はみだしっ子に出逢ったのは中学生でした。 アンジーと誕生日が一緒っていうのも、ハマル理由だったけど、兎に角、ひねくれ者の考え方に妙に共感してました。 当時の私、いや、当時の私達も大人に対して素直でなく、世間に対してもひねくれていた。。。
こんなページがあるなんて知らなかったのですが、久しぶりに本を読み直して、インターネットでこのページを知りました。
小難しい理屈の好きな生意気で可愛げのない子供だった私は、 はみだしっ子が大好きでした。文学専攻の大学生になってからも、ゼミの友人とラストシーンについて議論しました。グレアムだけの居場所でもあった場所「トリスタン」で、大勢の前でジャックに打ち明けることができたのは、グレアムが苦悩から救われ、前を向いて歩いてゆけるようになった証しなのだと主張する私に、友人は「それが救い、なんてアンジーみたい。お気楽だね」と言いたげに、正反対の主張をしたものでした。三原さんが亡くなったのを知ったのはずいぶん後でしたが、ショックでした。三原さんのご冥福をお祈りするとともに、花束を捧げる機会を作って下さった立野さんに感謝します。
はみだしっ子 大好きでした。46歳になった(早いものです)今も初版が本棚にあります。
みなさんの思いを読んでいるうちに、涙があふれてしまいました。漫画を読まない私が、10代のある時期に衝撃と感銘の漫画との出会いをし、その出会いを宝物だと思う数少ない漫画家の一人です。特に「はみだしっ子」は何回も何回も読み返しています。忘れているときもある。そんな時も、私の心に住む彼らがいなくなるわけではないのです。
三原先生の作品は暗記するほど読みました。同人は十年後のマックス×グレアム。グレアムが一番好きだったのでウケ。こういうのは削除されるんでしょうかー。当時はアンジーグレアムでしたが、アンジーの方がグレアムを大事にしてて手出しはできないわ、と(すすすすみませーん、違ってたら。「シャア出世物語」とか、はぎおさんのパロ読んでた世代でした。ポーの一族パロディの枝のそっくりさに共学していた30年前……都市がばれるー)もしかしてフジョシ禁止だったらすみませんー。機械に弱くて、こういう書き方でいいのか。コミケでもいつも三原さん本を探して買ってましたが、真面目なものが多かったですねー。でももしあったらあったで今ははやらない耽美も、
今日は気分がいいです、アンジー。お料理が得意だったら、お料理作りたい。(けど苦手。)・・・なんかね、気分が良いときにきれいな景色を見ると、涙がこぼれそうになる。荒んでる時はきれいな景色にすら舌打ちしたくなるけど。変だね、アンジー。
高校の卓球部の合宿で、連載中のはみだしっ子と衝撃の出会い!(年がバレる)三原順さんの死因について、ずっと謎のままでしたが、思いついてネットで検索してみました。丁寧な解説、大満足です。他にも好きな漫画家はたくさんいますが、「生い立ちや家庭環境を知りたい!」と思うのは彼女だけです。やっぱり、鳥を飼ってる弟がいたのでしょうか?
いま病気でマンガ家をお休みしてます。 治ったらまたがんばろう。 ここを覗いて元気をいただいています。
ふと思い立ってネット検索してみたら、まだこうしてファンの方のHPにたくさんの方の訪れがあるんですね。 三原順さんの「はみだしっ子」は思春期のバイブルでした。今でもその影響を深く感じています。
黒い羊。僕は黒い羊。グレアム。。。。
私も掲載時からどっぷりでした。先月1巻を本屋で見つけて三原順さん亡くなられた事を知りショックで・・・30年ぶりに?もう一度初めから読み直して、またまたはまってしまって、この書き込みを見つけました。たくさんの方が読まれていたのですね。もう一度読んでみて14〜5歳の時には全く分からなかったこと見えなかったことが、年の功でしょうか、すこし理解できるような年になってしまいました。やはり続きが読みたかったです。
掲載時から読んでいて、どっぷりでした。 今でも善きにつけ悪しきにつけ、自分に三原作品の影響を感じずにいられません。 今は作品自体を読むことはありません。読むと痛いので。 未だに消化できていないのかなと思いますが、現実で手一杯。 でもこちらのサイトは懐かしさでいっぱいです。はじめて書き込みいたしました。 ありがとうございました。
やっぱ、気持ちだけじゃスーパーマンになれないね。 サーニン。
インターネットを初めて一週間目。ここにたどり着いて・・・。 こんなにもはみだしっ子を思っている人が沢山いるなんて。 今年の誕生日プレゼントは、ロナルドとアンジーの会話を思い出し、観葉植物をもたいました。
アーンジー、こっち向ーいてー。まるでダメな大人がいるからー。
グレアム達と年の近い頃にこの作品に出会って、グレアム達よりもほんの4・5歳年をとった現在この作品を読み返して、今と昔では少しだけ作品に対する思いや感情移入の仕方が違うのだけどそれでもやっぱりはみだしっ子が大好きという気持ちはまったく変わらないなと思いました これからもずっと大好きです
2chの花夢スレで、三原作品についてのコメがあり、切なさと懐かしさでここに来ました。 連載当時、グレアム、アンジーと同い年だった私にはとっても難解だったはみだしっ子。何度も何度も読み返しました。 今、医療と心理の仕事をしている私の核に彼らがいます。 サーニンとクークー、永遠のモデルです。
花とゆめ掲載当初は途中ということもあり、意味が分からず一話だけ読んで断念しました。文庫で久しぶりに出会って、一巻から読み始め、何度も何度も読み返しています。考えまいとしていた気持ちを気づかせてくれてありがとう。「はみだっし子」「SONS」は私の宝物です。これらの作品に出合えて幸せです。
中学1年のときに読んで衝撃を受けて早20年。 これまでも何度も読み返しています。 昨日からまた読んでます。 これからもずっと、何度も読み返すでしょう。 順さん、ありがとう。
小学生のとき はみだしっこ に会いました その頃 母は
再婚したてで 新しい父にも馴れず 一人ぼっちの時 彼らに
会いました 私も 自由になりたい と 思いながら 読んだ覚えが
あります また いつか会える日を
三原先生が亡くなっていらしたこと知りませんでした。カーラ教授の思い出話は読んで知ってましたのにね。 あんなに痛い漫画はあれが最初で最後です。可愛いけれど重くて辛くて。でも大好きでした。 まだ、読み返す気力が出ないですが、じっくり読み返したい。そうできる日がくるといいな。
貴方は、私の青春でした
ごめんなさい。三原先生がお亡くなりになっていたこと、しりませんでした。降圧剤を飲んでいたとの事、私もおなじ病気の者として、先生が自殺ではないと言い切れます。くやしく、悲しい出来事です。私の初恋の人はアンジーです。愛されているか、愛して欲しいともがいてる彼の姿が私自身と重なるところがあり、愛しく、悲しい思いを抱いたことを忘れません。心の底からご冥福をお祈りします。
今年も・・・はみだしっ子を読み返す季節が来ました(苦笑)笑って 涙して 考えて。又明日からがんばります!!
