしっ子」を始めて読みました。先生の作品は私にとっては「救い」でした。もし「はみだしっ子」に、三原順先生に出会っていなかったら、私は生きていく事ができなかったかもしれません。親には本当には愛されていないと思っていたひねこびた子供の私でした。そうして生き延びて大人になってはじめて自分の両親が自分を間違いなく愛してくれているのだと、肌で感じる瞬間に出会えました。ただ私の両親はあまりにも未熟で、愛し方を知らないだけだったのだと。生まれてきてよかったと思いました‥‥。私を生かしてくださった先生は亡くなられて、私は生きている。残された私達は何があっても生き延びねばならないのでしょう。感謝をこめて花を捧げます。
大好きなミュージシャン中川勝彦さんと、大好きな三原先生と一度に亡くしてしまったショックは大きかったけれど、必ず先生にお逢い出来る時が来るのを楽しみに生きています。 先生の作品に出会えた事、ただ、感謝です!
昨年、十何年振りに「はみだしっ子」を読み返し、懐かしくなってネットを検索してこちらに辿り着きました。その時に初めて、三原さんの訃報を知り、既に亡くなられてからも随分経ってしまったことがよけいにショックでした。 以来、処分してしまったコミックやマンガとは疎遠になってからの作品をもう一度手元に置きたいと思い、古本サイトなどで見つけては購入しています。もう、三原さんの新作を読みことができないと思うとほんとうに残念です。
インターネットで一番に検索したのがあなたのことです。まさかと思いながらも、悲しい現実。何の疑いもなく、幸せに暮らしているのだと思っていました。これから、あなたとの空白の時を、少しづつ埋めていきたいと思います。皆さんよろしくお願いします。
今年も三原さんに。愛や感謝や祝福とともに、捧げさせていただきます。
小学生のときに出会い、多感な時期に側にいてくれたはみだしっこ達は、おさななじみのようになつかしく愛おしく、いつでも幸せを祈っています。グレアム、アンジー、サーニン、マックス、元気にしていますか。また会いたいです。
はみだしっこ大好きでした。切ない優しさに泣けました。 一度サイン会で先生に握手して頂いて、緊張されてるのがとっても可愛らしかったなぁ・・・
まだ「虐待」や「DV]などという言葉が一般化していなかった時代、けれど親から虐待を受け続け、自殺未遂を繰り返す子供だった私に「親を嫌う子供がいてもおかしくない」「親が必ず正しいとは限らない」という、誰も与えてくれなかった「答」を与えてくれたのは、偶然古本屋で見つけた「はみだしっ子」でした。
三原氏の訃報にふれたのは、旅先でふらりと立ち寄った本屋さん。 帰りの飛行機で読もうと、買うのを後回しにしていた本を レジに持って行くと、当然ながら見ず知らずの店員さんが 教えてくれました。 その時の何か足がすっと落ちていくような感覚を今でも覚えています。
今も変わらぬ感謝を込めて、私からも花を贈らせて下さい。 そして、そんな機会を与えてくださったこの場にも感謝を。
期待せずに居たつもりのものに、ちょっと、裏切られた気分の今、「きみたちは、お互いのことが好きなの?」に、マックスのように素直に、 「うん、そうだよ。ぼく、大好き!」とあらためて言いたい。 あらためて、言葉の宝石箱をありがとう。そちらで飲むお酒が美味しくありますように!花に寄せて贈ります。
11歳の長女が、3巻まではよんでいました。ちょうど連載当時の、私の年齢になりました。分かってほしいような、ほしくないようなお父さんです。
三原さんの作品に中学生の時に出会わなかったら、今とは少し違う自分になっていたと思います。大変影響を受けてしまいました。こういう場所で、作品を思い出したり、同じ思いの人たちがいるのを感じられるのはいいことですね。あのころ書いためた単行本は全てとってあります。どうしても捨てられなかったので。しばらく手に取っていなかったけど、また読んでみようと思います。
何回読んでも完璧に内容は理解できません。 難しくて、切なくて、だけど私は4人が大好きだし、 三原先生の話も大好きなので、これからも何回も読んでいくと思います。
グレアム、アンジー、サーニン、マックスの4人と一緒にあった青春時代!今も一緒です。 沢山の言葉を残してくださってありがとう。
一生、どこへ住んでも、私の部屋に必ず三原さんの本があり、人生の折節読み返していくことでしょう。新作はもう読めないけど、何十回読んでいてもまだ新しいことに気づかせてくれる物語を、受け取っている、たしかに。
今日はバレンタインディです。 先生には チョコの代わりにお花をひとつ。 先日 何十年も前に書いた先生あてのファンレターが出てきました。 生まれてはじめて書いたファンレター。小学生の私は恥ずかしくて出せませんでした。 なぜあの時切手を貼って出さなかったのだろう。今でも悔やまれます。 先生、だいすきです。
なんでもいいから三原さんのことが書いてあるものが読みたくて、すでに単行本で持っているのに、アマゾンで文庫も買いました。あとがき目当てで。あっという間に読み終わり、また飢えてこのページに来たところです。新作がもう読めないなんてつらいなあ・・・。