アンジー。アンジーは、自分のこと、好きですか? 今日ふと問いかけられて、絶句してしまいました。 何でそんなことを問われたのか。そんな問いかけをさせてしまったのか。いやだな、自分の醜さが知らずこぼれていたようで、思わず苦笑。
今日突然、ずっと以前に読んでいた漫画のことを思い出していました。(私も漫画家を目指していました。)検索していて三原順さんのお名前にたどりつき、三原さんがすでに天国に行かれていたことを知りました。私は「はみだしっ子」シリーズが始まる以前の作品にも感銘を受けていました。かわいいキャラクターが今も目に浮かびます。このようにしてみんなの中に三原さんとその作品のメッセージも、生き続けているのですね。感謝と共に。
今日初めて三原順先生がお亡くなりになっていたという 事実を知りました。 「はみだしっ子」にハマっていたことも、今日思い出しました。 そしてたくさんの人が「はみだしっ子」を愛していることも。 このページがあることに感謝します。 もう一度読み返したいです、探します。
小学生の時に「はみだしっこ」に出合ってから,はや30年以上経ったんですねぇ...引越しやら人に貸して失くされたりしつつ、その度、買い戻すこと4〜5回位。こんなにハマッタ漫画は後にも先にも、この作品だけでした。...それだけに、三原さんが亡くなれたと知ったときは、ショックでした。
三原 順先生のはみだしっ子が大好きでした あの頃のめりこんで何度も何度も読み返した漫画です グレアムの心の傷が理解したくて でもその時はわからないままでした いまならわかるかもしれない。もう一度読み返したいです。
何年かぶりに三原作品を読み返してみました。おもしろかった……。年月がたった今、親世代の気持ちもよく理解できるようになりました。でも、『はみだしっ子』には手がでなかった。この作品には、いまだに思い入れが強すぎて覚悟がいります。
忙しさに負けて、今年は期間限定ページに1度しか来れませんでした。 来年もまた…………来れたらいいな。 その前にあなたのところへつれていって。
失礼致しました。後半が切れてしまったようですので こちらに続けさせて戴きます。 渡英してそれがきっかけになり 現在の仕事を始め 10年近く経ちました。最近では仕事に追われ「はみだしっ子」のことを思い出すこともなくなっていましたが 今日何故かふとインターネットで検索してみようという気になり こちらを見つけました。こんなに多くの方たちが 今でも「はみだしっ子」を愛しておられると知って感動しました。・
初めて読んだのは「動物園の檻の中」だったと思います。以来「花とゆめ」の発売日は書店に走り 一巻以外は全て初版本を集め 登場人物全ての台詞を覚えました。少女時代のバイブルとも言える存在でした。30歳過ぎて自分の人生に躓き生きていくことをやめてしまおうと思ったとき 「どうせ死ぬなら最後に純粋に自分のためだけに何かをしよう」と思い 必死に考えたのが 「はみだしっ子」の舞台だと信じて疑わなかった英国に行くことでした。それ
はじめまして。 何度読み返しても作品の深さに負けてしまいます。 一生読み続けることになるでしょう。 素晴らしい作品をありがとうございました。
始めまして&失礼致します 偶々 自分のBlogで記事を書くにあたって 調べていたら 此方に辿り着きました 私自身作品の内容は 表面的には記憶から薄れてしまっています 恥ずかしながら アンジーしか記憶に残っていません 良くアンジーカッパのイラストを描いていた事だけは 30年前位のかすかな記憶です そういう意味で 私の人生を変えた作家さんです 姉が読んでおらず また私も読まなかったら 今の私の漫画ライフはありえないと確信しています
ほらまたこうやって、ここに来る。アンジー、だって、バランスがとれない。
小さい頃から特別でした。 そして今もきっとこれからもずっと特別です。
おそくなりました。 いつでも、今でも、あなたを思っています。
アンジー、2日遅れてしまったけれど… お誕生日でしたね。おめでとう。
命日にはどうしても悲しくてここに来れないです(涙) 昨日はずーっと雨。なんだかもの悲しくて家に篭ってずーっとはみだしっ子読んでました。思春期の大切なバイブルでした。これからもずっと一緒に生きて生きます。
はみだしっ子は永遠です。いつまでも、いつまでも。
はみだしっ子は、私の青春でした。大好きでした。あれほどのめり込んだ作品は後にも先にもありません。今日がご命日だと偶然知りました。涙・・涙です。
少年だった当時、宿舎のロビーに一巻だけ置いてあった「夢をごらん」。少女マンガやのに何故かハマってしまいました。あの出会いがなければ、僕は今とは違う僕になっていたでしょう。そして今日、たまたま訪れたら命日でした。「人生を選ぶことは出来ない、でもアガくことはできる」そういう大事なことを教えてもらったと思います。
私が“はみだしっ子”に出会ったのは、高校を卒業した頃でした。三原順氏は、まさに自分の思っていたことを言葉にしてくれた人でした。彼らの言葉や心情に共感し、特に“グレアム”は自分の分身のように感じていました。(普通の家庭で普通に愛情を受けて育ったにもかかわらず)心の奥底で漠然とした孤独を感じやや厭世的でシニカルな物の見方をしていたからかも。 今でも時々読み返しますし、事あるごとに作品の中の言葉を思い起こします。そしてそれは色褪せることがありません。たとえば...「よくやった事の報酬はそれをやったって事だけ」「自分を軽蔑する重みは密かに抱いていた高慢さのその重みと同じ」「僕は批判して立ち去れるようなモラリストじゃない」「目には目で、目には目と歯じゃない」etc...最近ニュースを見ていてなぜかよく思い出すのは「黒人の子が言いました“人間はみな平等だよ”けれど何年か後彼は言いました“黒は一番美しい”」 彼女の紡ぎ出した言葉は、きっとこれからも私の側にあると思います。
今年も参りました。来れて良かった(>_<) ずっとずっと戴いたものを大切にして参ります。 ありがとう。
私は6巻、裏切り者が好きです。 なんでだろうと思うのですが、よくできたミステリーでもあるし。 好きなのはグレアムだとおもうけど、本当はサーニンなのかもしれません。
人生の重さを思うたびに、想いは彼らに還ってゆきます。 大人になっても……いえ、大人になればなるほどに 彼らの姿は心の中でより鮮やかになっていきます。 三原さんとそのお話に出会えて良かった。
繰返し繰返し・・・・読み返すたびに彼らの言葉や行動が、違った意味を見せてくれます。夢はかなうものだと思っていた若き日、希望など欺瞞だと嘯いた頃、日常に埋もれて息を切らしていた子育ての日、そして今、夢は頑張れば叶うと信じて疑わない娘を本気で応援できる50代。大人になった彼らと語り合いたくてたまりません。 三原さんの中で彼らは、どんな風に成長していく筈だったのでしょうね
初めて作品を読んでから30年くらい経ってしまっているのですね。あの頃は若かった、けど、精神的にはあまり成長していない自分が情けない。。。
三原先生が北海道の方だったせいでしょうか、作品には多くの雪のシーンが出てきて、世界の厳しさとか感じるのですが、私がはみだしっ子を思うとき頭に浮かぶイメージは緑なのです。それは「カッコーの鳴く森」で4人が過ごしたサマーキャンプの森の緑でした。きらめく様なその森の緑に、はみだしっ子が私の青春だったんだなぁと気づかされるのです。
■昭和50年代、男子高校生の身でありながら「花ゆめ」「LaLa」の愛読者ってのはとても恥ずかしいものがありました。しかも私はイガグリ頭の柔道部、友達に見つからないようにキョロキョロしながら買ってました。 ■思えばあの時読みぬいた作品群がいかに自分の情緒、思考に影響を与えたか…四十代半ばとなった今でも。 ■正直、一番好きな作家が三原さんかと問われればイエスとは言えないかもしれません。しかし「はみだしっ子」(「ロング・アゴー」を含む)シリーズが伝えてくれた光と闇はどちらも一生忘れ得ない宝となってくれました。黄ばみ汚れてシワシワのコミックは今も現役です。
よしながふみさんの「あのひととここだけのおしゃべり」と言う対談集をきっかけに「はみだしっ子」を読みました。どうしてもっと早く出会わなかったのだろうと思う気持ちと、今出会わなければそう思う気持ちすらなかったのかもしれないと感じました。 次読む時には自分がどのような感想を持つかドキドキします。 今この作品を読・
JUN様愛してる!
私は三原さんがなくなってから作品に出会ったのですが、もっとはやく読みたかった…。初めて読んだのは確か高校生。はみだしっ子は中学ぐらいで読みたかった…。大好きな作品ですが、もうその作品の世界の悩みからは遠くなっていました。 でも、はみだしっ子は一生わたしのバイブルです!!
最近 三原先生の年齢と並ぶ事ができました けれども心の年齢だけは一生追いつけないんだろうな〜と・・・ もう新作を感じる事はできないけれど 私の人格形成に大きく影響している先生の作品達に出会えて 本当によかったと今も感じています
先日、私自身が、三原順さんの亡くなった年齢を越えてしまいました、、、呆然としました、、、
「はみだしっ子」にマザーグースを引用していた部分があると、「マザーグースと日本人」という本を読んだ時、不可解な言葉がなんだったのかようやく理解でき、プラックユーモアを味わう楽しみを与えて頂いたことを感謝します。
4人の事を、忘れなければ、生きてこられなかった。 でも、忘れられなかった・・
毎年クリスマスが来るたびに、世界のどこかでは26日になってもパーティーが行われているのかしらと、グレアムのことを思い出す。いつまでもグレアムは「つれていって」のグレアムの姿のまま心のうちになるけれど、20年たとうと30年たとうと、自分がグレアムの精神年齢を越えられないような気がする。一生のうちで一番自分の人生に影響を与えた漫画として「はみだしっ子」を挙げるが、もうこんな漫画は自分にとって出てこないだろうし、漫画という世界を越えているような気がする。三原順先生が作られた世界なのだが、4人や登場人物は実在している感さえある。困難に直面した時、こんな時はグレアムならどう言うだろうかと思うことがよくある。感動した時には、泣きそうな素直な目でフー様を見つめるアンジーの目を思い出す。このホームページにたどりつく人々の多くがそんな想いを抱いているのではないだろうか。改めてグレアム・ダルトン今日はおめでとう。
10日の書き込み、「ブルーカラー」ではなくて「もうなにも・・・」でした。一晩寝て、あれ?と思い、訂正しなきゃと焦りました。「ブルーカラー」にかなり深く繋がっていく台詞ではあるのですが。グレアムの誕生日の今日、クリスマスから日が変わってから、サーニンがグレアムツリーを持ってくる話を探して読み返しました。24日生まれの母は、クリスマスなんて嫌いだと言っていた頃もあった様な気がしますが・・・。高校時代に付き合いかけた人も24日生まれで、もしあの人と結婚していたら私の人生のクリスマスイヴはどうなっていたのだろうと、十年前位には漠然と考えたりしていました。現実の人間を本気で信頼し、好きになるのは難しいです。フー姉様がアンジーに「あれは私の手前のお芝居?」と訊き、アンジーが真実の言葉で「いつだって本当に楽しかったよ」と答えるのですが、現実にはこんな状況中々ありません。自分が演技をするか、相手に演技をさせるか(やり通す覚悟は私にはまだありません。そんな日が来るとも思えません)。だからこそ憧れるし、性格の好いフー姉様でもそんな不安を持つ事に、何だか安心しました。余談ですが、笑ってはいけない場面で吹き出しそうになると、アンジーのシリアス顔を思い浮かべて笑いを抑えてました(中学時代から続けた方法)。効果絶大でしたよ。
グレアムたんじょうびおめでとう!!
グレアムお誕生日おめでとう!
中1の冬に「はみだしっ子」に出会って以降三原作品に夢中になっていました。その頃はまだイジメという言葉はないけれど、学校ではいじめられっ子でいつも死という事ばかり考えていて、辛くても生きて行こうとする4人に共感し励まされていました。グレアムが言っていた「群れの中の黒い羊」は私だと思っていましたね。いろいろな意味でグレアムと自分を重ねていた人は多かったのかもしれません。 大人になって読み返すたびに中学生の頃感じていた心が戻って来ていました。お亡くなりななられて13年余りですか・・・早いですね。46歳になった今久しぶりに「はみだしっ子」を読み返してみようと思います。また新たに見つかる想いがあるでしょうか。
母がとっておいてくれた「はみだしっこ子」を初めて読んだのは小学2年生の時でした。そのときは、ほとんど揃ってなかったし話も分からなかった。それでも、飽きずに読んでいました。 そして、去年母が実家に埋もれた漫画を引き取ってきました。それで揃った「はみだっしっ子」改めて読みました。 私も十代半ばになり、あの時のとぎれとぎれな記憶が、今度はちゃんとつながって、最終巻までの話を読むことが出来ました。
なんて言えばいいのか分からない。でも彼らの生きる姿を見られて良かった。この作品に出会えて良かった。
これから先もずっと何回も読みたいです。大人になって読んでみると、もっと彼らに近づけるかもしれないから。 この漫画を私に残してくれた母、そして何より三原順先生、有り難うございました。 乱文失礼致しました。
「はみだしっ子」は、考える漫画だった。 物事を縦から横から斜めから後ろから観察するやり方を教えてくれた。重すぎる話もあったけど、人は光を求めて生きると信じたい。 三原先生、ありがとうございました。天国で納得いくまで書き続けて下さい。 合掌。
ふっと思い出して名前を検索してこのページにたどり着きました。お亡くなりになった事を知りませんでした。子供の頃はみだしっこの大ファンでした。今でも一番好きなマンガです。よく絵をまねて書いたものです。無地の下敷きやファイルには必ず書いてました。懐かしいです。何年か前に読み返したくなり近くの本屋さんに探しに行ったのですがその時は見つからず諦めてしまいました。ぜひまた読ませていただきますね。私の青春の一ページにすてきな思い出を三原先生ありがとうございました。
丁度一年前が、カシオペアで北海道旅行から帰り、このHPに書き込みした日です。今年はお誕生日の書き込みが無かったのですね。夏、世田谷での「ガラスの仮面展」で、「山の上に吹く風は」が掲載されていた花とゆめが展示されていました。リアルタイムで読んでいなかった頃のもので、表紙のあおり文句を初めて知りました。「ブルーカラー」の中の、「人は いつになったら解き放たれるのだろう 愛せないことの罪悪感から」というグレアムのモノローグ、子供の頃は読み流していましたが、二十歳を過ぎてからは切実な実感となりました。「はみだしっ子語録」に三原先生が書かれていた、嫌いな人の気持ちを効果的に害せない絶望的な気分にも共感出来るようになりました。大人になって一番読み返した漫画は市川ジュン先生の「陽の末裔」ですが、子供の頃から一番心を揺さぶられたのは、国語科教育法のレポートに(作品名は伏せて)「愛読することに後ろめたさを感じるようになった」と書いてしまいましたが、そんな時期はあっても、やっぱり「はみだしっ子」なのです。