「三原順」で検索したら、ここにたどり着きました。三原先生がお亡くなりになったことは、以前から知っていましたが、ずっと信じられずに今日まで過ごしていましたが、とうとう、今日、本当に現実になってしまいました。「ジョディ…」を読みましたが、あまりにも白いページが多すぎて愕然としたことを今でも覚えています。 とっても悲しいことですが、この現実を受け止めようと思います。そして、三原先生のご冥福を心からお祈りしたいと思います。 私にとって、「はみだしっ子」は、大切な宝物です。三原先生に出会えてよかった。三原先生、ありがとうございました。そして、立野さん、 私の胸のつっかえを取り払ってくれて、ありがとうございました。
三原順先生のマンガは、友達に教えられて「はみだしっこ」から読みました。はじめは難しく、なにが描いてあるのかさっぱり分からなかったけど、その奇妙なわからなさ加減がひどく気になりました。 長い間集中して読み込んでみたら、なんとはなしに理解出来るようになったけど、理解したら理解したでかなり悲しい気分にもなりました。 三原先生の考え方のシリアスさと、それとは対照的なナイーブ過ぎる心。フィクションとして描いていらしたと思いますが、ご自身と作品の距離は他のマンガ家さんより近かったはずだと思いました。私は三原さんのマンガの魅力をそこに感じて、そこが好きでした。 確かに三原さんの描くテーマは普通の大人に成長していく段階で、次第に捨て去られていくべきものなんでしょうが、私としては三原さんが捨てきれずにこだわった部分に逆に愛しさを覚えました。三原さんはいつも絶望を描くけれども、納得のいくささやかな希望もちゃんと提示してきたじゃないかと思う。 三原先生の死と、「ジョディ・・・」のあまりにも苦しく孤独な内容にショックを受けたけど、あんな悲しい話を最後まで目をそらさず描き続けた三原さんは、ほんとに力のある誠実なマンガ家さんだったと思いました。生きてもっと描き続けて欲しかったけれど・・・。 三原先生、長い間面白い作品をありがとう。心からご冥福をお祈りいたします。
はみだっしこにであえてよかった
「はみだしっ子」は5年位前に読んだのですが、そのとき小学生だった私は衝撃を受けました。初めて自分以外の人間に出会ったような気がしました。なんとなくもったいなくて、最後の方はまだ読めないでいるのですが・・・。私もグレアム達のように、ちゃんと生きてみたい。そう思っています。この作品に出会えてよかったです。本当にありがとうございます。
三原先生の死を知ったのは、数年前です。「ジョディ…」発刊の帯に「遺作」の文字があったので、本屋で唖然としてしまいました。 アンジーの繊細でひねくれた優しさが好きでした。
「はみだしっ子」は私が生まれた年に完結した物語です。それなのに、ずっと後から出て来た物語と比べてさえ、新しく思えます。カンガルーになりたかったサーニンに、何度涙したか分かりません。 サーニンがクークーの笑える場所を見つけて、2人で、幸せになってほしかった。 それが叶わなかったのは本当に悲しいけれど、せめて生きているグレアムには、救われるような未来が待っていますように。そこでなら、アンジーが笑っていますように。
三原先生が亡くなった後、私は先生の作品と出会ったのですが、良い意味で人生を変えていただきました。先生の作品に出会えて本当に良かった。感謝でいっぱいです。
お名前だけは十年以上前から知っていたのに、何故リアルタイムで読まなかったのだろうと残念に思ってしまうほど、三原先生の世界に今引き込まれています。まだ未読の作品もあるのですが、もったいなくて読めない私です。感謝の気持ちを込めて、お花を贈らせてください。
小学生の頃から大好きでした。初めて読んだのは、夢をごらん。マスターと四人が話し合っているシーンが大好きでした。以来、単行本が出るたびに買い集めていました。多くの漫画を処分しても、このシリーズだけは手放せないまま、二十年以上の時が流れてしまいました。昨年、久しぶりに全館読み直して、初めてのファンレターを書こうかと思っていたところでしたので、残念でなりません。はみだしっ子の終わり方が悲しくて(孤独に落ちていくグレアム)、自分でいくら考えても、答えが見つからず、手紙で聞きたかったのです。私は、三原さんの年はずっと上だと思っていたので、10歳ぐらいしか離れていないのを今回知り、それにも驚きました。巧みな構成、豊富な話題、幅広い知識、ただ者ではないとずっと思っていました。三原さんのファンの方、私の疑問にお答えいただければうれしいです。
三原順先生・・・ どれをとっても素晴しい世界を、本当にありがとうございました。 遅くなりましたが、お花をお受け取り頂ければ幸いです。
三原順先生のご冥福を心よりお祈りいたします。
検索で初めてここを知りました。 こうやって大好きな故人の事を語り合える場がある事に 感謝します。
今日古本屋で「はみだしっこ語録」を手に入れました。 言葉だけ読んでも、本当にすごいと思います。 今夜また読み返そうっと・・・。