この短い人生のなかで、すばらしい作品に出会えて幸せです。たくさんの感謝をこめて、合掌。
最近読み始めました。 なんで、同年代に生きられなかったんだろう。 そんな思いに駆られました。
はみだしっ子の台詞には、読んだ当初は意味不明でも後になって「あ!こういう意味だったんだな!」と実感するものが多いですね。姉は何故か「声の大きい者が正しいわけじゃない」という台詞がお気に入りです…私はたくさんありますが「都合だけで口実をもうけて生きていくなんて」かな…もうイイ年になっても口実をもうけて生き続けてます。これからもこの作品のたくさんの名台詞とともに年をとっていくんだろうな…素晴らしい作品をありがとう三原先生。
はみだしっ子を呼んでいたころは中学から高校にかけてでした。身も心もきれいなまま終わらせたかったのでしょう。グレアムはわたしの心の記念碑です。輪廻転生した来世でも、三原順さんの作品を読めたらと思います。ご冥福をお祈りいたします。
現在、厄年ど真ん中の42歳のおっさんです。 小学生のときに習字教室にあった花とゆめに載ってた「階段のむこうには・・」を読んで以来の三原マジック被害者です。 最近3年掛けて準備していた地域の伝統行事で集団水難事故が発生し、ひとを死なせてしまって落ち込んでいました。 事故後100日を経過して文庫版の5巻を発見して読み返してみました。子供時代に読んでも難解だったのがいまは実によく分かりま
グレアムの缶蹴りシーンやアンジーを殴って海に入ろうとしたシーンは、今まで生きてきた私の姿そのものの様でした。 今は…手に包帯を巻いて「憧れの城」の中に籠もっているグレアムが、今の私そのものです。 グレアム…その時あなたは、どんな想いでいたの?満足だった? そんな私は、11日に39歳になりました。
裁判場面が「はみだしっ子」との最初の出会いでした。先日子供のいじめ問題の裁判が結審した友人が「裁判で真実がわかると思ったけど違っていた」という言葉を聴き「裁判は決闘の代用だから」と話ができたのはあの時出会ったグレアムのあかげです。
9月の書き込みが切れているので、短く!三原順様は、ヘルマンヘッセと同じタイプの作家さんでしたね。「デミアン」と言う小説読んで下さい。主人公の友人でマックスと言うキャラがでてますよ!とても大人っぽい少年に描かれてます。10代の方必見!
私の叔母が集めていた「はみだしこ」を読み出したのは小学校の時でした。叔母、私の姉と共に何度も何度も読み返したので、いつの間にかボロボロになってしましましたが、今でも実家の本棚にならんでいます。子供の時に「はみだしっこ」を読んでいてよかった。私を形成するのに必要な作品でした。また読み返します。
「はみだしっこ」今でも忘れられない作品です。ラストはハッピーエンドだと思う。新しい出発で・・・。私もいろいろ出発できました。
はみだしっ子、小学生の頃に当時はわかってない部分も多かったのにそれでも夢中で読んでました。既に連載は終わっててコミックスで読んだのですが、ラストも意味もわかってなかったのに涙しました。 あれから歳をとるごとに何度も読み返し、その都度新鮮で、得るものがあって、で何度も何度も励まされて助けられました。もちろん、今でも大好きです。このHPを見つけて、同じように思ってらっしゃる方がいっぱいいるんだなぁと思って嬉しくなりました。 三原順先生には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
三原順サマのことを、こんなに好きでいてくれるファンの皆様がいらっしゃるとは!!私も多感な頃に読んでいた一人です。私はエイダと、オフィーリアの二人が好きでした。なんというか、エイダはほとんどの女の子の代表みたいな子でしたね。グレアムとお父さんの仲が悪かったのを心配している、優しい子で。最初は激しくグレアムのことを恨んでいたけれど。オフィーリアはとにかくアンジーを優しく包み込む年上のいい
小学校の頃、たくさんの漫画の中でも独特の色を放っていました。子供の私にはただただ、哲学的で悲しみにも満ちた、難しさはありましたが、漫画としての新しさを感じ今でも忘れられません。三原さん、お疲れ様でした・・・安らかに・・・。
アンジー、望んだ結果が出なかったらどうすればいいの。怖くて仕方ない。神に祈りを?でも私には信じる宗教がない。アンジー、不安に目を瞑って。忙しい日々に身を任せて。そうして怯える心を誤魔化して。今は待つだけ。でも今の不安は希望でもあるから。アンジー、ほんとに怖いのは、希望がなくなったとき。
小学生からずっとはみだしっ子がバイブルでした。 あの4人の事は一生私の心が汚れないように思い出します。 何回も読み返します。
ただ、自分を含むかつての読者は、作品の様々な主役たちから、観察され、あわれんで、軽蔑されていた対象の「自分の人生(のみ)を考える大人」と同年代になってしまっていると自覚し、越えないと連鎖を生むのでしょうね。 (もはや自分が潔癖じゃないので、あの大人達に共感しそうになる。彼らにも理由はある。…でも、卒業しないと。笑。)
三原先生、有難うございました。
中1の時に姉から「はみだしっこ」一巻をプレゼントされ、読み進めるのは時に、きつかったけど、自分で買い続け「自己と他者」への視線の角度がひとつ定まった。 その後、親とどう対峙していくか、自分が考えて越えていく事を決めた。
三原さんに共感をする人は自身の礎のひとつと考える方がいらっしゃると思う。 いまでは、ネグレクト、セラピスト等、身近な言葉となったが、発刊当時「聞きなれない外国の事」と高をくくっていた認識の甘さが恥ずかしい。 自分の娘も中学生であるが、読ませて深〜い贖罪について考えさせるか悩んでいる。 「小説より、難しい漫画ってあるのよ。」とだけ伝えたが…。
幼馴染はアンジー。恋人はサーニン。親友はマックス。そしてあたしはグレアム。
ひとりの人間が抱く感情はひとつでなくて、それをひとつにまとめてあらわすのは無理だと思います。だけど「はみだしっ子」はその表現がとても上手で…
何度も何度も読み返しては泣いてます。「グレアムのメモ」は、あたしの人生のバイブルです。
大好きでした。今でも大好きです。これからもずっと、大好きです。
はみだしっこを読んでいたあのころ、いじめられっこだったあたしは勇気と、負けるもんかと強さをもらいました。 ありがとうございました。 本今はもう無いので手に入れようと思います
アンジーは私の原点で心の帰る場所です。
“はみだしっこ”は特に私のお気に入りです。あれほど心をえぐり、深く染み込んだ作品は他にないと言っても過言ではありません。三原先生、素晴らしい作品をありがとうございました。
少女時代の多感な時期、三原先生の作品を読んで 本当に多くのこと 多くの物事の見方、考え方を教えていただきました。 ありがとうございました
アンジー。いよいよ戦いの日がやってくる。ここまで頑張ってきたから、最後まで、やり通す。つらかった日々を想えば、今の苦労はなんて幸福なんだと、わかってる。きついけど。だけどそれが今までの分を取り戻すため。あと少し。最後まで戦い抜くから、応援してとは言わない、ただ見ていて私を。アンジー。
あなたに会えた事に心からの感謝を… あなたの作品を読めた事に心からの感謝を…
ありがとう…
どこからか鈴の音が聞こえてきます。 もしかしたら、どこかで三原さんの作品にふれたことが あるのかもしれない…。 「チリンの鈴」 どこか懐かしい気持ちがする音色でした。
やっと立ち直ってきました。 涙なしで思い出せるようになりました。
細かいフレーズの1つ1つに至るまで、今でも色あせずに心に残っています。見たくないものを見せ、聞きたくないものを聞かせてくれる厳しいけど本当に貴重な、ストーリーテーラーでした。心から尊敬しています。
平成19年初めて三原さんの事を知りました。昔友人と作品を読んだ頃が懐かしいです。4人の不思議な関係が好きでした。三原さんの冥福を祈ります。
その後の4人組に会いたかったです。
花とゆめ創刊からある時期までずっと。 ある時期を過ぎてすっかり忘れていた。 結局子供を越えるころ隣にいたものです。 忘れられない時代です。
私の人格の”核”になる部分は三原作品を読んだ事で出来上がったように思います。感謝。
中学、高校を作品の進行とともに過ごせてきたことが、私の人生の一番の宝かもしれません。新聞で先生がなくなったのを読んだ時、涙がにじんできました。ありがとうございました。
得るものが沢山ありました。 迷宮の中で途方に暮れるような気持ちになりながら読みますが 誰もがそうして生きてきているのだと再認識します。 そうして今の自分を見つめなおすのが常です。 素晴らしい作品に出会えたことに感謝しています。
貴女を尊敬しています。
今親になってしまった立場から再び読んでみています
アンジー、アンジー、時々何もかも投げ出して、遠くに行きたい、消えてしまいたい。だけど。気を取り直して。大人だからね。容赦ない現実と折り合いつけて。猫踏んじゃったを口ずさんで。
何度読んでも、奥が深くて理解できないことがまだまだたくさんあります。 こんな作品に出会ったのは初めてでした。 三原順先生、すごい作品を本当にありがとうございました。 文庫版のあとがきを読む度に、もっと三原先生のお話が聞きたかったなぁと思っています。
中学の頃からずっと好きです。ありがとうの言葉しか浮かびません。
私にカート・ヴォネガットを教えてくれたのは、三原順先生でした。そのヴォネガットが、水曜日、84歳で亡くなり、三原先生のことを思い出しました。
当時、少女だった私。先生の作品が大好きだったのに、大好きだったからこそ、ファンレターなんて書けなかった。 でも、13回忌なのですね。 遅すぎるファンレターですが、初めて先生に手紙を書きます。 素晴らしい作品を、ありがとうございました。
今頃、天国でヴォネガットと茶飲み話でもしてるかなぁ・・
初めて「はみだしっ子」に出会った時、わたしはグレアム、アンジーと同じ7歳でした。 彼らとともに成長し、彼らが14歳から年をとらなくなってからも、ずっと一緒に歩いて来たような気がしています。 大人になって、改めて彼らの言葉を、生活の節々に思い出します。 生きている限り、きっと、いつまでも。
何度も何度も読み返します。 私の心の支えです。 素晴らしい作品をありがとうございます。
いつまでも、わたしの中の「大切なもの」です。
はみだしっ子を最後に20年以上マンガから離れていました。(当時はまだ大人がマンガを読むのはなんとなく後ろめたい時代だったので。)そして最近このサイトをきっかけに、「ムーンライティングシリーズ」から「ビリーの森〜」まで、読むことのできる作品は全部読みました。(単行本も文庫も両方揃えてくれていた図書館に感謝!)今まで読んでいなかった事が悔しく、「ビリーの森〜」を最後まで読めないのは.....本当に悲しいです。三原先生があの物語をどう完結させるのか知りたかったです。
期間限定のページにも初めてお花を捧げました。先に高校時代の私のニックネームと同じ方がいらしてびっくり。はみだしっ子ファンの級友とは仲良く出来ず、仲良くしていたグレアムと同じ誕生日の友人は、三原順という人が嫌い、と言ったので、そのグループでは愛読していた事を言えなくなってしまった。何も信じられない、奇妙な時代、でした。
三原順さんへ
あなたにあえなければ、 きっと今の私は、自分の周りで起きたいろんな出来事に負けていたことでしょう。
あなたとあなたの作品に出会えたことを、 心の底から感謝しています。 ありがとう、順さん。
私がグレアム達に出会ったのはほんの1年前ほどのことです。
ただなんとなく手に取ったその本は私の考えを一気に変えてしまうほどの衝撃を与えてくれました。 漫画を読み終わってからしばらくして三原先生が早くして亡くなりもうこの世にはいないことを知った時はただただボーッとしていて、そのくらい影響されたことをまた実感しました。
これからも三原先生の作品は私の心に残っていくのでしょうね。 三原先生、ありがとうございました
三原順さまへ
漢字も読めない5〜6歳でも読みたい!と思わせる漫画をありがとうございます! 辛いのは自分だけじゃないと勇気をくれてありがとうございます! 考え過ぎでもいいんだと思わせてくれてありがとうございます! 自分にやつあたりする奴らにも理由があると気付かせてくれてありがとうございます! はみだしっ子のおかげでずいぶん生きやすくなりました本当にありがとうございました!