はじめて自閉症という言葉を知ったのは「はみだっしこ」でした 20年以上経って いま自閉症の娘を育てています なんだか 一生 読み続けることになりそうです 天国から見守ってください
ふとしたきっかけで読み返すことがあって、そのたびに夢中になってしまいます。 三原さんの世界に今も恋してるようです。
今日この献花のぺーじを見つけて感激しました。ありがとうございます。
お正月に実家に帰り、ふと思い出して全巻を読み直しました。 マンガの本はすべて処分したのに、「はみだしっこ」だけは捨てることができずにとってあったのです。 夢中で読んでいたのは中学校の頃でした。大人に(のつもりかも?)なってから読むと、また違う感動に出会いました。 そしていろんなコトを考えさせられました。 奥が深いなあ。ふむー。
あけましておめでとうございます。 2回目の投稿です。正月に実家に帰ってはみだしっこを読み返す予定だったのに風邪をひいてできませんでした。4人はどんなお正月を送ったのかなあ〜。
私は冬になるとサーニンの雪だるまや氷った七面鳥を思い出します。 三原先生と同じ雪国育ちでしたが今は雪のない街で冬を過ごしているます。この季節は特にはみだしっこの世界にトリップしやすいです。 ふるさとを思いだすように・・・
本棚の整理をしていたら三原順のトランプランドが出てきました。その頃の私にとっては、大切な宝物だったので(今もですが)一度も使わずに眺めているだけだったわ。久しぶりにグレアムたちに会いたくなりました。
2回目の花束になります。グレアムの誕生日に贈りたかったのだけど、一日遅れてしまいました。また、期間限定の花束を春がきたら贈らせて下さい。
中学生の時、夢中で読んでいた「はみだしっ子」が懐かしくなり、古本で再購入したのが一週間前。こんなページがあったなんて。そして、今日がグレアムの誕生日であったという偶然なんかに驚いています。20年(弱)を経て読み返す「はみだしっ子」は、今だにいろいろなことを再確認させてくれます。
三原さんがなくなっていたのを始めて知りました なんて言っていいのか・・・ 言葉になりません
彷徨うことの多かった子供時代。 迷い船の舵を取ってくれたのが「はみだしっこ」でした。 あのマンガがあったから、 きっといまも生きていられるのだと思っています。 これからもきっと一生、心のささえになるでしょう。 精一杯の思いを込めて 「ありがとう」
旅の途中、ヒマラヤ山脈に囲まれた小さな村の宿で、『ムーンライティング』に再会しました。「私の一番好きな本です」とある旅人が送ってきたのだそうです。 私も……。
大学進学時、唯一引っ越しで下宿に持って来たマンガが「はみだしっこ」でした。
近頃仕事が暇なのでYahoo!を探索していたところ「はみだしっ子」にたどりつきました、高校生のころ”花とゆめ”(ちと!はずかしかった)を毎週買っていたことを思い出します。30代のお別れに久々に読み直して見ようと(20代までは何度も読みかえしていたのですが...)
順様の作品全てを愛してます。G・A・S・MもDDも、トマスもソロモンも、ルドルフもビリーも、みんなみんな・・・素晴らしい作品に出会えて感謝の気持ちで一杯です。そして、順様を愛してるみなさまに出会えた事も。順様に心からの花束を・・。
私は「はみだしっ子」「Xday」「短編集 70’s」しかもってませんがもう宝物です。ほんとに素晴らしい漫画家だと思います
コミック文庫で『ビリーの森ジョディの樹』に出会い、何度も何度も読み返してます。はみだしっ子に夢中になったあの頃と私の内面はちっとも変わってません!!
20年前の頃よりは、ほかに大切なものができてしまったけどいまでも好きです、作品読みかえそうかなあ。。。。
三原順先生の作品がたまらなく好きで、 新作を読むことが出来たら、と思ってしまいます。
三原順先生の作品に出会えたことに感謝してます。
子供時代にそれなりに大変だった思春期を乗り越えるのに 「はみだしっ子」は大きな友でした。 今、またいろいろな事を考える度に「はみだしっ子」を 思い出します。 きっと、私は最後の最後まで影響され続けていくのでしょう。 そんな作品に多感な頃に会えて幸せです。 三原先生ありがとう。
今までパソコン等という物には縁遠い人だったので、 初めてこんなHPがある事を知りました。 もっと早く知りたかったです。 なんたって私の周りには三原ファンは皆無なので・・・(泣) また遊びに来ます(^-^)
はみだしっ子の4人と私との対話は未だ続いています。 もう20年にもなりますねー。
はみだしっ子を読んだのは小学生の時でした。 家庭が荒れていたので、父を母を憎んでいたけれど 今でも憎んでいるけれど、両親の気持ちも考える事を 先生は教えてくれました。
『はみだしっ子』に出会ったのは高校生のときでした。 あのとき三原先生に投げかけられた問いの答えは、まだ見つかっていません。これからもその答えを求めて生きていくつもりです。
ふと、読み返した『はみだしっ子』両手で数え切れないほど読んでいるのに、やっぱりその都度、彼らのことを想い、考えてしまいます。
幼少の頃に読んで、当時は分けもわからず読み返しました。 いつもあの意味はなんだったのかと考えます