中学生の頃に出会った大切な作家さんです。 13回忌…月日が経つのは早いですね。
はみだしっ子に凄く感動しました… これからもずっと胸に残る大事な作品です。
私の青春を支えてくれた4人を生み出してくださった三原先生、 天国でもお元気でいらっしゃる事と思います。 これからも4人は私の心の支えです。
忘れません。
13回忌なのですね。うちの父も今年13回忌・・・。
長く生きて欲しかったですね。
答えてほしいことがたくさんあります。
はみだしっ子に出会えて本当に幸せでした。 はみだしっ子と過ごした思春期はとても素晴らしい日々でした。 突然の訃報を知ったあの年の衝撃は今も忘れられません。 いつまでも いつまでも はみだしっ子と共に生きて行きたいと思います。
山吹のたちそよいたる山清水、汲みにいかめど道の知らなく
D.D.とはなんだか友達のような気がします。 今週は読みかえそうかな…
13回忌にあたる本年、哀悼の意を示しお花を送りたいと思います。 「はみだしっ子」の読み返すには良い機会なのかもしれませんね。
はみだしっ子は宝物です。 もし自分に子供ができて、その子が大きくなった時には読んで欲しいと思っています。
今も何回も作品を読みなおしています。
はみだしっ子に高校の時に出会いました。 自分が現実にどうしようもなく違和感を感じ続けていたためか 書かれている孤独にひどく共感を覚えました。 三原先生の作品は永遠の愛読書です。
久しぶりにこちらに書き込みします。 アンジーお誕生日おめでとう!(^0^)/
はみだしっ子との出逢いは小学校3年生の時。 当時中学生だった従姉の影響で、コミックスを借りて読み始めました。 読んでいるうちにとても惹きつけられてで、7巻くらいまで読んだのかな? 僕は男性ですのでその後、少女マンガを読んでる、と思われるのが嫌で読まなくなったんですが、本当はその後の4人がどうなったのか、続きが知りたくて仕方がありませんでした。 内容自体は今ではほとんど覚えて無いですが、カミナリがなった時にデザートのゼリーが揺れて怖くて食べられなかったマックスにサーニンが食べないなら下げるよ、といったシーンがあったと思います(うろ覚えです、間違ってたらゴメンなさい)。 その時のゼリーがとても美味しそうで、今でもゼリーは大好物です(笑)
なんとなく思い立ってネットで検索してみると、もう10年以上前に三原順さんが無くなられていたとは・・・
今更ながら、ご冥福をお祈り申し上げます。
私がはみだしっ子と出会ったのは中学2年生の頃。部活の先輩に薦められ、当時は難解なセリフもいっぱいでしたがすぐに4人組の魅力にはまり、夢中で読みました。そして最近、身辺を整理しようと思いダンボールにうずもれていた書籍群の中に「はみだしっ子」単行本を見つけて28年ぶりに再読、当時の感動が少しも薄れない秀作だと再確認しました。そしてネットでもっと詳しく知りたいと思いこのサイトに本日たどり着いたところ、同じ思いの人が多いことにうれしい驚き!でしたが、三原順さんが故人だということと13回忌が昨日だったということ、さらに享年が私の現年齢と同じ42歳だったということも初めて知り、ショックながらも何か縁を感じています。これから全巻じっくり読みかえし、最近無気力になりつつある自身の生き方も見直していこうと思っています・・・。
いつの間にか、あなたの年を5つも越えていました。 そして子供たちも、4人の年を越え・・・
最近何かを見失ってる私に4人がまた棲み始めてる。 順さんあなたの子供たちは、永遠に生きてます。
今年ついに三原さんのお歳に追いつきました。感慨深いです。
遠方の友人からの電話で訃報を聞きました。 本当に「声も出ない」というのはああいうのだなと実感した出来事です。 数時間早いですが、ご冥福を祈りつつ眠りにつきたいと思います。 「千の風になって」をBGMに。 もろかった思春期に、心の支えをありがとうございました。 JUNさま。
少女の頃に出会えて良かった 心からそう思います。
明日も、また来ます。
先生のおかげで生きていたようなものです。先生、安らかに眠ってください。
今年も花束を・・・ 今年も命日の20日にライブをします。 順様へ想いが届けばと・・・ (T‐T)
小学校4年生のお正月にであってから私の思春期を思慮深いものにしてくれた「はみだしっ子」シリーズ。作者の三原先生がなくなられたのを知ったのは本当についさっきでショックを受けました。ステキな作品有難うございました。
母から受け継がれて私ははみだしっ子に出会いました。 ひたむきで切なくて、涙が止まりませんでした。あんなに深いお話を読んだのは初めてでした。 今、私はクークーを失ったときのサーニンの様です。 私が彼等に出会ったときにはもうその世界はすでに流れていなかったなんて・・・。 悲しすぎる。 でも三原先生という存在は私の中心の一部を形成しています。 先生が作ってくださった世界を、はみだしっ子達を、私はこれからも大切にしていきたいです。
三原作品で「生きる」事を学びました。人間の苦しみと社会の矛盾を考えさせられました。「はみだしっ子」ほど奥深い作品はないと思います。読むたびに感慨深い。いつまでも評価されるべき尊い文学です。
初めて4人に会ったときから、四人が好きで、三原先生の作品が好きで・・・出会ってから30年ほど経ちますが、今でも四人と三原先生の作品が大好きです。
自分の存在を実感できずに、心が浮遊していた時期がありました。世界と私との間に薄いけれど破れない膜があって、現実に生きているのかどうかわからない。今にして思えば、心の病に一歩踏み込んでいたのだと思います。そういう不安定な学生時代の私に、はみだしっ子たちは、誰よりも身近に寄り添っていてくれました。 おとなになった(なってしまった?)彼らに会いたかった。
また はみだしてしまいました でも 私にもわかってくれる仲間と絆ができていました 4人のはみだしっ子達もバラバラになった時期がありましたね でも きっと見つける 見つけられる・・・
こんな絶望をはらんだ奥の深い深い聖書を生んだ三原先生を偉大だと叫ぶ世の知識人はいないのか?
また来てしまいました。JUN先生が旅立たれてもう何年になるでしょう?私の中で はみだしっ子たちは あの時のまま 今も駆け回っています。
中学生ではみだしっ子と出会いました。ノートに「僕はずっとしりたかった。」で始まる文章を全部写し、「夜と霧」を読みました。大人びた考え方に憧れました。大人になったいまですが、あの頃を超えたとは思えないこともあります。本当にありがとうございました。
2年前にメッセージを添えました。今日、またお花を差し上げたくて書いています。全力投球だったあなたの日々。だからこそ今でもこんなにたくさんの人の心を打つのですね。素晴らしいあなた。素晴らしい生き方を教えてくださって、ありがとうございました。
リアルタイムではみだしっ子に接していながらも、社会人になってからは離れていました。遅ればせながら今になって始めて、三原順さんの死去を知り、衝撃を受けています。てっきり、素晴らしい物語を紡ぎながら、日本の漫画界を支えていってくれていていらっしゃるのだろうと思っておりましたのに・・・。どうぞご冥福をお祈りいたします。
また、多感な時期に、三原順さんの作品に触れることが出来た幸運に感謝いたします。今もまぶたを閉じると、小さなグレアムが斜に構えた忠告を発してくれるように思えます。本当にありがとうございました。
はみだしっ子の終わりはグレアムの様子が不安ではありましたが、アンジーとジャックと干渉材となれるロナルドがいればなんとかなるだろうと思えました。むしろアルフィーの殺害(法的には事故で終わりそう)の方がショックでしたが終了は一つのお話として納得がいきました。 その一世代前の『Sons』が途中のような感じで終わり、続きがどこか別の雑誌に載ることを期待しておりました。 幼いながら(そして狂気をはらみながら)も哲学を持っていた、彼等に祝福のあらんことを。
はみだしっ子が大好きです。今でも、あれ以上の漫画には出会えていません。
You are my sunshine My only sunshine You make me happy When sky the gray ありがとう!
ある時はアンジー。ある時はサーニン・・・ある日はグレアム。マックスにもなれちゃう私。みんなは、私そのものです。30年間も心の奥底でずぅーと共に生きてきました。
グレアム 誕生日だね。おめでとう!きょうは日本は大荒れの天気だそうだけど、こんな日に「恋人」を待ってる人は今も居ます。彼らが「恋人(ジャックみたいないい人に)」に早く会えますように!
グレアム!誕生日おめでとう!
今日はグレアムのお誕生日。お誕生日おめでとう。
子供の頃、叔母の家に「花とゆめ」が置いてあり、連載初期の頃から読んでいました。途中からは自分で買い、コミックスも全巻買いました。今でも実家にあります。 ずっと、真面目で優しいグレアムが大好きでした。現在の夫もそんな感じの人です。一緒にいると結構大変ですけど(苦笑)。 三原先生が亡くなられた時には子育て真っ最中の大変な時期で、少し後で知ってすごくショックでした。
今日、憧れのカシオペアで札幌から帰ってきました。グレアムに一目惚れした頃、私も仲の悪かった父を病気で亡くしたばかりで、子供ながらに他人事ではなかったのでしょうね。彼以上に惹かれる男性はいないという気持ちと現実は今も変わっていません。三原先生が亡くなられたのも、奇しくも父と同じ年齢の時。このホームページに出会ってからどうしても気になって、終わりの方の数巻を読み返してしまいました。家の近くのネットカフェからアクセスしているのですが、今日で閉店との事。知らずに来てショックを受けつつ、今日来て良かったと思っているところです。当分訪問出来ないかなあ。淋しいです。
どの作品も大好きです。言葉のひとつひとつがずっしり心に響いてきます。本屋で、コミックコーナーに行くと、何故か「み」のところで今でも探してしまいます。もちろんありませんが・・・。 こんなに大勢の人が、今も愛してやまないこともすばらしいことだと思います。みんなの想いが天国に届いていますように。
ずっとずっと大ファンです。きっかけは、伯母がファンだったことなのですが、はみだしっ子しかまだまだ読んでない未熟者の私ですが、これからも読み続けて生きたいです。
X Dayが好きで、今でも年に数回よみ返します。何故好きなのかと考えてみたのですが、不器用に思い詰めて行くダドリーという人物に、一種の憧れを感じるというのが一番近いのかもしれません。 「好きだった」というのではなく、これからも好きな作品として、年に数回読み返す事になるでしょう。そしてページを開くたびに、(親友というよりは悪友かなと勝手に思い込んでいる)ダドリーが「よう、元気?」と、言ってくれるような気がして、いつの間にかそこは、かけがえのない大切な場所になっていました。
四十路のおばさんです(笑)小・中学生の時、本当に大好きでした。当時、真似て書いたイラストがたくさん出てきて(いまだにとってあった!)、中には、グレアム好きだった私のために友人が描いてくれたグレアムの笑顔も・・娘たちが「この絵は誰?」と聞いてきます。娘たちもいつか読むだろうか・・心騒ぐような、切ないような、思い。でも私ははみだしっ子に出会えて良かった。先生、本当にありがとうございました。
JUN先生 グレアム、アンジー、サーニン、マックスに出会わせてくれて ありがとう。 はみだしっ子は 三十路のおばさんになってしまった 私の バイブルです。 あの頃 私は 4人と一緒に成長しました。 そして 2人の子供の親になりました
それでも いつでも 戻れます あの頃の はみだしっ子の気持ちを・・・ 永遠に・・・
最初に三原先生の作品に出会ったのはちょうど十年前。大学の寮のお友達から紹介されて読んだのが『はみだしっ子』です。あの時出会えてとっても良かったと思っています。そこにはなんともいえない不思議な空間が存在していいて私の中で心のよりどころなんです。そう、はみだしっ子は2冊ずつ揃えてあるんですよ。一冊は読む用、もう一冊は大切にしまっています。
元々は母がファンでしたが、初めて読んだとき、感動してしまいました。今では私もファンです。三原先生、感動をありがとうございます。
小学校の時、はみだしっ子に出会いました。難解な文章が他のマンガと違っていて引き付けられました。何回も繰り返し読むうちに、深い世界に引き込まれて全巻揃えました。今、中学生の息子が読んで面白いと言ってます。私は、単純に面白いとは言えない複雑な重いものも感じています。新聞の記事で三原先生の訃報を知りました。小さな記事でしたが、目に飛び込んできた記憶があります。三原先生のご冥福をお祈り致します。
何度も何度も読み返してボロボロになった単行本。幼すぎて理解できなかった事が年を重ねながら読み返しては、ひとつずつ心に響いてきました。4人と同じ年の頃は、彼らと同じ目線で世間を感じ、彼らの年を遥かに追い越してしまった今は、自分の子供に重ね合わせて、気付いたらいつも彼らが私の心に住み着いていました。何枚も送ったファンレター後にも先にも先生一人だけでしょう。なのに訃報を知ったのは最近の事。残念でなりません。これを書く前に「つれて行って」を読み終えたばかりで、なおさら切ない気持ちになりました。三原先生ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
子供の頃に出会ったはみだしっ子は、私にはちょっと近寄りがたくて、でも大切な友達だったような気がします。ありがとうございました。三原先生のご冥福をお祈りします。
今日はマックスのお誕生日でしたね。 おめでとう、マックス 幼少の頃、はみだしっこを読んでドキドキさせてくれた事ありがとう。 三原先生、もっと長生きしてほしかったです。 心より感謝とご冥福をお祈りしています。
連載当時、丁度グレアム達と同じ年代だった私は、単純に彼らに共感し、純粋に彼らの味方でした。大人になった今、別の意見も忠告もいろいろと頭に浮かぶ今でもなお、純粋に彼らの味方をしてしまうのは何故でしょう?どうすれば皆が幸せになれるのかを、今でも考え続けています。三原先生からそのお答えを頂けない事がただ悲しいのですが・・・グレアム・アンジー・サーニン・マックスはこれからもずっと私の中で輝き続けるでしょう。三原先生に感謝をこめて・・・
三原 順さんの作品には10代の時にリアルタイムで出会いました10代で出会えて幸せだと思っています。何処か世間とのギャップに悩んでいた私にとって 『はみだっし子』は心の救いになりました。是非今の10代の方にも読んでいただきたいと思っています。三原 順さん 貴女に感謝いたします。ありがとうございます。ご冥福をお祈りいたします。
北海道旅行の際にお墓参りをしようかな、と考え、調べてみたら非公開との事。残念ですが仕方ないですね。小学生の時、初めて読んだのがグレアムしか出てこない「バイバイ行進曲」だったので、そのままグレアムに恋しましたが、他の話から出会っていたら誰のファンになっていたのか、ちょっと謎です。私達ファンの熱狂が、三原先生の命を削り取って早死にさせてしまったのではないかと、考え過ぎかもしれませんが胸が痛むのです。でも、あの頃は夢中でした。
三原順さんの作品はデビュー作からずーっと雑誌でリアルタイムで読んでおりました。 雑誌を切り抜いた上にコミックスも買い、台詞を暗記するほど読んだのは「はみだしっ子」以外にありません。 連載雑誌で三原さんの訃報を知った時は、世の中が終わったかと思うほど泣いて泣いて泣きました。 でも17歳になった娘が「お母さん、はみだしっ子ってマンガ知ってる?」って聞いてきた時には嬉しくって涙が出ましたよ。 三原さんの作品はこうして読み続けられていくんですね。 久々に段ボール箱から当時のカラーページの切り抜きや付録やコミックスを出して、新しくファンになった娘と一緒にまた三原さんの作品を読み始めたいと思います。
こんなHPがあるなんて今日までしりませんでした。お亡くなりになっていたことも存じませんでした。
彼らに出会ったのは小学生の頃。最終回は中学でした。
私の家庭も相当複雑でした。 彼らのおかげで今生きていると思っています。 今では三児の母で、当時の本はもう手元にはありません。 しかし、今でも一言一句思い出します。
間違いなく私を救ってくれた本です。 今でもいろんな苦痛がありますが、私は負けません。 人を思い、自分を強く、生きていきます。 ありがとう
読むたびに、心が豊かになります。考えることの大切さを教えて下さり、本当にありがとうございます。
最近思うに三原順さんにとってマックスは自分の子供、サーニンは自分の友達、アンジーは自分の恋人、そしてグレアムは自分自身だったのかもしれないと思った。
ディープインパクト引退。競馬に興味は無いけれど、エルの子に期待をかけたサーニンのように、ディープの子に未来をかけたい気持ちで書き込みました。
いまさらながら 昨日遺作を読みました。 未完成の沢山のコマとストーリーが色んな思いを呼び起こしました。
心の支えは永遠に変わらないのでしょう。 わたし自身の20年前と少ししも変わっていないのが、少し嬉しいやら、哀しいやら。。。前に進めているのかなぁ。。。
三原先生の作品に出会えて本当によかった。 三原先生ありがとうございます。
今日、初めて三原さんがお亡くなりになったことを 偶然知りました そして今日がお誕生日ということも・・ 子供のころ、熱心に読んだ「はみだしっ子」が、すごく 鮮やかによみがえってきました 生きることの尊さ、辛さ を教えてくれた作品だったと思います 三原さんのご冥福を心からお祈りします
「はみだしっ子」を読んで、破れかぶれでもいいから、考え続ける尊さを、教えていただきました。ありがとうございます。
お誕生日に。
毎日、少しづつメッセージを読ませていただくのが習慣になっています。今日はお誕生日のお花を一つ。
単行本出るのが待ちきれずに本屋でチェックしようと開いたページがグレアム崖からダイブのシーンでギャッと言って雑誌閉じたのを昨日のことのように思い出します。10年前、文庫が出てるのを見つけウホウホ大人買いしてむさぼり読んで記憶しているまんまだと喜んで解説見てえ"え"−っっっっっですよ。三原先生びっくりさせすぎ。煙草も供えとくからずっと吸ってなさい。私の煙草だから味違うけどね。 立野さんありがとう。はじめて三原先生宛てに文を書きました。すっきりしました。
中学生の時、友達と夢中で読み、キャラクターを決めて、遊んだりしてました。つい最近、ほんとに久々に手にとって見ました。…いろいろなことが蘇りますね.この本は初めて、自分で欲しいと思って、揃えた本です。大切な思い出が、詰まっています。
連載の初めからずっと読んでいました。アンジーが大好きで、自らのニックネームもアンジーでした。いまでもそうです。ただひらがなになりましたが。彼らの傷つきやすい、そして真剣な生き方に当時ものすごく惹かれましたね。単行本も持っていたのですが、引越しや結婚でいつの間にかなくしてしまったのですが、たまたま娘の友達が全巻を持っていて、譲っていただきました。もう手放したくないですね。この本に出合えて何かしらの影響を受けたと思っています。三原さん、ありがとうといいたいです。
初めて読んだのは、中学生の時。友達五人と夢中になり読みました。どこが、何が、とは言葉で説明できませんが心に深く今も響いています。中学生だったあの時三原先生の本に出会えて幸せでした。確認はしていませんが五人と私の人生で一番大事な本であると確信しています。ありがとう
数日おきに書き込みがある程、「はみだしっ子」はたくさんの人の心に残っているのですね。余りにも多くの方々の書き込みに、涙が出そうになりました。「はみだしっ子」は、私という人間の一部になっています。ここにいらっしゃる方々は皆さんそうかもしれませんね。 今日はとても嬉しかったです。また来ます。
約20年ぶりに「はみだしっ子」を読み返しました。女子高生の時と同じようにまたグレアムに恋しました。2週間ほど家事、雑事を上の空でこなし、どっぷりとグレアムのことを考えて過ごしました。そして、このページにめぐり合い、初めてインターネットの素晴らしさを実感しました。今でも私と同じ思いで(それ以上で )4人の事を考えてくれている人がこんなにたくさんいるなんて。私にとってグレアムは、4人は大切すぎて、気軽に付き合えず、急がしい毎日の中でもう一度向き合うまでに20年以上かかってしまったけれど、その間も忘れずにこんなにもたくさんの方が思っていてくれたなんて!感動しています。自分の子供がとっくにグレアムの年を越えてしまったけれども、グレアムが好き、はみだしっ子たちが大好きです。
はじめてここに来ました。皆さんの熱い想いに触れて中学・高校時代を思い出しました。今でもたまに読み返しています。その度に違う思いが読んでいるときの自分の精神状態を反映するようにあふれてきます。今、読んだらどんなことを感じるんだろう? 合掌
子供の頃『結婚する時は絶対この本達を持って行こう』と決めていました。そして今、辛い時、落ち込んで立ち直れない時、この本達を読みながら「大丈夫だよ。がんばっていけるよ。私は笑っていられるよ。」って自分に言い聞かせることができます。三原さん本当にありがとうございます。これからも頼りにしてしまうことがたくさんあると思いますが、三原さんの作品の中のみんなの顔を思い出して乗り越えて行きます。
一番苦しかった高校時代に「はみだしっ子」に出会い、どれだけ救われたか知れません。あの頃はバイブルとしてましたが、歩き出したい自分にけじめをつけるために手元から離しました。以来、ずっと読まなかったのですが、20年以上過ぎた今また読み返しています。 本当はあの頃に戻ってしまうんではないかと読み返すのが恐かったのですが、大丈夫でした。今はまた手元に置けてうれしいです。三原さんが亡くなった知らせはショックでした。何か手がかりが欲しくてここに来ました。何か変わるわけではないけれど、一言だけ。三原さん、本当に本当にありがとうございました。あなたが描いた作品のおかげであの苦しい時期を乗り越えられて最悪な決断を選ばずに済みました。 心からの感謝をしています。ご冥福をお祈りします。
突然三原順ルネッサンスが起きてしまいました。高校生のころあの四人組と共に生きていました。そして子育てに追われて忘れていたのにここ何年もグレアムの気配が私から去りません。実家に置いてきた漫画本が読みたくて読みたくて.......そして今更ながら三原さんの死を悼んでいます。また遊びにこさせてくださいね。
初めて読んだのは中学生でした。単行本を購入し、引越しを数度繰り返しても、本棚の愛蔵書です。20数年経ち、久しぶりにまた全巻読み返し、涙にくれました。若い時にあった希望も今はなく、荒んでゆく心の理由が、作品を読み返して解った気がします。ご冥福をお祈りします。
「はみだしっ子」は中学生の頃読みました。当時彼等の気持ちが痛いほどわかり(ような気がしていたのかもしれませんが)自分の子にはこんな想いをさせないように子育てをしようなどと思いました。そういえばみうらじゅんさんとの共作がありましたね(あまり心もとないのですがm、、m)あの頃煙草を吸った不良マンガ家と書かれていて(ごめんなさい)ちょっとかっこいいかもなんて思ったのを懐かしく思い出しました。この場をお借りしてご冥福をお祈り申し上げます
「はみだしっ子」を始めて読んだのは、小学生の時でした。 当時、4つ上の姉が、花とゆめを購入していて、読ませてもらったのがはじまりです。 子供心に4人の姿に憧れを持っていました。 その後、数年が経ち、三原先生がお亡くなりになったのを知った時は涙が止まりませんでした。 もう、お亡くなりになって10数年経ってはいますが、三原先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。